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緊張と弛緩、初冬の雑記。

 朝の気温もマイナスになりまして、いよいよ冬を迎えましたね。雪の便りも聞こえたところで、今シーズンの波乗りを終了したノックです。今年は師走からコンスタントに雪山滑りたいなー。
 気がつけば、単身赴任4年目の2023年もあと僅かです。今年のnoteは気が向いた時にしか書いていなくて、もうちょっと書けば良かったなとか思ったので、年末も近いこの時期からちょこちょこ書いて行きます。


ピアノ発表会

 昨日、次男と三男が通うピアノ教室の発表会がありました。参加したのは三男だけ。次男は恥ずかしいのか、やる気がないのか良く分かりませんが、参加はせず、家族みんなで三男の応援。私自身はピアノの発表会というものを見るのが人生初だったので、どんな感じなのかなーと楽しみにしていました。カミさんは小さい頃ピアノ習ってたので、雰囲気的なものは分かってるようでした。ビアノ教室は週一回、土曜日の午前中の時間帯に、次男と三男を私が連れていってます。次男は小学3年生から通って今年で2年目。三男は兄に影響されて、小学校に入った今年から始めました。昨年も次男は発表会に参加しなかったので、今年、三男が出ることになって、ようやく発表会を見る機会を得ました。
 練習も佳境に入った先々週、三男が風邪でダウン。この2週間はあまり練習できてなかった三男ですが、もともとコツコツ練習してたので、本人的には全然問題なさそう。当日も会場へ向かう車の中で兄貴たちとキャッキャとふざけ合って緊張感がない。本番も妙な落ち着きで淡々と演奏を終えました。おお、さすが末っ子。怖いもの知らず。これが心配性の長男だったら発表会の前日から緊張で眠れないとか、そんなんだったと思う。
 

習い事の目的って?

 発表会には、幼稚園の年少さんから中学生まで、いろんな子が参加してました。表情や仕草、ピアノの弾き方などなど、個性が出ますねー。ピアノのレッスンは個別にやっているので、次男、三男の前後に来る生徒さんしか見たことなかったので、こんなにたくさんの生徒さんがいるんだと知りました。
 たまたま後ろの席に座った親御さんが、「ピアノのを習わせるからには、発表会に出ることが1番大事」みたいなことを言っていました。先生も、発表会に出たくないと言う次男に「人前に出ることの練習になるよ!」と言って出場を促してました。それはそう。人前に出る機会ってなかなか無いし、小さい頃から慣れることで苦手意識がなくなるならそれは良いことだと思う。
 そう思いつつも、個人的にはそこまで発表会にこだわる必要は感じてなくて、本人が出たけりゃ出れば良いし、出たくないのに無理やり出すこともないかなって。うちの場合は、習い事は本人がやりたいと言わない限りやらせない。そして、習い事を始めたからといって、一生懸命練習しなさいとも言わない。次男はビアノ教室でしかピアノを弾かない。ピアノの上達のためには、毎日弾いたほうが良いのだろうけど、たぶん、次男は上手くなりたいからピアノを習っているのではなくて、毎週末、三男と私と一緒に、ピアノ教室に通うことが好きなんだと思う。私も子どもの頃、書道を習っていたけど、友人と一緒に教室に通うのが楽しかっただけで、書道そのものにたいして興味はなかったし。それに対して、三男は自分が弾けるようになったところをみんなに見て欲しいんだろうなー。褒めてほしい。学校では猫を被っているけど、自己主張は兄弟の中で一番強いから、親に認めて欲しいという気持ちも強いと思う。性格の違いでしょうね。


本質は変わらない

 ちょっと話が変わりますが、先日、職場の後輩に、「ノックさんは、何をきっかけに自分が大人になったと思うようになりましたか?」と、聞かれました。たしか、髪型の話がきっかけだったかな?白髪の話だったっけ?まあ、どちらでも良いですわ。んで、私はちょっと考えて、「うーん、まだ自分は大人になりきれてないと思う」って答えました。子どもの頃と今は明らかに違うのだけと、じゃあ、どの部分がどう変わってきたのかって言われると、一言では答えられない。強いて言うなら、自分が変わったと思ったのは、子どもが生まれたときなのかなー。立場が変わったと言う意味では。でも、自分の性格というか、性質は小さい頃から何も変わってなくて、他者や社会生活に適応する技術を覚えて、それを使っているだけみたいな感じでしょうか。だから、ふとした瞬間に自分の弱さや醜さが出てきてしまう。いかに良い人ぶっても、自分の悪い癖が出てしまう時がある。
 自分の子どもたちも、きっと今の性格のまま、これからの人生を過ごしていくんだろう。自分と向き合って、変わらない自分自身と変えることのできない世界に対峙して、自分の手持ちの道具でこの世の中を渡っていくんだろう。そんなことを考えました。


他者と触れ合うこと

 冬を迎えて、早起きするのが億劫になってきました。特に週末、寝るときは私の隣に三男が寝ているのですが、寝ているときにふと、三男の手や足に触れることがある。子どもの手足って、すごく温かいんですよね。朝、起きようと思ったときに子どもの手足に触れると、フッと気が抜けてまた寝てしまう。きっと、その温もりに触れるだけで気持ちが安らいでしまうんだと思います。それは本能的なものなんでしょうね。
 物理的に触れ合うだけじゃなく、誰かと話したり、同じ時間を共有することもまた1つの触れ合いの形で。そうやって人は心や身体を温めながら生きている。働くこと、遊ぶこと、争うこと。何事も他者があって成り立つこと。結局、何をするにしても、他者と関わることが目的なんだと思います。


最後に

 季節の変わり目は心身が不安定になりがちで、いつもは考えないようなことを考えて、勝手に不安になってしまったりします。でもこうやって書くことで、その不安に形を与え、自分自身の心の内を眺めることができる。
 これからしばらくの間は、長い夜を過ごす季節となりますが、せっかくの夜長を充実したものにしたいので、物語を観たり読んだりしながら、それらを咀嚼して、自分なりの文章も積極的に書いていきたいと思います。



おわり

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。