2024.03.01~日本 刈田岳 船形山 辺野古


テスラはキリスト教徒だったんだ。アインシュタインとテスラの対談を持って欲しかった。音楽と光について、光と物質とエネルギーについて、宇宙は歪んでいるのか、いないのか。空間は曲がっているのか。電気などなどについて対談して欲しかった!


ビジュアライゼーション。

スピリチュアル。


テスラコイルなどテスラが考えていた事を研究している人はいるのだろうけれど、なんでテスラの業績は世間に広がらないのだろう。エジソンよりももっと知られてイイ様に思う。


認識→光→エネルギー→物質

124875

36

9


124→3

875→6

36→9


レバーとレイバー。仕事の奴隷にならない様に。


アジアは稲と魚で食材が豊か。稲は麦より効率的に耕作が出来る。稲は水により連作が可能、カロリーも高い。

アジアは欧米の様にミルクは必要なかった。日本は特に自然のめぐみが豊か。その反面、自然災害も大きい。想定外が多く森羅万象、八百万の神様がいる。科学の進んだ今でもたくさんの神様がいる。



2024.03.01

雨。

アイスが終わってしまう。


☆Bナッツ


に行く。11:00~16:00。中級が登れない。1500円。


帰る時は青空も見えていた。


2024.03.02

図書館に行く。


絵を描く。雛人形を描く。


2024.03.03

ひな祭り。

雪がチラホラ。


☆元気フィールド


に行く。1000円。

なんか自分は元気がない。楽しむよりも筋トレに感じる。

来週、再来週の元気フィールドはお休みらしい。


2024.03.04

雪が降っている。道路の雪は溶けている。もう春だ。


☆船形山☆


に行く。


No.25まで。雪は新雪なので楽しい。


2024.03.05

6:00に


✩二口渓谷✩


のビジターセンターで相方に会う。

雪が積もっている車道わひたすら駐車場から歩く。


✩独眼竜の右側


2ピッチを同時登攀をして1ピッチで登る。トラバースして更にその上を登る。ロープが引っかかりそうなので懸垂が面倒。3回の懸垂。


アプローチが長い。マルチなので懸垂や確保に時間が掛かってしまう。自分の様にまだ登り方が身に付いていない者にはアプローチも近いし、距離が長いので独眼竜でイイかも。なかなか基本が身に付かない。どうしても力んでしまう。刃先も上手く研げない。


山形から偵察に来た人がいた。


車に着いた時は暗くなっていた。ヘロヘロだ。


お気に入りの露天風呂もパスして、家で仮眠のつもりが爆睡。真夜中に起き出してお風呂に入る。そしてまた寝る。


2024.03.06

雪が歩道に積もっている。雪かき。


家族がやってきた。


ひな祭りの絵を描く。仕上げようとするとどうしても濁るし、説明的になってしまう。


✩船形山✩


升沢の駐車場まで車道にはほとんど雪は積もっていなかった。明日もあるので登るのはNo.26まで。雪は重くない。3月にしてはイイ感じ。


スーパーで中トロとカルピスウォーターを買って母の所に行く。母はリハビリをしている様で会えなかった。


明日は泊まりの山行になるので準備をする。


明日は二口のアイスの日帰りになった。


2024.03.05

7:00に


✩二口渓谷✩


に行く。

ビジターセンターで相方と会う。雪が積もっているのでワカンを付けて歩く。エブリでは入れない。アプローチが長い。


⭐︎独眼竜の右⭐︎


2ピッチ繋げて登る。ロープが足らないので少しだけ同時登攀。トラバースをしてもう1ピッチ登る。それから懸垂を3回して今日はお終い。マルチなので、登攀よりもロープワークに時間が掛かってしまった。まだまだバイルの振り方を練習中の自分には1ピッチで何回も何回もトップロープの方が合っている様に思った。とても実戦的なルートに感じた。

独眼竜だとアプローチも近くて、バイルの振り方の練習にもなった様にも思った。

独眼竜をマスターしてからコッチだと楽しめると思う。


山形から偵察に来ていたパーティがやって来た。そして、独眼竜に向かっていった。


駐車場に着いた時は暗くなっていた。ヘロヘロだった。相方は相変わらず元気だ。露天風呂に入ろうと思っていたが道を間違えて家に直行。仮眠のつもりが爆睡して夜中に起き出して風呂に入った。メチャクチャ疲れている。


眠れないので映画を観る。


2024.03.06

雪が積もっていた。道路はほとんど雪は消えていたが歩道の雪かきをする。


ひな祭りの絵を描く。仕上げようと細部を描くと説明的な塗り絵になってしまった。なかなか大胆な感じに出来ない。


家族がやってきた。これから9人家族。10人かな。食事と洗濯などなど、いまどきでは珍しい大所帯だな。


山岳会の集会に行く。保険と会費で11000円。


黒伏の橋を撤去するらしい。なんかこの会はジリ貧に向かっているのを痛感してしまう。なんとかならないものか。


日本と同様にこの会も高齢化。日本以上の凄まじい高齢化を感じる。平均年齢は60に近いかも。

この橋の撤去はこの会のジリ貧を世間に公表している感じに思えてならない。

まさに終活に向かっている感じがしてならない。こんなに歴史のある会なのにバリバリ登る人がコレでは入ってこない様に感じる。他の会に入ってしまう。

東北では山岳会に入ろうとする人はもういない様な時代なのかもしれない。この橋を撤去したら高みを目指す人はもうこの会に入って来なくなる様に思えてならない。なんで今なのだろう。

