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【自伝(7)】拗らせのーこの半生(2012年9月・24歳〜2012年10月)

前回は乳ガン手術から退院し、ホルモン治療が始まったこと、Dさんと長電話する仲になったことなどを書きました。
今回は主に9月から始まった放射線治療について書こうかなと思います。





9月はまだ残暑が厳しい時期である。
夏の暑さにめっぽう弱い私は、当然の如くバテていた。
それでも9月から始まる放射線治療は頑張らねばならない。

ガン治療において殆どの方が受けるであろう、この放射線治療。
手術で腫瘍を取り除くが、患部にまだ残っているかもしれないガン細胞をやっつける為に行う。
正常な細胞までやっつけてしまう為、一度に長く放射線を照射することはできない。
その為、平日は毎日病院へ行き、微量の放射線を照射する必要がある。
私の場合は五週間続ける必要があった。

五年間ホルモン治療を受ける覚悟をしておいてあれだが、五週間土日を除いた毎日病院へ行くっていうのも「長っ!!」という気持ちでいっぱいであった。

さて、毎日のように夜から朝まで電話していたDさん。
そろそろ会いたいねという話にもなっていた。
もうこの頃にはお互いに気持ちを察していて、なので私もDさんにちゃんと知っておいてほしいと思い、過去の中絶のことも話していた。
それでも気持ちは変わらないとのこと。
では、私の放射線治療が終わったら会いましょうと約束をした。

なので私はDさんと会う約束を果たす為に、そして自分の体に残っているかもしれないガン細胞をやっつける為に放射線治療を頑張ることにした。
頑張ると言っても病院へ行って横になるだけなんだけどね。

放射線治療を始める前にまず、放射線科の先生との問診がある。
放射線治療はどういうものか、そしてどんな副作用があるかなどの説明を受けた。

私は手術を受けた左胸に放射線を照射するので、左胸の肌が徐々に炎症を起こすようになると。
そして胸の内側には肺があるので、肺も炎症を起こす可能性があると。
それらを了承してから放射線治療が始まる。

まず、毎日同じ箇所に正確に照射する為に、洗っても落ちない特殊なマーカーで左胸にラインを描いてもらった。

私は襟が詰まったトップスは首が苦しく感じてしまうので、着ることができない。
襟が広目のものを着ることが多く、描いてもらったラインがギリギリはみ出てしまう。

元々こんなことが気になる性格ではないので、まぁいっかと。

そして放射線照射。
本当にものの数分で終わる。

この為だけに毎日病院通うのかぁ。
怠いなぁ。

これが正直な気持ちだったが、一回終わる度にガン細胞が死滅し、長生きできる可能性が伸びていることを自分に言い聞かせた。

最初は特に変化はなかったが、毎日続けていると少しずつ肌が炎症を起こすように。
放射線治療による肌の炎症は、火傷とよく似ている。
事前に説明を受けていたので、こうなるんだなぁと私は非常に呑気であった。

しかし放射線によるものだけでなく、最初に描いてもらった特殊なマーカーが肌に合わなかったらしく、そこが酷くかぶれてしまった。

とにかく痒い。痒い痒い。

いくら落ちないとは言え少しずつ薄くなるので、再度描いてもらうときには普通の油性ペンにしてもらった。

幸い肺には何の影響もなかったのだが、放射線治療も終わり頃になると、私の左胸は酷い火傷を負ったような状態になる。

皮膚は赤く爛れ、とにかく痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い!!!

刺激を与えないように掻いてはいけないし、でもどうにもならないほどの痒みがもう辛かった。

その左胸を放射線科の先生に診てもらうと、「これは酷い」と。

私はてっきりみんなこうなるものなんだなと思って我慢していたのだが、相当酷かったらしい。
「のーこさん強いから」というお褒め(?)のお言葉を先生から頂きました。

そしてステロイドを処方してもらい、毛羽が立たないガーゼを購入。
どうにか少しでも痒みが治ればと思うのだけど、正直ステロイドも毛羽が立たないガーゼも気休め程度であった。

