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僕の夢物語 理想の町3                         ~変わりゆく夢野市2~

 吾一の活動は、経済活動にとどまらず、政治の世界へも進んでいった。

 その手始めは、市議会への進出であった。14人の市議会議員のうち、気が付けば、半数の7人が、吾一の企業関係者になっていた。
 何人かは、志をもって地元に帰ってきた若者であり、吾一の協力を得て、夢野市を活性化しようと大志を抱き、市議会議員として当選していた。
 もちろん若い者だけでなく、長い間、農業や漁業を生業としていた者も、吾一の考えに賛同し、ともに農業・漁業の新たな形を作り上げるべく市政に参画していった。
 いずれの人材も、夢野市を理想の町にしようとそれぞれの分野から新たな夢や希望を実現しようと意気軒高であった。
 これまで殆どが市議会議員など本業の片手間に過ぎず、地方の名士のステータスに過ぎないと考える者で構成されていた旧態依然としていた議会がすっかり様変わりし、俄然活性化してきた。
 意欲のある者が市の責任ある立場に立ち、市長をはじめとする執行部に政策提言を繰り返し、行政機能も大きく刺激を受け、新たな取り組みや政策を進めていった。
 例えば、窓口対応の変化である。
 他の自治体同様夢野市でも、慣れない行政手続きに訪れた市民への対応が不親切であり、その対応が悪いとの批判が多くあった。
 もともと行政は縦割り組織で、住所地の変更の手続きをするのにも、住民課のほかに税務担当課、健康保険担当課など複数の窓口での手続きが必要であった。これが案外に煩わしいのであるが、総合窓口を設け、関係課が連携する中で、手続きの一元化を図り、住民が動くのではなく職員が動くことにより、ワンストップでの手続きができるようなシステムに改善された。
 お役所仕事と揶揄されたこれまでの仕事ぶりから大きく転換され、「行政はサービス業である」ことが徹底され、ワンストップ手続きにとどまらず、すべての分野で大きく変化がもたらされ、効率化が図られていった。
 「夢野市はあいさつ日本一」をスローガンに徹底的に住民第一の行政サービスを推進していくとともにそれを全国に向け発信していった。
 このような夢野市の行政の変化は全国でも注目されるところとなり、多くの自治体が視察に訪れ、夢野市システムを次々と導入していった。
 
議会にしても、「何の役にも立たない」「活動が目に見えない」などという批判を跳ね返し、物言う議会へと変貌し、市民から選ばれた代表としてその役割を果たしていった。
 このような変革の陰には、吾一の夢野市の変革にかける強い思いがあることは間違いない。
 
 吾一は、更に人材を育てるために、育英基金を創設し、経済力のない家庭の子にも、都会の大学に進学することを可能にした。
 優秀な成績の子には、将来夢野市で就職した場合は返還を免除する奨学金制度を作り上げた。
 また、起業を積極的に支援する基金も創設し、これまで以上にチャレンジ精神旺盛な若者を積極的に支援した。
 
 単に金銭的な支援だけではなく、吾一のコネクションやブレーンも積極的に関わり、起業するためのノウハウに止まらず、環境整備、特に、関係団体から支援を受けられるような人的支援も行った。
 社会での経験も少なく人脈の無い若者でも、地域の協力や支援が容易に受けることが出来るようになった。
 とかく独り善がりになりがちな若さに任せた個人の理想や思い入れだけではとても実現できそうもない事業も、老練な人々の協力により、ユニークな企業として次々に誕生し、成功していった。

 僕の夢物語 理想の町4 ~芸術にあふれる夢野市~ に続く

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