努力が才能を超えられない理由

Written by えぬ

久々の投稿✒️

今回は、ちょっと衝撃的なタイトルかもしれないが、タイトルのまんまの意味です。

では、解説していくね。

結論

結論から言うと、
単純な努力は、才能を超えられない。

これが真実だと私は考える。

説明

じゃあ、例をお話ししよう。

ここに
🐦
ペンギン
🐧
ニワトリ
🐔
がいる。

この3匹で遠くまで飛ぶ対決をしたら、
の🏆完全勝利🏅である🐦

だってペンギンもニワトリも飛べないから。

ていうか、なんでニワトリって飛べないんだろうね。ほとんどの鳥は飛べるのに、どうやって生きているのだろう。

で、じゃあ負けたペンギンとニワトリは、
鳩に勝つためには筋トレをして飛べるようになればいいのか?☁️

違うよね

ニワトリは、ワンチャン飛べるらしいけど
普段から飛んでる鳩と対決して勝てるワケがない。

じゃあ、どうすればいいのか。

そう、競技を変えればいい。

ペンギンは遠くまで泳ぐ対決🏊🏻‍♂️

ニワトリは低い地上のトンネルなんかを1番速く走る対決🏃‍♀️💨

とかにすればいい。

人間で考える

もう分かったと思うけど、

人間もこれと同じで、適正や設定がある。
つまり、人間は外見が同じに見えるから、同じような能力と錯覚するが

人それぞれ
・設備
・機能

が違うという事だ。

だから、ニワトリの設備が人が、いくら飛ぼうと努力して、効果が低い。

もうちょっと分かりやすい例をあげると、
RPGゲームで、戦士タイプなのに、⚔
魔法スキルをどれだけ上げようとしても、魔法使いタイプじゃないから、全然能力が上がらない🧙‍♀️

「あなたはパワーのパラメータを上げなよ💪🏽」って話だ。
そっちのほうが習得できる技も多いんだから。
つまり、パワーに関する機能がいっぱい付いてるわけだ。

「それはゲームとかの話だろ」
「鳥って、そもそも種類が違うじゃないか」

「人間は、そんなに能力差はないよ」

と、あなたは言うかもしれない。

ここで私が個体による能力差があると考える理由をお話しする。

私達は、身体障害者と変わらない

健常者と障害者は違う?

私も、また他の健常者の方も、つまりあなたも、
そんなに身体障害者と変わらないと思っている。

もちろん、ある基準があり社会生活を送るのに困難と診られて、身体障害者とされる人もいる。
そして、その度合いも様々あるのも知っている。

が、じゃあ、パラリンピックの選手が私より速く走れないか?
多分、義足の人は全然、私より速いと思う。

私より速く泳げないか?
もちろん目が見えないだけで、私より速く泳げる人も沢山いると思う。

こういう事だ。

簡単いえば、
ただ足がないだけだ。
ただ目が見えないだけだ。

あとは私達と同じでないか。

「いやいや👋🏻重度の障害の人いるし。
知的障害は、身体障害と話が違うのでは?」

と、あなたは思うかもしれない。

障害者、健常者、天才

軽度の身体障害の人は、トレーニング次第で運動能力で健常者を上回れるが、
重度の知的障害はたしかに厳しい
健常者に追いつくのは無理かもしれない。

だが、これこそが私が言いたかった。
私達は身体障害者と同じである。
という意味だ。

たしかに、知的な障害がある人と健常者で平均的な知力の人が計算の対決をしたら🧮
知的障害の人には、勝ち目はないだろう。
勝負にこだわるなら、知的障害者はそこじゃない部分に力を注ぐべきだ。
なぜなら、その努力は無駄におわると考えられるからだ。

だが、この差というが、
天才と健常者の差と同じでない、という証明がどこにあるのだろうか?

つまり、計算の天才には、
平均的な知能の健常者は、努力するだけ無駄である。という事だ。

つまり、健常者と知的障害の人の差は、
天才と健常者の差と同じだけある。

という事だ。

差の量が同じなのは、証明できないが、
逆に差が少ない。
という事も証明できない。

むしろ一定数の障害を持つ方がいるのだから、一定数の天才がいる、と考えるのがバランスが取れるのでないだろうか?

頭が良すぎるのも障害?と考えれば、分かって頂けるだろうか?

そもそも私達は障害者と認定されなくても、様々な不便性を持っているものだ。

LGBT、ADHD、PTSDなどなど、、
最近は色々なものが病気だと認められてきた。

私の知り合いの女性は普通の人だが、
テレビなど一旦、気を引くモノに集中するとストーリーが終わるまで、どうしても目が離せないらしい。

だから幼少期は、
朝にTVから離れられず親に無理矢理TVから引き剥がされ、泣きながら学校に行ってたそうだ。
行かせる親も苦労したろうに。

今でも、その傾向はあり、映画、ラジオ、CMなどあらゆる事のストーリーを最後まで知らないと、どうしても気になってしまうそうだ。
今は、本人が意識する事で、生活に支障がないようにコントロールできるようになったと言っていた。
だがストーリーに異様に集中してしまう人で、何回、同じ映画を観ても、最初に観るのと同じ感情が得られるらしい。
もちろん体調などによって感じ方は変わるが、飽きたとは思わないというか、何回目でも初回で観ている感動が得られるそうだ。

今んところ、そんな症状の人は、今まで聞いた事がないが、そういうまだ世間には出てないだけの障害みたいなものは山程あると思っている。

だから、障害者や発達障害と認定されていないだけで、
実は障害者と同じような状態とか、同じくらい先天的な要因で厳しい人も山程いると考えている。
それでも何とか問題なく生活できている人も沢山いると思っている。

だから、
私は能力差や適性の差があるのは当然なんじゃないかと思う。
なぜ、身体障害者だけが特別、能力が低いと考えいるのだろう?
なぜ、男女だけ、埋めれない程の能力の違いがあると思うのだろう?

私は、同じような差は世の中に山程あると考えている。

だから、戦略を変えるとか、多角的に視る必要があると思う。

全然、上手くならないのなら、止めればいい。

広い意味で努力で全て解決するのかもしれないが、

ただ、今のまま単純な努力を続けても、適性がある人に勝てないのは、当然では??

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