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私の出向体験:"出向"という言葉が、なくなる日を夢見て

なぜ、"出向"経験を書こうと考えたのか?

私は、大学を卒業してから、36年間、会社生活をおくってきました。
振り返ると、23歳で入社してから、三菱電機の社員として、三菱電機で働いていた期間は、40歳までの17年間でした。
後の19年間は、40歳で三菱電機から子会社への"出向"し、50歳で三菱電機を退職して子会社への転籍、50歳代の半分は子会社から三菱電機への"逆出向"という会社生活でした。

そう考えると、私にとって、"出向" というキーワードで一度、自分の会社生活を振り返ってみるもの良いかなと思い、自分の備忘録として、ここに記載することにしました。
あらためて考えると "出向" にはいろいろな思いがあり、自分の中でも、もやもやしたものを抱えています。
ここで、書き出すことで、その自分のもやもやが少し減ることも期待しています。

私の"出向"経験を年代を追って説明しながら、その時の思いを書いて行きたいと思います。

40歳 最初の"出向"。MDITへ"出向"

最初の"出向"は、2001年 40歳の時です。
23歳で、三菱電機に入社し、鎌倉にある製作所で、汎用機と呼ばれる大型コンピュータのハードウェア開発や、OLTPと呼ばれるOSに近い基本ソフトウェアの開発、IBMの汎用機のOEM提供などの仕事に従事していました。
最初に"出向"した2001年は、1997年から始めた、今の人工知能の走りとも言える、データを集め、集まったデータから知見を導き出すデータ分析関係の製品開発や、その販売、そして、データ分析に必要なデータを収集するアメリカの製品の日本語化、日本での販売、お客様へのデータ分析システムの提供などを行って、4年目を迎えた時でした。

2001年4月、三菱電機は、三菱電機で、IT(インフォメーションテクンロジー)を事業として行っている部門の大半の部門を、2つの会社として分社化しました。
私は、そのうちの一つの会社である、三菱電機インフォメーションテクノロジー株式会社(以降、MDIT)に三菱電機から"出向"する形で異動をしました。
MDITは、三菱電機の情報システムプラットフォーム対応営業、開発、製造部門と、保守サービスを担当していたメルコムサービス株式会社を統合し設立された会社です。

2001年4月1日の三菱電機からMDITへの"出向"は、場所も前日まで働いていた製作所のままであり、職場環境、仕事の内容も前日までと同じデータ分析関係の仕事に従事していたので、全くと言っていいほど、違和感のない異動でした。

お客様からも、三菱電機の部門ごと分社化されたこともあり、抵抗なく受け入れていただけたと思っています。

MDITに"出向"して、3ヵ月後の2001年7月に管理職に始めてなり、その後は、管理職の仕事と、実際にお客様に駐在して、データ分析のシステム構築などの仕事を行ってきました。
この期間は、お客様との関係もとても良好で、新しいことにチャレンジしながら仕事ができていましたので、三菱電機から"出向"して子会社で働いているという意識はありませんでした。

50歳 三菱電機を退職。MDITに転籍

次のポイントは、50歳 2011年3月15日となります。
三菱電機とMDITの決まりとして、数年前から、MDITで、50歳で3月15日を向かえる管理職は、三菱電機を退職して、MDITに転籍するという決まりがありました。

50歳になり、この決まりに従い、私は、三菱電機の退職願を書き、三菱電機を退職しました。
三菱電機を50歳で辞めた人と同じ計算による純粋な退職金に、MDITに転籍することによる給料の減収分などの付加金が加えられた退職金を、50歳の時に受け取りました。
退職金の内訳をみると、付加金の方が、純粋な退職金より多いという状況でした。
これは、純粋な退職金でしかできない年金払いの額も多くは設定することができず、このまま、60歳まで、三菱電機に勤めてもらう退職金、年金の額などを考えるとかなり不利だなと当時、感じたことを覚えています。
実際、現在、60歳になり、50歳当時に思っていた以上の差がついていると感じています。

そして、2011年は、東日本大震災が起きた年でもあります。
東日本大震災は、3月11日で、私の退職日は、3月15日。
退職セレモニーが行われる予定でしたが、退職セレモニーはなく、輪番停電中のため電気が消えた薄暗い部屋に一人呼ばれ、人事から退職の記念品をもらったことを覚えています。

