雑草に学ぶキャリア戦略・生き方戦略
先日、とある人から「この記事好きそう」とシェアしてもらった東洋経済の記事が面白くて、その中で紹介されていた本を購入して読んでみた。
農学を専門とする静岡大学の稲垣博士が一般読者向けに雑草の生存戦略について分かりやすく説明している本、『雑草という戦略』。
内容は、道端に生えている草についてなのであるが、私はこの読書体験を通して単に草の生態を知って知的好奇心が満たされるだけでなく、自分の人生のヒントと勇気を貰うまでに至り、胸が熱くなった。この本を読んでから会う人会う人に雑草の面白さを熱く語っているので、若干疎まれているかもしれない。だって面白いんだもん。
ここでは私がこの本を通して学んだ雑草の生存戦略の底知れない面白さをシェアしたいと思う。
植物界における勝ち残り戦略は?
植物が遺伝子を絶やさず子孫繁栄していくための戦略といえば、どういうものが思い浮かぶだろうか?
私は以前訪れた屋久島の森のイメージが浮かぶ。大木は周囲のどの木よりも高く広く枝葉を伸ばし、太陽の光を広く受けて自らの養分としさらに幹を太くし、根を広く伸ばしていく。周囲の木も負けじと枝葉を伸ばし、日光の取れる隙間を所狭しと埋めていく。周囲より早く成長した木は、日光を受けてさらに大きく強くなっていく。一方、成長が遅れた木は日光や養分が十分に取れず小さいままで弱っていく。
「周囲より早いスピードで枝葉や根を伸ばして、水・日光・土中の養分という資源の取り合い競争に勝ち残ること」
私はそれが植物の生き残り戦略とばかり思っていた。
だが、実はそれだけではないのだ。
様々な環境下において生き残るための戦略を、植物界はもっとバリエーション豊かに有しているのだった。
「撹乱適応型 -ルデラル-」という戦略
「周囲より早く成長し、資源競争に勝ち残る」戦略、それは植物界における戦略の1要素でしかない。それは植物生態学において「競合型戦略」と呼ばれる。
競合型戦略だけが植物界における勝ち筋だった場合、世界は大木で埋め尽くされているだろう。低い草は日光や土壌の養分をめぐる競争で勝てない。
しかし実際にはそうはなっておらず、世界には多様な姿の植物が存在している。競合型戦略とは別の戦略もあるのだ。それが、「ストレス耐性型戦略」と「撹乱適応型戦略」だ。
「ストレス耐性型戦略」は荒野のサボテンをイメージすると分かりやすい。彼らの種がもし屋久島の森のように、雨がたくさん降って養分も日光も豊かな生育好適地に置かれたら、枝葉をぐんぐん伸ばす周りの木々の中で為す術なく負けてしまうかもしれない。しかし彼らは水も養分も少ない荒地という環境で耐え抜くための特性をスペシャリスト的に身につけている。そういった環境に他の植物は乗り出してこられない。資源の乏しいストレスの高い環境が、彼らストレス耐性を身につけた植物たちの独壇場になるのだ。
「撹乱適応型戦略」は文字面からはパッとイメージしづらい。撹乱に適応する戦略ということだが、「撹乱」とはなんだろう。辞書を引くと「混乱が起きること、かき乱れること」とある。要は、かき乱される環境の波の中でその「かき乱し」にうまく適応しながら子孫繁栄していきますよ、ということだ。
人間の世界ではcovid-19という「かき乱し」が起こったばかりだ。(生きている限りで)これまで経験しなかった規模の変化が世界のほぼ全ての地域、ほぼ全てのレイヤーで起こっていることを我々は目の当たりにしている。covid-19以前からもVUCA(予測不能な状態)の時代と評されて久しい。世界はより変化が激しく、不確実で、複雑で、不透明なものになっているみたいだ。
そんな中で、「かき乱し」をうまくかわすだけに止まらず、適応して強みとしてしまうような植物の戦略には、とても興味が湧く。
植物生態学では上記3つの戦略の三角形をC-S-R三角形と呼ぶ。それぞれの植物がどれかひとつの戦略のみ有しているのではなく、C-S-R三角形のそれぞれの位置にマッピングされるような形で独自の戦略を築いているそうだ。この様にバリエーション豊かな彼らの生き抜く戦略を知れば、自分自身の身の回りの様々なイシューを考えるための比喩表現が増える。自社の事業について。キャリアについて。生き方について。様々なレイヤーにおいて考えるときのヒントになる。
例えばキャリアについて。人には自分に合った様々なキャリア戦略・生き方戦略があるはずだ。隣の人より早く評価され早く権限を得て責任範囲を大きくし昇給していくという「競合型戦略」の働き方・生き方が自分に合わないと感じながら、それでもその中でやっていかないといけないと思い込み苦しんでいる人もいるかもしれない(以前の私自身も実際その傾向にあった)。けれども、植物界においては(きっと人間界においても)実際「勝ち方」は一つではない。新たな戦略を知り、世界の解像度を一段上げてみると違うオプションが見えてくるかもしれない。
