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カッコいいものとは?


音楽でも、服でも、デザインでも。また、人でも、かっこいいという。かっこいい、とはなんでしょうか。
感情が入り込まない物。
生活が見えぬもの。
苦労の跡が見えぬもの。
解釈を拒否しているもの。
常套句から逃れる。

理由が必要なものは、格好良くない。自然でない。様になっていない。
文章でも、何を主張しているわけでもない。しかし文章でなければ表現不可能なもの。
解釈を拒否しているものはカッコいい。
ミニマムデザインがかっこいいというわけではない。
この間、図書館で日本美術史をめくっていたら、日本美術で、素晴らしいな、と素直に思えるのは、長谷川等伯あたりから始まって、16世紀から18世紀、桃山時代から江戸時代まで。長沢芦雪や伊藤若冲で極まっている。
「鎖国」は、負の面もあったろうが、表現者にとっては、必要な環境だったのかもしれない。
美術でカッコいいと言えば、私は、琳派だと思います。
琳派の大胆な構成。非人情。情緒の排除。高等遊民の本気。文字も存続してきた物語も、人間の現象もデザインとして構成し直す。物語性がない。素材の扱いにおいて、無頓着。どうやったら、面白いデザインになり、面白いものが作れるのか、それを当たり前のように考えていた。琳派は高等遊民が食っていくにはどのようにしたらいいのかを示している。
琳派は、大衆の精神を衰える方向に向かわせるのではなく、それ以前の安土桃山時代の成金趣味を見て、「こいちらわかっていないな」と構成し直した感がある。
琳派の絵。あれが幻想的と言えるものではないか。
現実にありそうでないのが琳派の世界。反世界性を強調する。
小説でも、映像表現でも、批判の感情、つまり怒りや妬みの感情、が入り込んだものは、いかに面白いものができても、自分がその感情に呑み込まれていくだろう。人間は感情を推し進めれば混乱し、それが外見に出てしまう。
琳派。そこには批判どころか説明さえもない。
遊びがなくなると、全体主義に向かう。意味のないものを排除したがる傾向を強めるのである。
昔、「しまむら」にシャツを見に行ったら、黒いのや青いシャツが下がっていて、手に取ってみた。裏地に迷彩柄が入っていたり、背中に薔薇の刺繍入っていたり、個性は出さない方がかっこいいという見本。

今浄瑠璃をもって譬るに画工は太夫のごとく、作者は三弦ひきににたり
滝沢馬琴

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