まだまだこの橋を利用している人がいるのにわざわざ取り壊すのはなんでなんだろう。今はこの会でこの橋を使用する人はいないのかもしれない。しかし、取り付きに行きたくなる事もあるかもしれない。登りたくなる事もあるしあるかもしれない。キビタキの池を観るのも楽しいし、山菜もキノコも採れる。冬も登攀をしないでも猛吹雪の中のウインターキャンプも楽しい。冬にあの沢を渡るのは辛い。ますます黒伏が遠くに行ってしまう。猿岩もダムが出来て冬にはもう行けない。東北での冬の登攀はどうなるのだろう。暖冬でアイスもままならない。


なのになんでわざわざこの橋を取り壊すのだろう。その発想が理解できなかった。

そんなに焦らずに橋がかなり危険になったら補強するか、取り壊しにするかを考えればイイ事だと思う。まだまだ橋は健在だ。今でなく、もっと後でもなんとかなると思う。


一般社会からの保身なのか。


世間からみるとハチャメチャな事をしてきたこのトゲトゲしていたこの会が一般社会の一員に溶け込んで丸くなっているに思えてならない。


山道(やまみち)を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)差せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。

 

磨かれていない角だらけでイイ。


浮き世、憂き世にそんなに急いで戻らないでイイ。


石橋を叩いて渡るどころか、鉄骨の橋をぶち壊そうとしている。高みを目指す天空への架け橋がまたひとつ消えていく。残念でならない。


猿岩の公民館が胆沢ダムで埋没し、「クライミングジャーナル」と「岩と雪」が廃刊になり、一般車の谷川の出合いへの道が通行禁止になり、高みを目指す天空への架け橋が日本からドンドンと消えていく。


城ヶ崎の残置ロープの撤去にはうなづける。


黒伏や谷川などのハーケンの回収はうなづけない。冬が登れなくなってしまった。


個と組織の「二元論」だな。


山行計画の有事判断時刻にしろ、この橋の撤去にしろ、自分の理屈は自分勝手なのかもしれない。議論を巻き起こすほどの事でもないのかもしれない。事を荒立てるほどの事でも無い事なのかもしれない。それでもせめて話し合いをしたいと感じるのだけれど、どうにもならないと感じる自分がいる。いろいろと磨かれると言うよりも削られてきた。輝く事はあまりなかった、傷だらけだけれどまだまだ遊べる気がする。


自分もジリ貧だな。


今回のミーティングは9人の参加だったが誰もこの橋の撤去に異議を訴えなかった。

「岳人」への国体に対する投稿、宮城山岳連での人工壁への交渉、遭難対策訓練の反省会、黒伏のトンネルでの異議申し立て、ラインへの投稿などが蘇り異議を訴えなかった。山道を登りながら自分が勝手なのかもしれないとも考えられる様になってきた。

人を変えるよりも自分を変えろ。でも組織を変えたい。日本も変えたい。世界も変えたい。無理だな。


こんな愚痴をFacebookに上げるなよと感じる人もいるとも思う。


1962年  10月 62年前のキューバ危機

1969年  55年前の東大安田講堂事件

1976年   45年前のスリーマイル島原発事故

1986年   38年前のチェルノブイリ原発事故

1991年   28年前の自衛隊ペルシャ湾派遣

2003年   21年前の自衛隊イラク戦争派遣

2011年  12年前の福島第1原発事故

2017年   7年前の共謀罪の設立


戦後から公害を垂れ流しながら、高度経済成長を続け、廃墟と化した日本は経済的に豊かになってきた。1964年には東京オリンピック、パラリンピックも開催した。しかし、日本も世界もドンドンと取り返しのつかない方向に歩んでいる様に感じる。


原発か戦争か。地震もかな。


谷川の入山届けの偽造の捺印が非難されるならば、当然この橋の存続を望む異議は却下されるのは明らかに感じた。

あの橋が渡れなくなるのは淋しいが、異議を訴えられない自分がまた寂しくなった。


役員の改選の話も出た。みんなで助けあったり、意見を出しあったりすれば、例え能力が足りない者が役員になったとしてもみんなで補ってやっていけると思うのだけれど、現状維持になった。誰もそんなに完璧な能力は持っていない。誰もが哲人政治が出来るわけない。


個と組織の「二元論」


多少の不便も感じるが事を荒立てるよりも現状維持で能力のある人に頼るのも有りなのかもしれない。しかし、このままではこの会がジリ貧になる気がしてならない。橋を撤去したらジリ貧を公表してしまう様にも感じた。更にバリバリを志す者は入ろうとしなくなると思う。


個と組織の狭間をどの様に埋めていくか。組織を自分に合わせるか、組織を自分に合わせるか。


沖縄県名護市辺野古で進む米軍基地の移設工事で、国は県の権限を奪う「代執行」に踏み切り、新たな工事を始めた。

県と国の関係。個と組織の関係。

「二元論」だな。

ほとんどニュースにもなっていない。「代執行」を国がした。めちゃくちゃ怖い事なのに取り上げたマスメディアはほとんど無い。

辺野古の問題は「代執行」で終わってはいない。

コレから何兆円も掛けて埋め立てが行われる。これからの辺野古のニュースはどうなるのだろう。

心配でならない。

「代執行」が宮城県でも行われる。他県の事ではない。福島に東京電力の原発があるのと似ている構造だ。論理としたら皇居に原発を作った方がイイ。

日本は法治国家なのだけれど、個と組織の狭間で組織の理論。強者の理論で最高裁判所も判決を降した。

朝日新聞ポッドキャストのニュースの現場 2024/03/26 #1459

を最後まで聴いて欲しい。




辺野古はまだ終わっていない。




仙台には宮城の山岳会が集まって遭難対策の訓練をする団体がある。

警察も消防も登攀の技術がとても貧弱なクライミングがとても危険だった昔々の頃の事だ。その頃に登攀をしている者が集まって、自分らでなんとか遭難した時に助け合おうと、相互扶助の様な会を組織した。登攀をする人がとても少ない頃だ。シットハーネス、8環、リングボルト、ハーケンに時には鉄ビナーも使用していた頃らしい。

