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じっさいには不自由が好きなんだ

村上春樹さんの小説がすきだ。
全作品読んでいるような熱狂的なファンではないが、読んだ作品は漏れなくお気に入りになり、本を手放したことがない。

「最終的に意味がわからない」「言い回しが難しくない?」
友人にはそう言われることが多い。
確かには言い回しが独特で、読み終わっても考えさせられる作品が多い。
ミステリー小説のように犯人やトリックがわかりスッキリする!という事はほとんどない。

以前もここで述べたが、私は読解力がない。
本は好きだけど、読書感想文なるものを書けない。
どうだった?と聞かれても答えられない。
だから、村上さんが本当に伝えたいこと意味は理解できていないかもしれない。
それでも私は村上さんが書く文章が好きだ。
細かい情景まで頭の中に浮かんでくる。
時には綺麗な景色も、時には血が流れるような怖い景色も。
そして、はっとさせられる言葉が多い。
できるのなら、村上さんの本は蛍光ペンだらけ付箋だらけになると思う。
(自己啓発本ならまだしも、小説にはしないけれど)

いま「海辺のカフカ」を読んでいる。
村上さんの作品で一番思い入れのある作品。

最初に読んだのは2005年、文庫化した時だ。
(今から17年前!時が経つのは早い)
書店でズラッと平積みされた本を何気なく手に取ったことがきっかけだった。
私は当時から本を買う時(なにかの本で読んだことに習い)、最初の5ページ・真ん中の5ページ・最後の5ページを読んで興味が沸いたら買うようにしていた。
海辺のカフカはその習慣を無視して、何ページも読み進めてしまったことを覚えている。興味が沸いたらどころか、先が気になって気になって、レジで購入したあとすぐ喫茶店入って読みふけってしまった。


17年の時を経て読み直すと、当時とは違う文書に心が動かされる。
今回はこの文章だった。

「田村カフカくん、あるいは世の中のほとんどの人は自由なんて求めてはいないんだ。求めていると思いこんでいるだけだ。すべては幻想だ。もしほんとうに自由を与えられたりしたら、たいていの人間は困り果ててしまうよ。覚えておくといい。人々はじっさいには不自由が好きなんだ

海辺のカフカ 著・村上春樹

何度か読んでいるが、この文章が心にとまったのは初めてだった。
現在私自身が、職を離れて自由な状態だからかもしれない。
朝から晩まで働いて、有給も取ったことはなかった。休日には体力回復しかできなかった。退職後は、ゆっくり羽を伸ばそう、なんでもできるんだ!と思っていた。
それが退職して結局わたしはいつもの行動しかしていない。
いつも行くところでいつもしていた事をする。
せっかくだから旅行にでもいけば?と言われても、なんだかんだと理由を作って行動しなかった。
だからこそ、この大島さんの言葉を読んで「その通りだ」と妙にしっくりきたのだ。

村上さんの作品を読んだあと、決まって何か言葉を文章にしたくなるのはなぜだろう。
気持ちが高ぶって書きなぐってしまうことが多い。
私にとってはそこも魅力的なのかも。

今日も続きを読もうと思う。
お気に入りの音楽をかけて、本に向き合う。
これが私の好きなことだ。
不自由だって、しようと思えばいつでも好きなことはできる。
今のわたしは自由だからもっともっとのめり込めるはずだ。

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