少年時代(小学生編)

2001年4月

1つ上の姉がいる小学校に入学。
全国生徒100人程度しかいない僕の小学校。


周りの17人の同級生はほぼ同じ保育園から一緒に入学して来た子ばかり。
はっきり言ってアウェー。


しかも家から学校までが距離にして1.5キロ、時間にして約20分。
登校初日で早くも洗礼を浴びたのを今でも覚えている。


遠くて同級生が家の近くにいないのが何よりの不安だった。
何より苦痛だったのが給食だ。小学生時代の私は好き嫌いのオンパレードを絶賛発動していたからだ。いやいや給食を食べてたのを今でも鮮明に覚えている。


勉強も楽しくない、唯一楽しかったのは体育の授業だけ。
周りの子よりちょっとだけ足が早かったおかげで運動会のリレーとかではそこそこ活躍出来た。


運動神経いい子チヤホヤされる説が小学校1年生にして早くも実証され、
おかげで同級生とも上級生とも仲良くしてくれるようになった。


2時間目の授業後、僕の地元では30分放課がなるものが存在し先輩に混じってひたすらサッカーに夢中になった。年齢とか関係なくバチバチにやり合ってめちゃくちゃ先輩とケンカしたのもいい思い出。


学校終わりも当時流行っていてゲームキューブのコントローラーとお菓子を持参し日が暮れるまで友達の家でゲームをして帰るのが遅くなり当時祖父母と両親と姉の暮らしだった僕は、ほぼ毎日のように母と祖父母に叱られていた。笑


学校でも低学年の頃はほぼ毎日先生に叱られてた記憶しかない。水やり当番をサボる。宿題を忘れる。国語の教科書に落書きをするなど数えきれないほど叱られていた。笑


【野球との出会い】

小学校3年生に入った頃
野球好きな家で育った私は母方の祖父にグローブを買ってもらい仕事帰りの父を待ち構えて父が終わりというまでひたすらキャッチボールをしてもらっていた。


それがただただ楽しくて、ボールを上手く取れなくて何度も何度もキャッチボールをしていた。


それでもエネルギーが有り余っていたので母に少年野球チームに入れてもらえるようにお願いした。


しかし、簡単に首を縦に振らない母。私と母の攻防戦は1ヶ月程続き、その間母方の祖父母に野球をやらせてくれるように頼んで観念した母がようやく首を縦に振り無事少年野球を始める事が出来た。


外堀から埋め自分のやりたいことを突き通す性格を築いたのはここが原点かも知れない。見事な僕の作戦勝ちだ。


野球のルールはプロ野球観戦と当時夢中になってやっていた実況パワフルプロ野球9でほぼ覚えてたので心配はない。


パワプロをやっていた時に打つのがうまくて足速い人はみんな左バッターのイメージだったので、単純な私は左バッターカッコイイ!という超絶単純な理由で左バッターに。


はじめて任せれたポジションは外野。4年生に混ぜって入団1ヶ月程で2番レフトに定着し気づいたら何故かレギュラーになってしまっていた。


4年生に上がると私達の年代だけのチームになりキャプテンを任せるようになった。


1番ショートという野球の花形とも言えるポジションを確立し
5年生では3番や4番を任され、とあるリーグ戦ではチーム内で首位打者、ホームラン王(全部ランニングホームランw)、打点王の三冠王を獲得し優秀選手に選ばれるなど割と無双。


この頃から将来はプロ野球選手になって活躍するのが夢になり、ひたすら夢中に野球にのめり込んだ。


6年生になってからも相変わらず野球に夢中になり、
運良く市内で行われるオールスターにチームから選ばれるなどそこそこの選手だったかなと思います。


そして、小学校卒業と同時に少年野球チームを卒団。


いくつか練習に参加させてもらった硬式野球のクラブチームの中から、家から近くて強いチームを親に相談することなく勝手に選ぶ私と、簡単に首を縦に振らない母。母vs私の第2ラウンドの戦いがスタート。


そこでは野球経験者の父と話し、父が母を説得する形でなんとか入ることが出来た。


その時の私はこれで硬式野球が出来るプロ野球に近い道を進めたという胸の高鳴りと期待で頭が1杯になっていた。


この時の私はこの後どんなどん底が待ち構えてるのかも知らずに…。


つづけ。