事業戦略にも役立つかもしれない。マーケットは潤沢だが競合製品も多い消費財メーカーの商品がドラッグストアの棚の取り合いをする様子は、競合型戦略の木々が森の中で日光の奪い合いをして所狭しと枝葉を伸ばす様を想起させる。一方で流行り廃りの激しいアパレルを扱う企業では、撹乱適応型戦略がビジネスモデルのヒントとなるかもしれない。
とはいえ、そんなことまで考えなくとも、とにかく雑草の撹乱適応戦略はおもしろい。「SASUKE」が次々繰り出す難関を乗り越えていくアスリートみたいに、様々なレベルの撹乱=かき乱しに対して、雑草たちはあの手この手で突破してくる。むしろその撹乱を待ち望み、それを契機にして一気に拡大し、子孫を増やしていくのだ。「さすがにこの難関は、このかき乱しは、突破できないだろ〜」と思うところでも、彼らは思いも寄らない策で乗り越えてくる※。堺雅人が睨みを利かせて「倍返しだ!」と叫ぶのに匹敵する爽快さがあるのだ。ここでは本書で紹介されている様々な戦略の中から一部を紹介したい。
撹乱レベル1 「踏まれる」
花壇の花や畑の野菜は、踏まれると茎が折れて枯れてしまうだろう。
一方でオオバコは、柔らかいながらも千切れにくい構造をもち、踏まれてもしなやかに受け流す。さらに、強いだけでない。彼らは踏まれる機会を利用して種子を広げる。オオバコの種子は雨に濡れるとネバネバして、踏んできた靴にくっついて運ばれるのだ。結果的に踏まれる場所に生えていたオオバコの遺伝子が広がる。彼らは「踏まれるスペシャリスト」なのだ。
撹乱レベル2 「刈られる」
踏まれて折れなかった雑草でも、鋭い歯で無残にも刈られてしまったらどうだろう。雑草はこれにも負けじと対抗してくる。
イネ科の植物は、葉を生やす成長点を低いところに持っている。これによって、葉が刈られたり動物に食べられたりしても次の葉を次々に伸ばすことができる。成長点を高く持てば、そこから枝を生やしてより高く広く成長することができる。しかしイネ科植物はそのメリットを捨てて刈られることへ対応するところに子孫繁栄の活路を見出したのだ。
ゴルフ場の芝に混じるスズメノカタビラは、生えている場所がフェアウェイなのかラフなのかによって、その種子から生える草の高さが異なるという。周りの芝の高さに合わせてフェアウェイは低く、ラフは高いところで穂をつける。刈られるギリギリの高さで穂をつけた遺伝子が残り繁栄するからだ。
撹乱レベル3「根こそぎ抜かれる」
踏まれ、刈られ、散々な目にあい、様々な苦難をこれまで乗り越えてきたけれども、流石に根こそぎ引っこ抜かれてしまったなら、もう為す術はないだろう。草を引き抜くその悪魔の手がもうすぐそこまで迫っている。
全ての視聴者が敗北を覚悟したその時、堺雅人、否、雑草はまた力強く啖呵を切るのだ。
「1000倍返しだ!!!」
無残にも根こそぎ引っこ抜かれたその時、根を支えていたその土が、陽の下に露わになる。その撹乱を契機にして、土壌の中に仕込まれていた無数の種たちが一斉に芽吹き、地面のシェアを拡大するのだ。
プロジェクトコードは「種の銀行」、シードバンクである(半沢だけに)。
どんな植物でもできる技ではない。多くの種子を持ち、種子が土の中に長期間あっても腐らない様にし、発芽タイミングが1時に偏らない様ランダムに調整しておいた上で、虎視淡々とこの撹乱の時を待っていたのだ。
そして我々人類は無敵の雑草を前に、為す術なく逃げ出すのだった・・・。(完)
「強さ」にもいろんな強さがある。
雑草の戦略、面白くないですか!?面白いなぁ。雑草に限らず、生き物の生き様を知ることは世界の解像度を上げてくれ、それまでの経験やバイアスに囚われない選択の幅を提示してくれるように思う(全ての学問がそうなんだろうけども)。
生き残るための「強さ」と一口で言っても、色々な種類の強さがある。PDCAサイクルを高速で回してどんどん出世する人、皆が挫折する誰もやりたがらない仕事をこなし唯一無二の存在になる人、環境変化を感度高く捉えていち早く柔軟に動ける人・・・人間社会でも多様な強さの形がありそうだ。
自分の強さはどんな強さなのか、周りの人たちの強さはどんな強さなのか、掛け合わせたらどんな面白いことができるのか、今後も考えていきたいと思いましたよ。
おわり
※ 本稿では分かりやすさの観点から、「(植物が)乗り越えてくる」といった植物を主語にした能動表現を使っているが、実際は突然変異と自然選択によって「そういう特性をもつ遺伝子が結果的に残った」という表現が正しい。(最近その表現の違いに厳しい人が多い気がするので一応補足)
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