見出し画像

中秋の名月と芋名月

秋の真ん中にあたる太陰太陽暦の8月15日を「中秋」といい、太陰太陽暦の8月15日の夜に見える月を「中秋の名月」といいます。2022年は9月10日(土)に見える月が中秋の名月です。中秋の名月と満月の日は重ならないことも多いのですが、今年は中秋の名月と満月が同じ日になります。

国立天文台HPの解説での中秋の名月と満月の日付がずれる理由
・中秋の名月は太陰太陽暦の日付(新月からの日数)で決まるが、満月(望)は、太陽、地球、月の位置関係で決まる。
・月の公転軌道が楕円形であり、新月(朔)から満月(望)までにかかる日数が13.9日から15.6日と大きく変化する。

名月の日に月を鑑賞する風習は、平安時代に唐から伝わったといわれています。平安時代のお月見は詩歌や管絃を楽しみつつお酒を酌むといったものでしたが、室町時代の後期には名月の日にはお供えをするようになりました。
中秋の名月の頃はサトイモの収穫時期でもあり、収穫したサトイモをお供えすることから「芋名月」ともいわれています。御所に仕える女官達によって書き継がれた当番制の日記「御湯殿上日記」には「名月御祝、三方(宝)に芋ばかり高盛り」という記録があり、サトイモをお供えしていたようです。
お月見の慣習が浸透したのは江戸時代で、サトイモに変わってお月見団子やススキをお供えするようになりました。
各地域によって月見団子の形は違い、関東地方では丸型で関西地方ではお餅に餡を巻きつけたサトイモ型が伝統的なスタイルになります。

成形図説

サトイモの原産地はインドや中国や熱帯アジアと言われていますが、インド東部からインドシナ半島にかけてという説が有力で、少なくとも紀元前3000年頃にはインドで栽培されていたとみられています。そこから、古代マレー族の移動とともに、太平洋一帯に広がりました。サトイモが日本に伝えられた時期ははっきりとしませんが、稲の渡来よりも早い縄文時代後期と考えられています。

里芋の古語は「ウモ」で、芋といえばサトイモとヤマイモのことでした。サトイモという名前の由来は山地に自生していた山芋に対して、里で栽培されることから里芋という名がついたとされています。「ヤマノイモ」に対して「イエツイモ」とも呼ばれていました。

東アジアではお月見が始まる以前から旧暦の8月15日にサトイモの収穫祭がある地域が多く、日本でも同じようにサトイモの収穫祭があったと考えられます。
昔から中秋の名月の頃は美しい月を鑑賞する日でもあり、大地からの恵みに感謝する日でもあったようです。


参考:フリー百科事典Wikipedia


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?