警察や消防に頼らずに、仙台の登攀をしている会がお互いに協力をして、事故が起きた時に助けて合うのを目的にして作られた会だ。自分が宮城にやって来た時には10団体以上が集まって運営されていた。1/3システムやスキーによるソリの作り方や自己脱出などを練習したり、レスキューストレッチャーなどを購入したりしていた。自分も訓練のテキストを製作し訓練を受け持った時もあった。


訓練の前日に他の団体の方と一緒に登った事もしていた。

しかし、時代が変わった。

訓練の日は山行禁止になるのは解るが前日の山行も禁止になった時もあった。

山岳会に入らなくてとも、消防ヘリも出てきたし、ココヘリもある。

登攀の技術の習得だったらお金を払えばある程度の技術は得られる。

ネットやジムでパートナーも見つけられる。

ガイドを雇えば何処にでも連れて行って貰える。


昔の様に殴り合いのケンカをしても、パートナーが見つけられずに、また同じ面子でパーティを組む事もしないで良くなった。外国へも現地でパートナーが簡単に見つけられる。仙台でパートナーを見つける方が寧ろ大変だ。便利な世の中だ。今の人はわざわざ訳の解らないルールに縛られる山岳会に入る必要を感じないのかもしれない。

またこの会から1団隊が抜けるらしい。今はこの会に何団体が所属してきるのだろう?


自分は山岳会でしか得られない人間関係や登攀の技術ぁあると感じる。特に冬山はかなり深いものを得る事がでると思う。

山岳会での活動は過去のものになってしまった気がする。新しい会員が入ってきていない。自然と高齢化が進み、ついに黒伏の橋も消えてしまう事態になってしまうらしい。


今はもう山岳会の時代では無いのだろう。どの会も高齢化が激しいらしい。クライミングよりもボルダリングの時代にもなってきた。


三本の矢の様に、人間はまとまる事に寄って大きな力を作ってきた。この団結で様々なものを創ってきた。黒伏の橋も会と言う組織があったから作る事が出来た。たくさんの思い出の架け橋だ。その橋を壊すのはとても寂しい。その橋がなくなろうとしている。


クラウドファンディングではこの橋を作るのは無理だろう。こんな橋を勝手に作って、何か事故でも起きたら、処罰される時代なのだろう。


仙台の登攀をする全部の山岳会が一旦解散して、新たに集結すればイイと思う。

しかし、信念と言うか「こだわり」がある様だ。このまま各山岳会はバラバラに少しずつジリ貧に向かう様だ。それも寂しい気がする。


会の運営を考えるよりも、クライミングファーストと言うか、組織よりも個に対しての活動を見直す時だと感じる。


山への情熱があったら、わざわざこの橋を今撤去するのはどうかと思う。


保身。


一般社会からの処罰など無視すればイイ。


こんな愚痴を読んでも面白くない人も多いのだろう。


でも、自分には文章を書く事がかなり老化防止の効果のある様に感じられる。こんな愚痴でも人を引き付けられる様な文章が上手くなりたい。

個人情報の垂れ流しだけれど、自分の珍しい体験を記録して、いつかまとめてみたい。


2024.03.07

晴れ。


☆船形山☆


のんびりと升沢に向かう。

宮城ナンバーが2台止まっていた。3人ぐらいが入っている様だ。No.18まで登ってシールをはがす。シールは今回も問題なかった。シールはアイロンで温めるのがイイ様だ。

最後の方は雪が溶け出していたが全体的には楽しく滑れた。


家族がユーチューブで表彰されていた。賞金は貰えるのだろうか。


家族の送迎。


2024.03.08

雪が少し積もっている。雪かきをする程ではない。


2024.03.09

雪はさほど積もっていないし、降ってもいない。風はある。


✩セントメリースキー場✩


に行く。営業はされていない。1週間だけ開業して廃業したらしい。町の運営らしいが大変だな。

国体の人工壁もない。思い出のあるスキー場だ。

スノーボーダーも4人いた。

1番上まで行って監視小屋で休む。とても凄い雪と風だ。

表面だけがクラストしている。その下は柔らかいので板のコントロールがとてもムズい。新雪の場所もあるけれど、風も強いので1本でおしまい。


駐車場に行くとスタッフの人が声を掛けてくれた。営業を止めたらこの雪だと残念がっていた。営業はしなくなったけれど、また来て下さいと言われた。

山形の閉業をしたスキー場に行った時は、誰かが事故を起こしたらしく断られた事があった。


このスキー場に人工壁を設置して国体が行われた。「岳人」に自分の投稿が載って、第2総合運動場に移転された。結局はこの人工壁は箱物でしかなかった。

お役所仕事そのものだった。財団法人日本山岳スポーツ協会は国体が出来れば、箱物が作れれば後はクライミングの振興への関心はとてもとても低い様だった。財団法人なのにお金の入る事、大会の事だけに関心がある様に感じてしまう。


財団法人日本山岳スポーツ協会は八王子の国際大会の赤字の反省もなく、今年の大会ではそれ以上の赤字を出したらしい。


2024.03.10

風が強いし、小雪も降っているが遭難対策訓練に行った。


✩澄川スキー場✩


ゲレンデに着くと青空が見えていた。風はややあるので少し寒い。訓練がやれるとの事だ。4年ぐらいコロナや天候などの関係で中止されていたらしい。

スキーは出来そうなので、訓練が終わった後にスキーが出来る様に、ワカンでなくスキーを履く事にする。

上のリフトの近くで18人の参加者でのビーコンと搬出の訓練をした。

サラサラした雪がひざくらいまで積もっている。スキーをしたら楽しそうな斜面をスキーヤーに迷惑を掛けない様にスキー場の端っこでビーコンの訓練をした。

各山岳会ごとで3回に別けてした。山スキーを頑張っている山岳会のチームは、女性の指示で役割を分担してテキパキと行動していた。リーダーがかなり慣れている感じの方だった。スキーも上手くてデブリ的な斜面をスムーズに滑りながらビーコンで捜索していた。

