政(まつりごと)と笑い
今日も始まりました。
朝のインスピレーションブログです。
今朝は3月17日の朝5時27分。4時台には目が覚めて起床し、シャワーを浴びて、今近くを散歩しています。だいぶ春の気温になってきましたね。暖かいくらいです。
昨日はラフターヨガのティーチャー養成講座、1日目でした。今回4人ということで少人数濃厚な感じでやってます。高知県、広島県、鹿児島県、そして京都府・地元からご参加いただいていますが、皆さんはるばるお越しいただいて本当に有難いです。
さて、昨日の初日懇親会である話題が盛り上がったので、今日はそのことを語りたいと思います。それは、「ニッポンの笑い」についてです。本来の日本の笑いがこれから大きな鍵を握るということがよくわかってきました。
実は、本来の笑い=神事なのです。全国に残っている笑いの祭は「天下の奇祭」と呼ばれますが、それは現代の話。元々はそれは奇祭でも何でもなく、自然な姿だった。変わってしまったのは、どうやらおそらく現代に生きる我々の方なのです。
そもそも、神事とは一体何なのか。かつてはこのことを政(まつりごと)と呼びました。政(まつりごと)は、神をまつる祭事であり、民を統治する意味でも政治の双方の意味を持っています。本来は政治も祭も一緒だったのです。戦後GHQの国家弱体化政策の一環として政治と宗教を分離する政教分離政策が取られましたが本来はそうではありませんでした。
そして、自分自身の中でも分離がありました。
政治と笑いって、どうしても一致しない感覚がずっとありました。
やっぱり真剣に真面目に成長やるということと、楽しく笑っている状態って、なんとなく対極的な感じがするわけです。もちろん自分も思いを持って笑いの活動してきたので、志を持ってやってきましたが、政治と笑いの不一致感に葛藤する感覚は正直根深くありました。まじめに笑いを語りすぎても違うし、ただふざけているのも違うし、どうしたものかなと。
しかし、その感覚が「笑いの国、ニッポン。」と称して講座・講演をする中で、どんどんと直結してきています。
これから僕は、「日本人の笑い」「日本の笑い」を世に出していきます。形にして届けて行きます。過去振り返ると、学者さんで笑いのことを研究してきた方はたくさんいました。ただ、その学者さんがどれぐらい笑っていたのだろうと想像すると、やはり学者と実践者とはちょっとまた違う要素があるわけですよ。
学者であり実践者であり普及者であり、人様にお届けもして・・・という人は調べる限りいないんですね。想像したらわかると思いますが、学問というのは笑ってばっかりだと進まないですからね。
では、自分はどうだったか。それはとにかく実践をやってきた15年でした。もちろん18から笑いの研究をしてきたから、笑いに関する書籍は片っ端から読みましたし、様々な形で研究してきた自負があります。
ただ、あるときに「勉強だけしてても頭でっかちになってまう」と気づいたのです。頭で知ることと体験して気づくことは大きな差があると思い、一度本を読むのを全部やめたくらいでした。
だからこそ、実学・活学(活かせる学問)としてたくさんの方にお喜びいただいてきたのだと思います。
そんな自分が、今、改めて笑いに関する書籍を読み返していると、新しい発見がいっぱいあります。実践を極めてきたからこそ気づくことがたくさんあるのです。そして全てがつながってくる感覚があります。「笑い」の分野の研究を極めてきてくださった変人、狂人と呼ばれてきたに違いない研究者の方々に心から敬意を表し、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
真の政(まつりごと)は、笑いから始まる。
今日のインスピレーションブログの内容はこちらでした。
祭り事は笑いであり、笑うことは祭りごとそのものである。
人々が笑うことそのものが天と一体なることであり、 万人が笑っていること自体が政治としての政(まつりごと)が目指すべき姿です。
ですから為政者も笑う。民も笑う。みんなで笑う。神・天と一体となって笑う。 これが真の政(まつりごと)であると言挙げして締めくくりたいと思います。
ありがとうございます。
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