MDITに転籍した、3月16日からも、役職、仕事内容は全く変わらず、仕事の面では、とても充実した日々を過ごしておりました。

ただ、三菱電機からMDITに"出向"している部下の給料の方が、人によっては、高い場合もあり、気にならないというのはうそになります。
"出向"の時は、MDITの社員として働いていましたが、給与体系は三菱電機の給与体系であり、どこかしら、安心感があったことは否めません。
実際、私より先に、MDITに転籍した上司から、良く、「俺より高い給料をもらっているのだから、xxx」と言われたことが幾度となくあります。
その時は、上司が言っている意味が、本当の意味で分かっていませんでした。
実際に、自分が、部下の給料の方が高い事実に直面すると、上司の気持ちがやっと理解できました。

三菱電機への"逆出向" 1回目

次の転機は、6ヵ月後の10月1日にやってきました。
三菱電機の本社への異動です。
三菱電機の本社に、東日本大震災を受けて、BCP(事業継続計画)を推し進める部署を作るので、MDITから、三菱電機に"逆出向"して、三菱電機の管理職として働く辞令です。

この話を聞いた際には、さすがに驚きました。
まず、転籍してまだ6ヵ月しか経っていないのにという気持ちがありました。
東日本大震災を受けての組織なので、言っても仕方がないとは思いながら、どうしても気持ちの整理がつかなかったことを覚えています。
そして、三菱電機の社員を部下に持ち、子会社MDITの社員が、親会社の社員を管理することが本当に成り立つのだろうかと考えました。
私がMDITで管理職をしていたことを配慮しての人事であることは大変うれしく思いました。
しかし、自分が部下の立場であったら、子会社の社員が上司になることは、気持ちの良いものではないなと感じていました。

この"逆出向"は、2013年3月31日までの、2年半続きました。
そして、その間に、今でも忘れないエピソードがあります。
管理職として、三菱電機本社のある重要な会議に出席した席上で 「どうしてこの重要な会議に、子会社の社員がいるのだ」 と言われたことです。
この発言をされた方は、私が三菱電機社員であった時も、一緒に仕事をさせていただいたこともあり、良く知っている方です。
しかし、私が、MDITに転籍していることは、この時、初めて知り、このような発言となりました。
この時は、腹の底から怒りがこみ上げる思いでした。
その日の夜、眠れなかったことを今でも覚えています。

2013年4月1日から、三菱電機から戻り、MDITで、MDIT社員として働くことが始まりました。
しかし、三菱電機から戻って来た先は、私が以前いた開発部門ではなく、MDIT全社を見るスタッフ部門でした。
52歳の時でしたので、まだまだ、開発部門で、お客様と接する仕事を続けたいとの思いがありました。
三菱電機に"逆出向"している際の仕事が、評価されなかったのではないかと思ったことを覚えています。
自分が評価する立場になり考えてみると、自分の部下が、どこかに"出向"して、どのような仕事をしているかを常に見ていることができない場合、その人を評価することは難しいなとの思いはあります。
でも、実際に、自分視点で考えてしまうと、やはり、やりきれない思いが強かったです。

三菱電機への"逆出向" 2回目

そして、次の転機は、55歳 2016年5月16日となります。
スタッフ部門としての3年間の間、子会社の統合があり、三菱電機インフォメーションネットワーク株式会社(以降、MIND)の社員として働いていました。
スタッフ部門の管理職として、部門を横断的にみて、会社に貢献をして来た自負はあります。

そんな中、出た辞令が、またしても三菱電機への"逆出向"の辞令です。
仕事の内容は、三菱電機が行っている大規模なプロジェクトが、予定通り進んでいないので、支援に入ってもらいたいとの内容です。
「えーまた、三菱電機への逆出向!」 と言うのが、真っ先に思った感想です。
そして、55歳の年齢もあり、体力的にも、精神的にも、大規模なプロジェクトでやっていけるのだろうかとの不安がいっぱいでした。
また、60歳の定年まで、あと5年になり、60歳からの第二の人生をどうして行こうかと考えていた矢先でもあり、不安だらけの異動でした。

この"逆出向"は、57歳 2018年3月31日までの、1年10ヵ月続きました。
先の"逆出向"とあわせて、4年4ヵ月の期間、三菱電機に"逆出向"していたことになります。
三菱電機を2001年3月15日に退職してから、MDITに転籍し勤め、MDITが統合されたMINDを、2020年6月30日に退社するまでの期間は、9年3ヵ月です。
つまり、"逆出向"していた4年4ヵ月という期間は、三菱電機を退職してからのほぼ半分の期間(47%の期間)を三菱電機で働いていたことになります。

その後は、MINDの開発部門に戻り、59歳 2020年6月30日に、MINDを退職しました。
なお、会社をなぜ辞めたかについては、自己紹介で書かせていただいておりますので、そちらをご参照ください。