自分らのチームは各自がそれぞれビーコンで捜索していく感じ。自分はゾンデを持ってこなかったのでゾンデを借りての参加。自分はスキーを脱いで、ズボ足で斜面を降りながら捜索した。3Dのビーコンなのですんなりと1人目をゲット。2人目は深く埋まっている様なのでやや探すのに戸惑った。なんとゾンデ棒での斜面の刺し方の方向がダメだと自分のゾンデ棒を取り上げられた。斜面に垂直よりも重力に平行の方がイイと思ったが、どうなんだろう。1番は方眼をしっかりと作る事だと思った。


搬出ではブルーシートで安全地帯まで運んでから、スケッドに乗せる訓練。

昔は埋没者が呼吸を出来る様にだけして胴体などの雪は残して、保温の確保に気を使っていた。今は先ずは安全地帯に直ぐに運ぶ様に変わっていた。


訓練後に駐車場で反省会をする様だったが、山スキーを頑張っている会の方が「移動しないでこの訓練の場所で反省会をする。」代案を出してくれた。駐車場まで降りないでココで反省会が出来る様になった。


良かった。この様な意見を出してくれる人がいるのは助かる。

良かった。この様に少しの時間でも山行をしたい人がいるのが嬉しかった。

良かった。この様に高みを目指す人がいると触発される。

良かった。異なる意見を出し合う雰囲気がとてもイイ。


良かった。スキーが出来る。

ちゃんとスキーの準備をしてくればよかった。


会を運営するのは大変だな。個人と全体の狭間をどの様に調整するかだな。個人と全体との二元論だな。この様に様々な意見を取り上げる雰囲気が尊重されれば若者も少しは入ってくる様になると思う。なかなかムズイ事が山岳会にはあるな。


小学生の頃の自分は運動がやや得意だった。学校ではドッチボールや長馬やタッチチ長縄飛が好きだった。家の近くではソフトテニスボールの三角野球も思い出す。手打ちの野球はボールが暗くて見えなくなるまで道端でやっていた。

バットとグローブの本格的な野球を野原でするようになった。自分はグローブがないので自転車で走り回るグループに入って遊ぶようになった。休みの日は明治神宮までも行ってザリガニを釣った。宮司さんに亀を取っていて怒られもした。

野球やバスケやサッカーなどの球技に入れなくなった。なんとなく勝ったり、負けたりにこだわるのが理解できなかった。段々と球技が苦手になっていた。

負けるのはとても嫌だったが、勝ってもそんなに嬉しくはなかった。

中学生の頃は釣りや海水浴やスケート、映画にはまっていった。アメ横の米軍の払い下げのシラフを買った。たまにソロキャンプをしに奥多摩にいって、その神社の軒下などで寝た。

勝ち負けの無い自分のペースでやれる登山が好きになっていった。焚き火で飯ごう炊飯をして釣った魚を焼いて食べた。

就職してクライミングをしだしたが、コンペは好きになれなかった。組織で列を成しての登山も好きになれなかった。


体育会系から入ってきた人なのか、「さん」をつけないで呼び捨てにして、敬語を使わないでいいですよと言われ驚いた事があった。


山の会に入る人は競い合うのが好きでない人が多い様に思う。体育会系の上下のあるサッカーやバスケの様に華やいだ感じも苦手な人が多い様に思う。


昔は登攀をする人は「長男」で、「理科系」で「自営業か公務員」のどれかが当てはまっていた。自分はどれも当てはまっていた。


それにしてもクライミングをしていると老若男女、小学生とも仲良くなれる。外国人とも遊べる。不思議だ。

身体も頭脳も精神も鍛えられる。

クライミング教は世界宗教だ。


地方分権と中央集権、民主主義と封建主義、個人主義と全体主義、愚衆と独裁、資本主義と共産主義、個と組織。


5、15、50,150,500、1500の人間の理論。

ヒマラヤの登り方でも欧米人と日本人での登りのスタイルが昔はかなり違っていた。


日本の山岳会での極地的なスタイルは衰退していった様だ。日本でもアルパイン的が主流になった。

学校の運動会でも騎馬戦はなくなった。


山岳会に入ってくる人の人数が少なくなっている。なのに何故か今も山岳会は組織が重んじられている。集団での安全を考えるとある程度の足かせは必要なのだろう。

昔の国体はテント設営と歩きとクライミングが一緒になって評価されていた。なんか好きになれなかった。


話し合いをして個と組織の狭間を埋めていく事も大切だと感じる。

山スキーを頑張っている会の後を追って行く。山スキーを頑張っている会の方々はゲレンデまでから滑る様なので自分はもう少し登る事にした。

ゲレンデの上もトレースがあるのでそれに従って登っていく。森林限界を過ぎた頃から風がかなり強くなってきた。トレースがハッキリしなくなって来た。シールを1つしか持ってきていないし、地図も無い。スマホが使えなくなったらやばそう。やや平坦になった辺りから滑る。ゲレンデでない新雪の積もった所を選んで滑れたので、かなりフワフワの斜面を滑れた。地図を持っていなかったので途中から少しゲレンデに戻ってしまった。