地味にちょっと掻いてしまったり。
掻くよりはマシかなと思って叩いたり。
絶対にやってはいけないんだろうけども、まぁ仕方ないよね。
一番効いたのは保冷剤で冷やすことだった。
もしかしたら放射線科の先生に冷やしても大丈夫か聞いてからやるべきだったかもしれない。
でもまぁ今となっては昔のことだし。

そんなこんなで放射線治療はとにかく痒みとの闘いであったが、何とか休むこともなく完遂させた。

通院は確かに疲れたけれど、それ以上に痒みがもうね。
しかも放射線治療が終わったところで、皮膚がすぐに良くなるわけでもないし。
しばらくはステロイドを塗り続けた。

この放射線治療が終わってから8年ちょっと経った今でも、この辺の産毛は一切生えてこない。
かぶれたマーカーの跡も残っている。
だけど何故か脇毛だけは復活。
いや、脇毛の生命力強すぎない?

手術跡も残っているが、私は普通に銭湯や温泉に入る。
私自身は全く気にならないのだけど、周りの人からしたら気になるものなのかな?
でも人の胸ってジロジロ見ないだろうしなぁと。
どうなんでしょ。周りの人が気になるのなら私ももうちょっと隠すべきなのかなと思ったり。

そうそう、手術だったりこの放射線治療の影響でもあるのだが、私はブラをつけることを辞めた。
手術してからしばらくノーブラで過ごし、久しぶりにブラをつけたら何か息苦しくて。
今は締め付け感のないブラトップを愛用している。
元々かなりの貧乳だし、垂れとか気にせんわと。

私の胸の話はひとまずこの辺にしておくことにして。
放射線治療が終わると、とうとうDさんとの初対面。
10月下旬のことである。
会う約束をした場所はスカイツリー。

事前にお互いどんな容姿なのかは伝え合っていた。
Dさんは縦にも横にも大きいと言っていた。
当時は身長187cmの体重130kgだったのかな?
まぁ大きいよね。今はもっと大きいけどね。

スカイツリーに着きDさんを探すと、確かにすぐに見つかった。
大きいっちゃ大きいけど、想像していたので特に驚きはしなかった。
今思い出すとお互いに若かったなぁ。

そして会ってすぐ、Dさんからある物を渡される。

それは緑の瓶に詰められたラブレターであった。

出会ったきっかけが瓶に詰めた手紙を投げ合うSNSアプリだったので、それを真似たらしい。

そのラブレターを渡され、その場で読む私。
そこにはDさんの気持ちが綴られており、お付き合いしてくださいとの文字。

読み終わり、私もよろしくお願いしますと返事をした。

まぁまぁまぁまぁまぁ。
書いててほんとに小っ恥ずかしくなるロマンチックな告白よ。

Dさん曰く、恋人として時間を過ごしたいから最初にラブレターを渡すことにしたそうな。
でも荷物になるからと、デートの間はDさんがそのラブレターを持っていてくれた。

そしてプラネタリウムだったり一緒にご飯を食べたり、デートを満喫。
夜になり、私を家に送ってくれてから解散。

こんな初対面・初デートでした。
惚気るの得意じゃないんすよ。

ただ、この時の私は確かにDさんのことが大好きでした。
もうこれ以上の人は現れないだろうと。
色々事件が起きるまでは。

その事件に関しては書こうかどうか悩んでおります。
書くかもしれないし書かないかもしれません。

それでもお付き合いが続いているのは、これまでお互いに向き合ったり嫌いになったり、色んな経験を通しても信頼できるからなのかなと。
この先にこれまで以上の地獄が待っていたとしても、Dさんとならどうにかなるかなと思ったりもしているし。

もうむず痒いので今回はこの辺にしておきます。
次回は多分ホルモン治療の辛さなどを書くことになると思います。
今までの伝記に比べると、内容は穏やかなものになるでしょう。
20代前半がね。特に大変だったので。

そう考えると、今の私はやっぱり幸せです。
Dさんとの出会いが、私の人生が好転した一番の理由だと思っています。
この人がいなければ、私は治療を途中で放棄していたと思います。
めちゃくちゃ支えてくれますし、すごく感謝しています。
男性として見られないとしても、一緒にいる理由はこれだけで十分かなと。

それでは今回はこの辺で。
また次回。



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