ただの日記が私の日記


生きることの意味がわからなかったのだが、どうやら意味などないらしいと聴いた。
ずっと『意味』を探し続けていた私には、ガッツポーズものの情報である。
これを採用して生きてみる事にした。

「意味などない」っという言葉の前後の文脈を無視し、都合のいいところだけを取り出し、採用する私。どうなることやら。


何日目か。

日記とは、毎日書くモノなのだろうか。
勝手にそぅ思い込んでいるだけかもしれない。
辞書を引いてみても良いが、辞書さえも、何者かによる思い込みの植え付けかもしれない…などと考えると、結局「自分」でしか考えられないわけで、そうなると正解不正解という世界から、自然と距離を置くことになる。

だから、私は私の世界でこの日記を書いている。
私の世界では、日記はいつ書いてもいいし、何を書いてもいい。

さて、私は、とてつもない思い込みの世界に生きている。
これは、気がつけば気がつくほど、途方もなく、結局どこまでいっても「思い込み」の海の中を泳いでいる。

「思い込みの海」とは上手く言ったものだ。
友人がそう教えてくれたので、私も使っている。

今日も海を漂います。

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