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「テランセラ」の楓はのーこの分身

この間掲載した「テランセラ」を読んでくださった方、ありがとうございました。

あのお話の殆どは想像で作り出したものですが、主人公の楓はほぼほぼ私のーこみたいなものです。
自分自身をモデルにすると書きやすいもので。

お仕事の経歴とか、割とまんまです。
あんな感じのお仕事してました。
残業帰りにお惣菜屋さんでお弁当買って帰ってました。

ここからネタバレが入るので、既に読まれた方か、そもそも読まないよって方だけ先に進んでください。






まずはお話の最初の方の出来事から。
楓が朔也に恋をしたきっかけについて。
朔也の落とし物を楓が拾い、それを渡した際に手が触れ合ったことがきっかけでしたが、私の実体験でもあります。

私も高校生の頃、体育の先生を好きになりました。
そのきっかけは、体育の授業終わりのこと。
バスケをしていて、終わった後に私はみんなのゼッケンを集めてました。
それを先生に渡す時、偶然手が触れました。
先生の優しい「ありがとう」という言葉と同時に、私の全身に電気が走ったかのようにビリビリっときたんです。
「何だこれ?!」ってなりました。
その瞬間まで何とも思っていなかった先生に対し、急にドキドキするように。
あぁ恋に落ちたんだなと。こんなことって本当にあるんだなって思いましたが、当然その先は特に何もなかったです。
普通にただの先生と生徒として平和に過ごしました。

そして、朔也と再会した楓は、朔也から存在を忘れられています。
私自身、人生で一番好きになった人に存在を認知されなくなったことがありました。
もう20年も前も昔の、子供の頃のことです。二つ上の先輩を好きになりました。
先輩と私はそれなりに仲良くやっていたと思ってました。
でも、何かがきっかけで先輩は私を無視するようになりました。
そのきっかけは全く見当もつきません。
ただ、先輩は私を一切見てくれなくなりました。
「あぁ、嫌われたんだな」って。
理由は分からないけども、でも理由がなければそんなことは起こりませんし。
大好きな人に、まるで私はそこにいないかのように振る舞われ、結構なトラウマになってしまいました。
それ以降私は、私自身の存在や、私自身の記憶を疑うようになりました。
先輩と私が仲良くやっていたのは、ただの私の妄想だったのではないかと。
きっと最初から仲良くなんかなくて、全てが幻だったんだと。
先輩が私がいないことを望むのであれば、私はそれに応えよう。
いないものとしよう。
そんなふうにも思いました。

ただ大人になった今思うのは、あの頃のことが幻でなければ、先輩はとても優しい人でした。
いつも言葉が厳しかったけれど、その裏側には繊細な優しさがあることを分かってしまいました。
分かりやすい優しさは誰にでも出せます。
分かりにくい優しさって、出そうとしても出せないと思うんです。
きっと、心根が本当に優しい人にしか出せないなって。
そんな分かりにくい優しさしか出さなかった先輩は誰よりも優しく、だからこそ誰よりも好きになってしまいました。

彼氏にも言われましたが、私の自信のなさはそんな先輩に一切見てもらえなくなったことが大きな原因の一つです。
それ以外にも色々あるんですけどね。

「テランセラ」では、最後に朔也は楓のことを思い出します。
これは私の願望です。

はっきりと思い出さなくてもいいんです。
ただ、ほんの少しでも私という存在が残っていてほしい。それだけなんです。

だから、楓はあのたった一言が心の底から嬉しくて堪りませんでした。
もうそれだけで生きていけると、本当の意味で執着を捨てることができました。

朔也の姉である望美の献身的な優しさも、楓の心に変化を与えました。
楓は楓でしかないと。そう訴えつづけた望美の言葉に、楓は無意識の内に助けられていたのでしょう。

私は、家族というものにあまり恵まれていません。
虐待とかそういったことはありませんでしたが、家庭内で私は搾取されるような存在だったかなと。話すと長くなるので書きませんが。
家の中でも私は私として存在していませんでした。

だから、やっぱり今でも私は何なのか分かりません。
誰からも認知されない透明人間としか思えません。

そんな自分自身を映し出した楓には報われてほしかったんですよね。
だからあんなラストになりました。

私が楓みたいになりたいのです。
でも現実はうまくいきません。

だけど、それでもいいからとりあえず生きるかって思ってます。
この先このままずっと透明人間だとしても、それを辛いと思ったとしても。

別にいっかって。

もう全てを突き詰めるとですね、どうでもいいんですよ。そんなことは。

先輩のことはトラウマですし、色んなことがトラウマですし、生きるのが嫌になりますし、自分という人間を見つけたいですし、それが正直な気持ちではあるんですけど。

ガンを経験して、私は本当に死ぬかもしれないのかって。
そう思ったら、今抱えてる悩みってどうでもよくない?って。

突き詰めれば世の中の大体のことなんてどうでもいいことなんです。
だから私はふわふわしてるんだろうなぁって思ってます。

世界中の人が元気に楽しく幸せにやってくれてたらそれだけでいいんです。

私は自分がいないあまりに、他の人の中に自分という存在を求める傾向があります。
それが過度になると、自分でもメンタルがグッチャグチャになるので、意識してそれは回避するようにしてます。
その代わり、幸せでいてくださいって思うようにしてます。
うまくいかないことが多すぎる世の中で、時には嘆きたくもなりますが。

話が逸れました。
楓は朔也の幸せだけを考えていました。
でもそれは自分の幸せの為でもありました。
自分の幸せを人に委ねるのは違うなと思うんですけど、恋というものはそれほどまでに人を狂わせます。

でもその狂う感じがいいじゃんね。
狂わない恋なんてあるんですかね。

ちなみに、朔也は楓のことを可愛い生徒くらいにしか思っていません。
現実を見つめるようになった朔也は、楓に対してとても申し訳ない気持ちでいっぱいになったはずです。
でも楓はそんな朔也を許すでしょう。
許すっていうか、そもそも怒っていませんし。
きっと、昔のように仲がいい先生と生徒という関係に戻っています。

そんなこんなで「テランセラ」というお話が産まれたよって記事でした。

楓を通してのーこという人間を知っていただけたら幸いです。





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