かあくんが大人になって、だいぶ世の中のことを知ってしまったころ。
電信柱、電柱はもしかしたらかあくんがおじさんになるころはないかもしれない。
えっ?なんなんそれ?
何のために?
と思うかもしれない。
こどもたちに話す昔話にできるかもしれない。
「昔ね、じいちゃんが若いころね、電柱てあったんよ。僕が生まれたころはまだあったよ。覚えてないけどね。電柱にぶつかる人もいたってよ。大変だよね。」
という感じになるのかもしれない。
そしたら、この写真はとても貴重な写真になるかもしれない。
電柱にぶつかる。で思いだしたけど、僕の友達は本当に電柱にぶつかって転んでいた人がいる。
こじまくんていって、中学生のころからの同級生。
話に夢中になり電柱にぶつかるという、マンガみたいなシーンだった。
自転車で結構なスピードで勢いよく進んでいて、
たのしく、わくわくして、大声で話をしていると、きゅうに消える。
電柱にぶつかった瞬間だった。こんなことはこの後一度もなく貴重なシーンを僕は見た。
電柱って何?ってなる時代がもうすぐ来るのだと思う。
かあくんは電柱がある時代に生まれて、電柱を知ってる世代となるだろう。
こどもたちから、「電柱の話してよ」となるかもしれないと思った。
そしてこの写真が、すごい写真じゃん、電柱の写真いいね。今そんな写真撮れないしね・・・
電柱と空と雲が芸術的でいいと思う時代がきっとくると僕は思う。
今だと、電柱なんていらないよね。無駄だよねとか、なにあの電線。見た目が悪いとかいろいろと言い分があると思う。
しかし、この電柱で電気をつないで、全ての家に光が送られた。夜に光がない時代、電柱はとても貴重な存在で、嬉しくてワクワクするものだったと思う。
「もうすぐ電柱がここに立って、電気が来るらしいよ。これからは、ろうそくいらなくなるよ。すごいな。」
こんな時代から、電柱いらないよね・・・電線あぶなくない?
という時代になるとその当時だれも思ってないと思う。
今あるこの電柱はきっと将来、貴重な存在になると僕は思う。
となるのではないかと思った今日でした。
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