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地下に潜む喫茶店

これは駅前ビルの地下に潜む喫茶店での話。

十月中旬のとてもよく晴れた日で、
平日にも関わらず人出は多く、
駅から公園へと続く道は表通りも裏通りも、
道幅一杯に沢山の人間と数匹の飼い犬で溢れていた。

人混みと大きな音と急かされることと
シチューに入ったさつまいもが嫌いな彼は
逃げ場を探していた。
北口から南口へ、踏切のこちら側から向こう側へ、人のいない方へいない方へ歩き続けた。

人のいない方に歩いてきたはずが、
人は湧水のように、文字通り次から次へと湧き出て、
彼の瞳にはたしかにこの先へと続く道は映るが、
彼の瞳の奥には四方八方行き止まりとなった壁のみが鮮明に映っていた。

辛うじて見つけた駅前ビルの地下に続く階段を、
後先考えず一気に駆け下りた。
押し扉を開ける勢いのまま喫茶店に入ると、
制服を着た女性に禁煙席へ案内される。

席に着いて初めてあたりを見回せば、
彼以外にひとり客は居らず、
お年を召した女性2人組の客ばかりだった。

この世界には一緒にしてはいけないものがある。
うなぎと梅干し、
天ぷらとすいか、
お年を召した女性とお年を召した女性
である。

地下に潜む喫茶店は、ライブでクラブで動物園だった。
彼は諦めた。

諦めたけれど諦めてはいけないと思った。
なんとかブレンドというコーヒーを一杯頼んで、
古書店のセール棚を漁って買った詩集を開いて、
急いで活字を追った。

耳鼻目、穴という穴から入ってくるのは、
お年を召した女性たちの鼓膜を鉢切るような騒音。
本など読めたものではないことは明らかだったが、
とにかく活字を追った。
逃げられないように逃げていかないように追った。
本に見放されて逃げられてしまったら、
彼は本当にひとりになってしまうことを、
彼自身身をもって知っていたから。

店長らしき男性によって運ばれてきたコーヒーを目の前に、
彼は眼鏡を外して啜った。
普段は絶対に入れない砂糖を適当に入れて、
掻き混ぜて啜った。
ついでにミルクも入れて啜った。
詩集を閉じて、目を閉じて、頭の中で十数えて、店を出た。

陽が沈み始めた秋夕の空を見上げて、
夕飯について考えた。

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