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車中、母との会話

何年ぶりだろうか。母と2人のドライブなんて。そう思って最後に2人で出かけたことを思い出そうとしたけど、子どもの頃の記憶しか思い出せなかった。

先日、病気療養中で両親宅にいた姉が救急車で緊急搬送された。自宅の敷地に救急車が来たときはかなり動揺したが、幸い大事には至らなかった。姉が搬送されて数時間後、救急車に乗っていった母から連絡があり、私が車で迎えに行くことになった。久しぶりに親子2人だけのドライブ。ほんとに何年ぶりかな?全く思い出せない。最近は父も体調を崩すことが多くなり、母は父を病院に連れて行ったりもしているので、今回の姉の件も重なりさぞ疲れているかと思ったけど、病院から出てきて私の車を見つけると、大きく右手をあげて笑顔で私の方へ向かってくる。まあ、調子は悪くさそうだ。姉が搬送されたのがお昼ちょっと前で食事をしていなかった母は、病院の近くのスーパーで買ったサンドイッチを車の中で食べ始める。食べながら、私たちは父と姉の病状、私の子どもたちのことなどについて会話を交わす。

「ご近所からはねえ、『K子さん、なかなか病院と縁が切れないねえ』なんて言われんのよ。まあ、この調子だと死ぬまで縁は切れないね。ははは!」

と、笑う母。確かに、体の弱かった私の妹が生まれてから、母はずっと病院とのお付き合いが続いている。この日は祝日で、いつも姉が通っている病院が受け入れできなかったため、自宅から少し離れた病院に搬送された。そこは母の実家の隣町で、病院からの帰り道に母の実家の近くを通った。見慣れた街の夜景を見ながら、母は自分の人生について話し始める。小さい頃から歌うことが好きで、ピアノを習いたかったけど田舎ではピアノ教室がなくて通えなかったこと。高校時代はソフトボール部の主将として活躍して、勉強もできた(本人談)が、大学には経済的な都合で行けなかったこと。私は以前にも同じような話を何度か聞いていたけど、この時も何も言わずに母の話を聞いた。最近、うちの次男がピアノ教室に通い始めたのだが、それを一番喜んだのは母だった。「私も習おうかな」と言った母は割と本気みたいだったな。まあ、何事も遅すぎることはないと思うけど。


母の郷里を過ぎて、自宅に向かう真っすぐな県道に入ったタイミングで、次男のピアノの話の流れから音楽の話題になり、母からスピッツのCDを貸して欲しいと言われる。あれ、母ちゃんスピッツ好きなんだっけか?と思って聞いてみると、あなたが高校生の頃聴いていたので、私も好きになった、と言う。そうか、母ちゃんはスピッツ好きなのか。それは初耳だ。私が高校のときにバンドやってことを話すと、バンドをやっていたこと自体は知っていたらしいが、それがスピッツのコピーバンドであることや、私が何の楽器をやってたかは知らなかったようだ。

「そう、今度、そのバンドを再開することにしたんだよ。」

私がそう言うと、それは良いね、音楽は一生続けられるから、と母が答える。そこからお互い、今聴いている音楽の話になり、私は最近、ユーミンやビーチボーイズ、そしてビートルズをよく聴いていると言った。母はユーミンはやっぱり『ひこうき雲』が好き、その時代なら吉田拓郎か中島みゆきだよね、なんて言っていた。ああ、それはおれも好きだわ。

音楽の趣味は母親譲りなのかもしれない。そういえば、人生で初めて行ったライブは、母親が連れて行ってくれたCHAGE&ASKAのライブだったな。母はファンクラブにも入っていた。私の子守唄は「ひとり咲き」だったらしい。家に戻って、私が高校生の時に買ったスピッツの『ハチミツ』と、最近衝動買いした折坂悠太さんの新しいアルバム『心理』の2つを母に貸した。たぶん、どちらも気に入ってくれるだろう。


この歳になって母と音楽の話ができるとは思っていなかったな。私が高校生の時は、バンドをやっていることを母には積極的に話していなかったけど、今度ライブをやるときは、是非、母にもチケットを渡したい。

私たちのバンド名が『スパッツ』であることは、その時まで内緒にしておこうと思う。


おわり

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。