駐車場でスキーを片付けているとの山スキーを頑張っている会の方々も降りてきた。


✩遠刈田温泉✩


に行くと山スキーを頑張っている会の方々もきた。彼らは神の湯に行くとの事だけれど、自分は観光的でない壽の湯に行く。400円。

男の方は誰もいなかった。受付の人も居なかった。

とても熱かったがなんとか入れた。後から3人入ってきた。

出る時は受付の人がいて400円を払った。


キュウリの塩漬けと山イモとキムチを買って帰る。キュウリの塩漬けは塩っぱ過ぎた。キムチは甘かった。


2024.03.11

6:00に


✩船形山✩


に向かう。

ジオグラフィックが使えなくなったので、ヤマレコを使ってみる。

瓶石近くまで登った。三光の宮ぐらいから道を探すのに苦労する。瓶石の上まで行って戻る。頂上まであと少し。避難小屋まで行くにも、日帰りではもう少し早く起きないとダメだ。三光の宮から滑りにくくなる。雪が重くなってきた。


家に向かう。

シールだけ整理してその他の道具の整理は明日。


2024.03.12

雨。かなり降る。氷が落ちてしまうかも。昨日は船形山に山スキーに行って良かった。今シーズンの最後だった。


道具の整理。


セカンド・ストーリーなどの中古屋を巡り。イイ感じの品物がなかった。


母の面会。母は元気でしっかりとしていた。木曜日に家で昼食を食べに来る事にした。喜んでいた。


楽天カードの書類を郵送する。


楽天のSiMの説明を聞く。海外でも利用できそうだ。とても親切に教えてくれた。


2024.03.13

のんびり。絵を描く。

部屋の整理。冬の道具を片付けるかを迷う。すると外は時々粉雪がチラホラ舞だした。


家族の送迎。


新月。


2024.03.14

晴れ。そして雨。そして晴れ。もう氷は落ちたな。


母を迎えに10:00に行く。

タピオで寿司とケーキを買って家にいく。

3人でのんびり。家族2人は戦中派なので空襲やGHQの話をしていた。マッカーサーが大松沢に来たとか話していた。なんか凄い会話なので理解するのが大変だった。


自分と家族も老化が進んでいる。いろいろと大変だ。

自分は携帯電話の番号を今は持っていない。自分のメルカリもラインも前の携帯電話の番号を破棄したので使えなくなってしまった。家族に家族の携帯電話の番号でメルカリを立ち上げて貰う事にした。メルカリが使える様にはなったのだけれど、何故かカード決済にまで辿り着けなかった。コンビニでの現金決済になった。880円も手数料で取られる。家族も自分もネット社会に付いていけない。


日本で携帯電話の番号を持っていないと普通に暮らせない。携帯電話の番号にヒモ付けられないとネット社会に入れない。

携帯電話の番号がなくとも、マイナンバーでなんとか出来るようにして欲しい。

デジタル庁は何をしているのだろうか。もっとやる気があって、能力のある人に担当して貰いたい。デジタル庁が頑張れば、大蔵省よりも外務省よりも権力が持てると思う。

霞ヶ関を離れてガーデンテラスに城を構えたのに、霞ヶ関のヒエラルキーを壊せないでいる。デジタル庁の人たちへ壊そうとも思っていないのかもしれない。ガーデンテラスが窓際に感じる。


帰ろうと車に乗ったら家族が帰ってきた。写真を撮ってから母をホームに送る。


2024.03.15

晴れ。風が強い。


⭐︎刈田岳⭐︎


に行く。

8:00から歩き出す。気温は低くないのだが風が強くて体感温度がとても寒い。ゲレンデ→道路→頂上。赤布もあって道路まですんなり。道路ではでっかい除雪車が除雪をしていた。道路から上はかなり風が強かった。道路から頂上に行くところでは吹き飛ばされそうになる程だ。それにガチガチに凍っているのでとても怖かった。滑ったら確実に止まらない。何処まで落ちるかも判らない。なんとか頂上に着いてお宮の陰で風を避けて一休み。シールを剥がして一休み。山形からワカンの人たちが6人やって来た。お釜が見えた。風は強いが雪は少なくなったので写真を撮ろうとした。スマホの充電が切れていた。寒さでバッテリーがダメになったのかも。予備のスマホで写真を撮るが風が強くて撮れたか判らない。


ヤマップは電池が途中で切れたので記録がダメだった。ヤマレコは記録されていた。日帰りでも充電器を持っていかないとダメみたいだ。スマホも服の奥で暖めていないとダメみたいだ。


ガリガリの斜面を転ばない様に降りていく。賽の磧まではイイ感じの雪質。自衛隊の人たちが6人で訓練をしていた。高校生ぐらいの年齢の人もいた。

賽の磧からは寒いのだけれど雪が重たくなった。


青根温泉に向かう。じゃっぽの湯は400円。露天風呂に向かうが道を間違えた。


⭐︎仙台市天文台⭐︎


に向かう。シニアなのでタダ。望遠鏡の説明会とプラネタリウムを見学。プラネタリウムは星座の説明なので面白くなかった。プラネタリウムは目がクルクル回って気持ち悪くなる。


晩食は家族の卒業式なのでお赤飯でお祝い。


2024.03.16

晴れ。暖かい。氷もスキーもお終いだな。


絵を描く。


✩元気フィールド✩


に行く。200円。疲れているので13:00から16:00まで。あともう1時間やれたのだけれどギブアップ。指が開いてしまう。


パチンコ屋で漫画を読む。


クライミングシューズを買いに泉のICIに行ったらお店がなくなっていた。


ボルトの破損で怪我をした店員さんはどうなったのだろう。


2024.03.17

暖かい。


スキーにワックスを掛けてしまう。


ワインボトルホールドの試作をしてみた。ちゃんとデザインを考えて、ちゃんとした木材で作ったら売れる様に思った。


2024.03.18

家族と以前に住んでいた町にあるお墓参りに行った。


以前に住んでいた所はほとんど変わっていなかった。太陽光の黒いパネルが裏山に設置されていたぐらいだ。お世話になった人たちは少し老けた気もするがとても元気だ。自分の方があの頃に比べるとかなり老けているのを感じる。


