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僕の夢物語 テニスプレーヤー(全編)

 その日目覚めたとき、驚くほどみなぎる力を感じた。手や足の肌は、昨日までの自分のものとは大きく違い、若々しくつややかに輝いていた。布団から起きるのにも一苦労であったのが、軽々起き上がることができたのにも驚いた。
 これは夢の続きなのだろうか、妻に
「おはよう。」と声をかけると、妻からも当たり前のように
「おはよう。」という返事が返ってきた。
「何か変わったところはないか。」妻に問いかけたが、妻は驚いたように
「何も変わらないけれど、どうかした?」と不可思議な顔を向けた。
「なんでもない。」と言葉を投げかけつつ、洗面所に向かった。
果たして、鏡に映っているのは、20代の頃の僕であった。
思わず、声を出しそうになったが,慌てて飲み込み、改めて鏡を覗き込んだ。そこには紛れもなく40年前の僕の姿があった。
 どうして妻には変わらず今の姿が見えているのか。いや、そうではなく、若返った自分を鏡に見る自分こそがおかしいことに改めて気づいた。
もう一度確かめるために、妻の前に行き
「朝ごはんはなんだい。」と当たり障りのない質問をした。
「卵かけご飯と、昨夜のおかずの余りでいい?」と普段通りの返答であった。
 よくよく考えてみると、どうやら、周りにはいつもの自分の姿で、何ら変わらずに見えているのかもしれない。少なくとも妻には僕が若くなっていることを感じていないようである。
 とりあえず、ご飯を食べ、約束のテニスに行くことにした。テニスウェアに着替えた自分を見ると何とも、自分が言うのもおかしなものだけれど、見違えるほど、若々しく輝いて見える。

 コートでは、すでに常連の何人かが練習を始めていた。
 僕はいつもと変わらないように、しかし、その実ドキドキしながら、
「おはようございます。」と声をかけてコートに入っていった。
「おはようございます。」と何人かが、僕を見ながら挨拶を返してきた。平静を装いながら何か普段と違ったそぶりがないか注意深く気配を窺ったが、誰一人、特に変わった様子もなかった。少し肩透かしを食らったような気持ちではあるが、安堵して練習の準備に取り掛かった。
 やはり僕以外には、僕が若くなっていることは認識されていないようである。
 はやる気持ちを抑えつつ、コートに立ち、いつものようにボールを打ってみる。何度か乱打を繰り返しているうちに、いつもと違う自分に気がついた。
 楽に打っているボールが自分でも驚くほどのスピンがかかり力強く打てているのである。
 これにはさすがに相手をしている友人も
「どうした。えらく調子がいいね。」と驚きを隠せず、言ってきた。
「そうなんだよ。軽く打っても勝手にボールが飛んでいくんだ。」
 一通りボレー、スマッシュ、サーブと練習をしていったが、どのショットも昨日までの自分のショットとは別物になっていた。
 あまりにプレー内容が違っていて、周りも相当に驚いているようなので、僕は慌ててショットをセーブしながらプレーすることにした。
 ゲーム練習になっても、驚くほど体は軽く、とても追いつけないと思っているボールにも何度も追いつき返球することができた。
「絶好調やねー。」とパートナーや対戦相手はもちろんのこと、周りからも驚きの声が漏れていた。
 自分でもまだこの現実を信じられないでいたが、確かに、肉体も運動能力も格段に上がっていることを確信した。
 それでもあまりにかわるといけないと思い、力をセーブしながらテニス練習を終えて家に帰った。

 書斎にこもって鏡を見ながら改めて自分の姿を見続けた。肌の艶は増し、髪の毛はふさふさと伸び、明らかに若返っていることが実感できた。しかし、不思議なことに周りには、この変化がわからず、60歳の自分のままに見えているようである。
 この不思議な変化を自分なりに考えてみたが、思い当たることもなく、不思議であるけれど、自分が若く、しかも格段に向上した運動能力を手に入れたのは事実のようである。更に、記憶力や頭脳の変化はどうであろうと、いくつかのクイズを試してみたが、能力についても、明らかにこれまで自分に備わっていた物以上の能力が身についているように感じた。
 これまでの僕の能力以上の僕が存在することにいささか驚きと戸惑いは感じつつ、さて、それではこれからどうしようかと考えた。せっかく手に入れたチャンスである。このチャンスを生かさない手はない。これは何かの啓示に違いないと思い、まずは、徹底的にテニスの練習をして、県レベルの選手になってみようと考えた。
 周りには自分の変化がわかっていないのであるから、あまりに急激に変わるとおかしく思われるので、十分注意しながら、練習に打ち込むことにした。幸いに、退職したばかりで、時間に余裕があるし、少しばかりの貯えもあり、真に第2の人生をスタートするにはこれ以上ないタイミングである。
 それからの毎日は自分でも驚くほどに、朝から晩までテニス漬けで過ごした。家に帰ってもユーチューブの動画を見、テニス雑誌や教本を読み、まさに24時間テニス三昧で過ごした。いくら運動しても疲れを感じず、技術は驚くほど向上した。
 それまでいくらやっても勝てなかったライバルどころか、とても、レベルの差があり、練習すらしなかった県のランキングの選手にも勝つことができるほどになっていた。
 県のテニス協会にも登録して、いよいよ、これまで出たこともなかった公式のテニス大会に参加することにした。

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