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片想い

 みなさんこんにちは。何かについて語ることにちょっと躊躇いがちになっているノックです。

 noteにいろい書いてきたこの2年ちょっと。日々の暮らしの中で思っていることは手書きのノートに書き残しているのですが、こうして公に晒すほどの文章はそれほど無いな、と思ってnoteの更新も滞りがちになっていました。でも、公にするとかしないとかなんて考えは正直、あまり意味の無いことだなと思い直しているところです。

 文章を書くことを続けながらも、最近は日常に音楽が入り込んできて、楽曲、歌を通じて何かを考える機会が増えてきました。今、心の中で鳴り響いている曲はこれです。


 ストリーミングでふと流れてきたこの曲。なんか分からんけど良い歌だな、なんて思っていて、気がつけばお気に入りの曲になっていた。歌詞が面白いな。私が気になったきっかけは歌詞です。

 『カタオモイ』、という題にも関わらず、内容は一生を添い遂げる夫婦について歌っているかのような印象。でもたぶん、これは一つの比喩であって、様々な解釈を許容する懐の深い曲なんじゃないかと思う。聴けば聴くほどそんな想いを強くさせる不思議な曲です。気になりすぎて手書きのノートに歌詞を書いてみて気が付いたのは、私にとって、これは子どもたちに対する想いなんじゃないかということ。そう思った理由はこの歌詞。


君が僕を忘れてしまっても ちょっと辛いけどそれでもいいから
僕より先にどこか遠くへ 旅立つことは絶対許さないから


 夫婦であれば、私はこうは思わない、という違和感を感じた。パートナーに先立たれることほど辛いことは無いと思うから。私だったら、カミさんには「僕より先に旅立ってよ」って伝えたい。そう考えた時に、この歌詞を自分なりに真っ直ぐ解釈するなら、それは子どもたちに対する想いなのかなって。やっぱり、順番ってあると思うんです。自分より先に旅立たれることが辛い存在というのは、子どもたちです。

 親という存在は、子どもたちにとってはそれ程思い入れが強いわけではない。それは私自身が親に対して抱いてきた想いです。だから、私は自分の子どもたちにはそれぐらいにしか想われてないと思っています。でも、親となった今、私は子どもたちを死ぬまで特別な存在として想い続けると考えています。だから、親として、死ぬまで子どもたちに片想いなんだと。

 でも結局、この片想いを順繰り続けていくことが、命を繋いでいくことの意味であり、人がこの世界に生まれ落ちたことの価値なのではないか。たぶん、これが今、子どもたちの成長を実感しながら、少しずつ私から離れていく子どもたちの存在を無意識に感じている私の素直な感想なんだと思いました。


 こんなことを考えさせてくれたこの曲に、改めて感謝の想いを綴ったnoteでした。



おわり

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