「朝顔の花とその上に置く露」


ある時は、露が落ちて花が残っている時もある。しかし、残っているといっても、朝日にあたると朝顔は枯れしぼんでしまう。


この地域に新築の家は建てられていない。以前と同じ田園ののどかな景色だ。自分の住んでいた家の屋根のトタンのペンキが少し剥がれてきていたぐらいだ。畑も田んぼも家も納屋も手入れが行き届いている。

夏にトタンの塗装をしてあげたくなった。屋根だけでなく、外壁もロープとユマールでぶら下がりながら塗装をしたのを思い出す。そのくらいならまだまだやれそうだ。


「ゆく川の流れは絶える事はない」以前よりも川の水はきれいになっている。川の岸辺はコンクリートで固められている所が増えていた。岸辺から眺める里山には黒い太陽光パネルが鈍く輝いている。

そこに住む人たちは動きがゆったりしている様に感じる。しかし、以前の様に畑を耕し、のんびりと野菜を作り、里山の生活を送っている。田んぼはたぶん誰かに任せているのかもしれない。田んぼに減反の札が多く立っていた。


自分の子どもも代々お世話になっていた方から「もっと野菜が収穫できる季節に来なさい。」と言われて畑で育てられたネギを貰った。


親戚の家にも挨拶に行って、自分の使わなくなった草刈りなどの機械をあげた。コタツが高くなって椅子に座って暖まる様になっていた。座って立つのが楽チンらしい。


帰りは船形山降ろしで雪が舞っていた。今年は暖かかったり、寒かったりと不思議な天候だ。


家で絵を描く。


2024.03.19

晴れ。寒い。


⭐︎元気フィールド⭐︎


に行く。家族を誘ったけれど用事がある様だった。疲れがあるの中級が登れなかった。


明日は家族が生まれる予定日だ。


生むと産む。


2024.03.20

雨。

エブリを洗う。


家族が生まれる予定日。


3:20 家族が陣痛で病院に入った。


4:24 陣痛が収まって一時帰宅。


23:46  再度、陣痛で病院に入院。お産の準備。


2024.03.21

1:37 家族が産まれた。母子共に元気らしい。

コロナの為にお祝いに行けない。夫でも出産に立ち会うだけで、その後は面会が出来ないらしい。


この家族は披露宴もコロナで式場を予約をしたのだけれどお披露目が出来なかった。ウエディングドレスの写真を撮るだけだった。

その時に自分はアメリカにいたので写真に入れなかった。

コロナは家族の入学式などの学校生活にも影響を起こした。学校では今もコロナによるいろいろな規制があるらしい。


晴れ。寒い。


母へ衣類を持って行く。

家族から家族の生まれた写真が届いたので見せてあげた。とても喜んでいた。


2024.03.22

晴れ。疲れている感じなので、ジムではなく岩場でのんびりと日向ぼっこをしようと


⭐︎鎌倉山⭐︎


に行く。なのに風が強い。吹雪にもなり出した。雪の量は大した事ないのだけれど、横殴りに吹雪いている。暫く待機しても天候が良くならない。秘密の露天風呂に行く。温泉は少し温かった。


家族とのキャンプと釣りの準備。

家族がテントを持ってきてくれた。


2024.03.23

晴れている。風もない。


⭐︎塩釜漁港⭐︎


に向かう。


☆曲木港


に行く。釣り人はいなかった。


☆魚市場


で岩牡蠣300円、マグロのアラ800円を買って奥松島に移動


☆鰐ヶ淵


に行く。釣り人が3人いたが釣れていなかった。干潮で水深が浅いし、海水の温度も冷たい。魚影もない。釣れない様なので、焚き火をしながらの昼食にする。

家族はライターの使い方を知らない様だった。焚き火は直ぐに出来た。岩牡蠣を鉄板で焼いて、マグロのアラをしゃもじでほじくっての昼食。美味しい。

海水を煮て塩を作る。塩が出来たときに雨が降ってきた。釣りは諦めて銭湯に向かう。


途中の


☆野蒜海岸駐車場トイレ


で皿洗い。ココはキレイで広々トイレもある。


⭐︎ゆ処 悠々⭐︎


に行く。祝日のなので700円。平日は650円。サウナ、薬湯、ラドン、露天風呂がある。湯上がりは座敷の食事何処でくつろぐ感じ。


ビッグで鍋の食材の買い物をし


⭐︎新浜町公園⭐︎


に行く。

車中泊。トイレも水道もコンセントもあった。駐車場は無いが路肩に停められる。


車内で夕食。マグロのアラが美味しかったが、骨がデカすぎて煮込んで出汁を作るのは諦める。


もうすぐ満月。


2024.03.24

朝は寒かった。昨日の残りに餅を入れて煮込んで食べる。


元気フィールドはパス。

施設の懇談会もパス。


☆市場の近くの漁港


に行く。釣り人が6人ぐらいいたが釣れてない様だった。ルアーをしてみたが釣れなかった。


☆塩釜港祭り


に行く。9:00で駐車場がもう満杯だった。路肩にも停めていた。かなりの混み方だった。金目鯛500円と鯖寿司2500円を買う。能登半島の地震の義援金になる様だ。マグロの解体ショーもあったがパスして家に戻る。


キャンプ道具のの整理。アイスもスキーもしまう。


家族の友だちがやってきた。もう大人だな。声変わりもしている。


2024.03.25

晴れ。

家族のマットを運びに行く。なんとかエブリにマットを入れる。なんとかマットを部屋にも入れる。明日から10人家族になる。


家族にワインボトルホールドの設計の方法を聞くが難しい様だった。


2024.03.26

のんびりと絵を描きながら新しい家族を待つ。


家族の友だちがやってきた。


雪が降り出した。雪掻きをする。重い雪だ。


家族がやって来た。10人家族になった。


昔の人はこんな寒い中を育っていったのか。大変だな。ミルクとか、服とか、布団などはどの様にしていたのだろう。産むのも大変だし、育つのも大変だ。過酷な環境で自然淘汰されていくのだろう。