あらためて ”出向” を振り返って

今回は、”出向” というキーワードで私の会社生活を振り返ってみました。

私の"出向"は、一般的に"出向"という言葉でイメージされる、親会社から、一人で、子会社に片道切符で出ていくというような、出向=左遷的な、イメージとは、少し違う特殊な"出向"のかたちかもしれません。
それでも、36年間の会社生活のなか、19年間、いろいろな立場、形で、"出向"というものを経験したものだと感じています。

私自身、自分の"出向"を振り返ってみて感じることは、仕事の面では、"出向"だからと言って、どうこうということはありません。
仕事をしている時は、"出向"か、そうでないかなどは考えず、その職場で最善を尽くして来たと考えています。
仕事の面からは、"出向"というものは、今いる会社の枠にとらわれず、新しい仕事をするチャンスであると考えています。
"出向"しないとできない仕事をさせていただき、その仕事を通じて、新しい職場での仲間、新しいお客様、新しい外部のバートナと出会えたことは本当によい経験でした。
また、"逆出向"をして、子会社の人間として、親会社から、子会社をみることができたことも、なかなか味わうことのできない貴重な経験だと考えています。

そして、私がいままで経験してきた"出向"の経験から、"出向"の難しさは、仕事の評価かと考えています。

"出向"でも"逆出向"でも、"出向"というのは、当たり前ですが、出向元があり、出向先があります。
"出向"した本人は、出向元が決めた給料をもらい、出向先で出向先の仕事をしています。
そして、その仕事の評価は、"出向"した本人は、出向先の上司の評価と、出向元の上司の評価の2つの評価を受けることになります。
片道切符と呼ばれる"出向"の場合は、出向元の上司はそのようなことを考えていないのかもしれません。
でも、やはり、自分に、2つの籍がある以上、"出向"した本人は、その2つの評価を常に気にして働いています。
ただでさえサラリーマンは、上司の評価を気にするのですから、その評価が2つとなるとそれはそれで考えることが増えるのは当然だと思います。

そして、評価が数字となって表れるのが、給与です。
自分の部下に、自分の会社の部下と、親会社から出向して来た部下がいて、仮に同じ成果を出したとします。
自分の会社の部下に対しては、その成果に応じた給料が出せるよう上司として評価することができます。
しかし、親会社から"出向"して来た部下に対しては、仕事の評価は行うことはできますが、給料を決める評価をするのは、親会社の上司であり、仕事をみている上司としては、部下の給料に直接関与できないもどかしさを感じてしまいます。
そして、このことが、"出向"して来た人にとって、きちんと評価されていないのではないかとの不安な思いに通じ、強いては、その方の仕事にも影響すると考えます。

私自身が、三菱電機に"逆出向"して、元の会社にもどって来た際、"逆出向"前と全く違う部門に戻されました。
このような経験をすると、その期間の成果を評価してくれていなかったのではないかと思わざるを得ませんでした。
三菱電機に"逆出向"したのが、50歳代というこもあるかとは思います。
それでも、"逆出向"中の評価はきちんとしていただきたかった思いがあります。
特に、2度目の"逆出向"である、大規模プロジェクトの支援は、体力的にも、精神的にも大変厳しい仕事でしたので、なおさらそう思ったのかもしれません。

このような、仕事の評価、給与の評価の問題を解決するためには、仕事をきちんと定義して、同じ仕事で同じ成果が出たとしたら、同じ給与を与えることが必要だと思っています。
同一労働同一賃金と言われているものです。
その人が働く場所が、自分の会社だろうが、出向先だろうが、決められた成果をだしたのであれば、きちんとした評価が受けられ、それに応じた給与がだされるというものです。

そのためには、親会社の給料は高くて、子会社の給料は低いという給与体系をあらため、どこにいても同じ仕事をするのであれば、それにみあった給料が支払われる仕組みが必要と考えます。
実現は、簡単にはできないかとは思いますが、このようなことが実現できれば、”出向”という言葉自体はいらないのではないかと考えます。

また、ここまで書いてみて、"出向"を書くにあたり、親会社、子会社という言葉が便利なため使ってきましたが、親会社、子会社という上下関係をイメージさせる言葉も、良くないと感じて書いてきました
説明上、親会社、子会社と書いた方がわかりやすいので、この場では使わせてもらいました。

今回、”出向”について書いてみて、親会社、子会社、社員、出向者、正規、非正規などの枠を超えて、同じ仕事に対して、同じ賃金を払える社会は、これから、もっと必要になってくるのではとあらためて感じました。

私の"出向"についてのお話に、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
"出向"という言葉が、なくなる日を夢見て終わらせていただきます。

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