自意識よ、去れ

どんな個性でもそれをそのまま自分のものとして愛せる人を尊敬する。

私は自分のコンプレックスに対して、それを個性としてそのまま素直に受け入れることが、いまいちできない。
良い歳して情けないなと思う。

コンプレックスなんてどうでもよくなるような気分になれるときもある。
そんな些細な自意識に囚われずに、笑って過ごしている自分が一番魅力的だということもわかっている。

それでも時々過剰になってしまう。

例えば、顔なら。
私はエラが張っているのが気になる。歯磨きのときに洗面台の鏡の前に長く立って、なんとなく自分の顔を見ているときに気になる。

そんな時は、オードリーヘップバーンや有村架純ちゃんなど、エラが張っていても美しい人を無意識に思い出して、あんな美しい人たちと同じ個性を持っているのだ、となんとなく思い出すことで自分の個性として肯定している気がする。

また、最近では新たな落とし所を見つけた。
私はエラだけでなく頬骨も出ているので、写真に撮ってみると瓢箪のような輪郭をしているのだが、瓢箪なら縁起がいいから良いかなという気もして落ち着いたりもする。
ちなみに「瓢箪みたいだ」と表現したのは夫だ。ただ気になっていただけのエラと頬骨が「瓢箪」と言われると途端に可愛げが出てくるから不思議だ。夫には感謝しなければ。

いずれにしてもそんな理屈で落ち着かせるのはきっとナンセンスなのだ。
私の顔のパーツは誰の寄せ集めでもなく全部ひっくるめて私なのだから、パーツパーツに執着しないで全体的に自己ベストを目指せば良いだけなのだ。
少なくとも私のコンプレックスは自意識過剰な気がしている。

自分のコンプレックスなんかに目を向けるより、もっと人に優しい気持ちを抱いたり、素敵な思いつきをしたり、といった楽しい方向に心が働いてくれないものだろうか。

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