戦争をしている国や発展途上国での赤ん坊や子どもの育つ環境はとても大変なのを感じる。


2017年には統計によると世界で5歳以下の子どもが540万人亡くなった。

生後1ヶ月に満たない子どもたちが毎日7000人亡くなっている。年間で250万人だ。

90万人が生まれたその日に亡くなっている。


アフリカなどの発展途上国だけでなく、ウクライナやガサでも起きている。悲惨な状況た。封建時代では当主が先頭に立って戦っていた。今は核が発射されてもしっかりと守られたシェルターで当主が駒を動かしている。


日本でもイージス艦なんかよりも、能登半島の支援などにお金を掛けて欲しい。戦争よりも地震の方が起きる確率ははるかに高い。何処かの国に日本が攻めてきて、能登半島の様な遅さで動いていてホントに日本を守れるのだろうか?

単に子どもがフィギュアを集める感覚で軍備を増強している様に感じる。イージス艦よりもドローンやヘリや輸送船だと思う。3ヶ月が経つのに水も届いていない地区があるらしい。


日本では乳児用の特別な洗剤を使用したり、煮沸したりととても手厚い看護だ。哺乳瓶は塩素系の水に付けている。zoomを使って寝ている様子を確認している。世界の中ではそんな日本は特殊なんだろう。


家族は職場に行かないでリモートで仕事をしている。会議もネットでしている。

家族は忙しくて新しい家族にまだ会えていない。年度末で大変らしい。今晩も22時頃に帰って来た。昨日もだ。朝も新しい家族が寝ている時に職場に向かって行く。

家族は横浜に2泊の出張に行って今はいない。1週間ぐらい前は東京に日帰りの出張に行っていた。

家族は将来に向けて大変そうだ。今も習い事をしている。家でもネットで講習がある様だ。日本はまだ学歴社会に対する受験勉強に追われている所がある。キャリアを付けるにも学歴は大切なんだろう。


家族はこの家に引っ越す前に僻地手当てが出る学校に通っていた。幼稚園、小学校、中学校がほとんど隣接していた。教室の窓からは田んぼでモミを食べにくる白鳥の観察が出来るらしい。家族の同級生はその数を数えていたらしい。

もうその幼稚園も小学校も中学校もみんな廃校になっている。中学校はまだまだ新しい校舎だったので企業が再利用している。

自分がこの町に来た時1981年。その時の人口は14000人ぐらい、今はその半分になろうとする8300人ぐらい。


自分の家族が産まれた時も仕事に追われていた。


日本は特殊な国だな。


「残業」


欧米は「ジョブ型」

仕事に対して人を雇う。仕事の内容、仕事の時間がしっかりと決められている。その範囲だけで働く。人の仕事を手伝う事はその人の仕事を奪うことになる。

自己紹介ではどんなキャリアで、今はこの会社に何年所属していると会社名は後らしい。

転職でキャリアを増やし、給料を上げていく。定期昇給ほぼ無いらしい。

不景気になると簡単に雇用を切られる。好景気だと人員を増やす。被雇用者は人員調整が簡単に出来る。


日本は「メンバーシップ型」

簡単に雇用を切れない。安定した雇用。被雇用者は仕事の分配で好景気、不景気に対処する。人を切らないし、増やしもしない。残業で仕事を調整している。

終身雇用、年功序列、定期昇給。雇用者はその見返りを考えて仕事の大変さに耐える。相互依存をしていく。自然と出来る人に仕事がいく。生産性の効率を個人で取り組み、効率をあげると更に仕事が回ってくる。


組織のシステムを変えないと残業は減らせない。時間も仕事も被雇用者の判断でいくらでも誤魔化せる。

自分が働いていた時も働き改革だとの事でタイムカードでなく、パソコンに自分で出勤と退勤時間を打ち込んでいた。ある程度の時間を超えると医者の診察を受けなければならなかった。なので誰もまともに時間を打ち込む人はいないかった。自分は月末に適当に打ち込んでいた。その作業は30分ぐらいも掛かった。仕事は減らずにイライラする仕事が増えた。


今は終身雇用、年功序列、定期昇給が崩壊している。残業の大変さに耐えてもその恩恵にあやかれない時代になっている。


「仕事改革」 

仕事が好き、楽しい、面白い事が大切。時間に追われ過ぎると、その仕事がどの様に役に立つのか、仕事の先が考えられなくなる。


格差が拡がっている。世襲議員はこの格差のシステムを代々と護り続けている様に感じる。遺産相続税が低い。地主の子は地主だ。自民党が長期政権を維持しているのはこの辺にカラクリがあるらしい。有力企業の一族も多いらしい。

議員が政治的特権を目的として議員になり、投票する者も議員に対する評価をしようとしていない様に感じる。

陳情対策も必要かもしれないが全体を考え適正な判断をして実行できる人を選ぶ事が大切だと思う。ネット社会なのに資料や情報を収集するのが大変。


政治資金パーティー。政治にお金が掛かるなら、電子マネーにして透明性を図り、そして、議員数を減らし、政治資金を多くすればイイ。


世界の国会議員で世襲が多いのは1位がタイ、2位がフィリピン、3位がアイスランド、4位が日本。タイとフィリピンは共に世襲議員率が40%、アイスランド30%、日本27~28%。

少ないのはドイツ、アルゼンチン、フィンランド、イタリア、カナダ、韓国、イギリス、スイスなどで5%程度。


経済を優先するなら資本は大きいほど有利なのは解る。しかし、残業を増やし、二酸化炭素を増やし、核のゴミを増やしてまで経済を優先する必要があるのだろうか。日本はとても経済的には豊かな国に感じる。物ではない心の様な別な豊かさを求めてもイイ時期だと思う。


自利利他。


好きが大切。

人を変えるのはムズい。自分を変える方が楽チン。しかし、しかし。組織のシステムを変えないと間違った方向に走っていって、気が付いた時には、もう戻れなくなっている事もある。


話し合う事が大切だと感じる。


民主主義かその自浄力を失ったとき、衆愚政治と化す。そのため、独裁制により強大な権力を為政者に付与し、意志決定を速やかに行うことで、強力な改革を行うことが民衆から待望されるようになる。

その様に成っている気がする。


小学校の時は遊んでばかりいた。父や母が生活に明け暮れしている姿を感じていた。1964年の東京オリンピックも終わり、新宿はドンドンと変化していた。淀橋浄水場もなくなり、新宿中央公園や新宿地下広場が出来た。高速道路が走り、高層ビルも建設されだしていた。

新宿の地下広場が出来て反戦のフォークソング集会をしていた。地下広場が名称を改め地下通路になって集会は出来なくなった。

中学校に入る頃になると遊んでばかりいるのに不安を感じだした。ヘルメットを被った大学生が路上で機動隊に囲まれてジグザクデモをしていた。機動隊はどんな気持ちで、デモ隊を弾圧しているのかとても不思議な気持ちになった。機動隊側には成りたくないと感じた。

中学3年になると遊んでばかりしていた自分も勉強をしだした。左翼運動も内ゲバばかりしているので、大衆からは支持を得なくなってきた。お互いが話し合わずに、お互いが力でねじ伏せようとしていた。戦う相手はもっと違う人たちに思えてならなかった。1969/01/18 安田講堂の封鎖が国家権力によって解除された。国家権力の圧倒的な力が映像に映された。すぐそこの事なので見に行きたくなったが、父に見に行くのを止められた。よど号ハイジャック事件も起きて左翼運動はますます過激になり、大衆からはドンドンと離別していった。行動が優先され、思想は置き去りにされたていた。

1969年の東大入学試験は中止になった。


自分には思想は理解できなかった。やたら角棒や鉄パイプを振り回し、投石している映像に目に入ってきた。マルクスもフランス革命もブルジョアもプロレタリアも単語しか知らなかった。

自分の高校入試でイッパイだった。

暴力による革命の歪みがその後のあさま山荘事件として現れた。

高校に入っても自分は受験勉強でイッパイ、イッパイだった。なんで東大にまで入れた人たちかこの様に戦っているのかが解らなかった。


自分が入った大学には、全共闘の雰囲気はほとんどなくなっていた。議論する雰囲気が少しだけ寮に残っていた。文化系や体育会系まとめる委員会や文化祭実行委員会などが学生会館に部屋を持ってビラなどを刷っていた。


ネットで炎上が話題に上がるが、その炎上は仮想の世界に感じる。今の日本には大学の時に感じた討論の雰囲気はない。画面の中の出来事で決意が感じられない。この自分の書いている文章も同様だ。そらごとだ。

香港の様な雨傘運動を観ているはずなのに、2021年の衆議院選挙の投票率が20代が36,60代が71。この差は何なのだろう。


山岳会でも身近な内容なのに話し合いの雰囲気は何故か起こらない。能力のある人に任せるのが無難なのかもしれない。


2024.03.27

晴れ。

のんびり。


新しい家族を


2024.03.28

晴れ。


精米をする。10人もいるとお米も直ぐになくなる。


母の所に行った。母が家にきた。母はとても嬉しそうだった。

母が昔の事をいろいろと話してくれた。父が大正生まれなのを大正製薬とか言ったり、自分の大学が同じ「ト」の付く有名な難関大学になっていた。何処までが正確かを見分けるのは無理だった。

家族は母の話から父と自分が変人で頑固者だと感じた様子だった。


母を施設に送る。


2024.03.29

雨。


✩Bナッツ✩


に行く。1500円。

中級が1本しか登れなかった。


ソフトバンクは日本と同様にアメリカでなら使用出来るらしい。


家族は新しく家族と検診に行った。母子ともに順調らしい。


2024.03.30

アメリカの皆既日食を観ようと決めて、ジープを預かってくれている人に連絡した。なんとジープが雪で壊れてしまったとの事だ。そしてジープは中身も調べないで処理されてしまったらしい。

アメリカらしいな。

でも、どうしよう。

ジープもだけれど、クライミングギアやキャンプ道具も生活用品も全てなくなってしまった。


家族が新しい家族のミルクやオツムの取り替えを手伝っている。偉いな。


2024.03.31

クライミング道具がかなりなくなってしまったので、クライミングを止めるのも考えたがメルカリでカムを1セット買ってみた。

家族とメルカリのアプリをインストールして、IDを作る所まではいけた。けれど、カードでの決済にまでいけなかった。結局、セブンイレブンでの振り込みになった。振り込み料が880円も掛かった。

今年はカナダだけなので、日本にいる事の方が長くなる。携帯電話番号を契約をしてもイイかとも思う様になってきた。

日本にいるとWi-Fiスポットがたくさんのある。家にも飛んでいる。なので全く不便を感じない。携帯電話番号の契約をどうしよう。


気を取り直して


✩元気フィールド✩


に行く。元気フィールドのメンバーが少ないので会費の値上がりを考えなければならない様だ。月に1000円で日曜日9:00〜12:00の利用していた。メンバーをなんとか増やす方法を考えよう。


家族は3時間毎にミルクを飲むので自分も世話をする様になった。2時にへ起きる事になった。


3月が終わった。


イロイロな事が起こった。


自分の娘が産まれた時よりも、新しい家族から生命の神秘に付いて考える事が多かった。働いていないので考える時間がたくさん持てた。家族に付いても考えた。なんで動物の赤ん坊はかわいいと感じるのだろう。

長い時を経て今の自分がいて、次の生命に命が引き継がれていく。

























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