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読書メモ:アントレプレナーの教科書

The Four Steps to the Epiphany

Steven Gary Blank / 訳者:堤孝志、渡邉哲(翔泳社2016年1月初版)

「顧客開発モデル」

典型的な「製品開発モデル」によるスタートアップの失敗事例の多くは、製品リリースと同時に実質的な顧客向けの営業とマーケティングを初めて開始することに原因がある、と説く。すなわち、顧客の抱える課題の存在、製品のもたらす解決策の有効性、実際に製品を購入する顧客の存在、顧客アプローチや販売チャネルなどの営業戦略を含めたビジネスモデルの確立など、これらを事前に実証することなく、営業やマーケティング活動に集中的に経営資源を投入することの無謀さを指摘している。こうした従来のプロセスで行われているアルファ、ベータテストはあくまでも製品機能の実証にすぎず、無償で製品の実証を請け負うベータ顧客の獲得は顧客需要の存在やビジネスモデルとしての成立を実証するものではない、とも指摘している。

そこで著者は、製品開発と並行して顧客開発を実施する「顧客開発モデル」を提唱している。従来のような製品開発のマイルストーンに合わせて営業やマーケティングの活動を展開するのではなく、顧客開発によるビジネスモデル確立のマイルストーンに製品の市場投入や機能追加リリースを合わせ、営業やマーケティングの活動を同期させることで、より的確にリスクをマネージすることが可能になると主張している。特に、顧客開発の過程で製品のポジショニングや市場タイプ(既存市場への参入、新規市場の創出、既存市場の再セグメント化か、など)が明確にされることによって、営業・マーケティング戦略の選択や組織構築までが適切に行われることの効用は大きいとする。

顧客開発は、創業者を含めた「顧客開発チーム」が実行し、製品開発チームが貢献をコミットする。さらに、二つのチームは密接な情報共有により活動を同期する。しかし、誤解を避けるために明確にすると、顧客の要望を取り入れた顧客主導の製品開発プロセスを志向しているのではない。あくまでも自社が開発する製品コンセプトを前提に顧客需要を発見することを目指しており、初期リリースに向けては、ビジョンに共鳴するビジョナリー顧客(課題を認識し解決に取り組み、実際に製品を購入するエバンジュリストユーザーとなる)が必要とする最低限の機能を絞り込むことが重視される。市場調査などによって潜在顧客の幅広い要望をできる限り仕様に盛り込む、といった大企業による製品開発とは真逆のアプローチである。これはスタートアップとして市場投入までの時間を短縮する、という目的以上に、できる限り早期にビジョナリー顧客による実証を経ることの効用を重視しているからである。(そもそも前者の「先行者利得」について著者は懐疑的であり、否定的な研究実証もある。)従って、単なる顧客要望に基づく機能追加や変更に対しては慎重であるが、製品や顧客に関する仮説が否定される実証結果を得た場合には、製品コンセプトを含めた見直し=ピボットが行われることになる。

· 顧客開発モデルは4つのステップで構成される。それらは顧客発見、顧客実証、顧客開発、組織構築である。これらの活動は、創業者を含めた「顧客開発チーム」が実行し、製品開発チームが貢献をコミットする。

· 顧客発見では、まず網羅的に仮説が記述される。製品、顧客と顧客の抱える課題、流通チャネルと価格、需要、市場タイプ、競合、に関する仮説である。これらは、以下のステップで繰り返し検証し修正される。特に顧客発見のステップで重要なのは、顧客訪問により、顧客の課題と製品に関する仮説を確認することである。製品については、顧客ニーズとROI要求を満たすことを確認する。(ROI=製品が顧客の課題を解決することによるリターン/製品価格+顧客側での導入コスト)

· 顧客実証では、発見されたエバンジュリストユーザー(課題を認識し、解決に取り組む)へ製品を実際に販売する。エバンジュリストユーザーが求める最低限の製品機能の実証、営業ロードマップや流通チャネルを含めたビジネスモデルの検証が行われる。企業と製品のポジショニングが明確にされる。

· 顧客開発では、市場タイプに応じたアプローチを選択する。市場タイプの選択、自社や製品のポジショニングに関しては、広告代理店なども活用し外部からのマーケティング監査を実施する。市場タイプに応じて戦略と目標を設定し、企業の市場参入と製品の市場投入が開始される。顧客需要を販売チャネルに誘導した成果を測定する。

· 組織構築では、ミッション中心の経営と企業文化を導入し組織を立ち上げる。(ここで、初めて営業、マーケティング、事業開発など機能分化した組織が導入される。)即応性の高い組織は、意思決定の分散化とOODAループが基礎であり、ミッション中心、情報収集と共有、リーダーシップの文化に支えられる。この新たな組織により、ビジョナリー顧客層からメインストリーム顧客層への移行のギャップ=キャズムを越える。これまで会社と顧客開発チームを率いてきた創業者が、今後も新たな会社組織を率いていくべきか(能力、意欲)、大きな岐路になることを示唆している。

市場タイプ(既存市場への参入、新規市場の創出、既存市場の再セグメント化か、など)によって、有効となる需要開拓のアプローチは異なる。ありがちな集中的な資源投下によるプロモーション活動(ブランド構築への先行投資として正当化されることもある)は既存市場への参入にのみ有効なアプローチである。既存市場への参入では、一定期間内に存在感のある市場シェアを確保することが重要だからだ。顧客の認知がない新規市場を創出する場合には、このような投資は無効=需要を販売チャネルに誘導する成果に結びつくことはない。むしろビジョナリー顧客ないしエバンジュリストユーザーの獲得を狙うべきであり、エバンジュリストユーザーの情熱と熱狂で新しい考え方を潜在顧客層へ浸透させていくことを目指す。再セグメント化は既存と新規の中間であり、新たなセグメントの顧客認知がまだ存在しないのであれば、新規市場へのアプローチが適切だろう。

感想

本書の「顧客開発モデル」は、仮説構築のフレームワークであるビジネスモデルキャンバス、MVPの改良を繰り返しながら開発を進めるアジャイル開発、とあわせリーンスタートアップを構成する3要素になっている、とのこと。ただし、本書にはジャイル開発などの要素は含まれていないので、製品開発プロセスそのものに関する言及は少ない。本書の焦点は、顧客開発モデルを通じてスタートアップのビジネスモデルがどのように仮説から検証を経て実装されていくか、という過程を詳細に説明した実践的な内容に向けられている。

顧客開発モデルは4つのステップで構成され、それぞれのステップは繰り返し可能なサイクルとして4つのフェーズに整理され、さらに各フェーズには複数のアクションアイテムが割り当てられている。その過程を経て検証と修正の対象となる仮説についても、ビジネスの構成要素(製品、顧客と顧客の抱える課題、流通チャネルと価格、需要、市場タイプ、競合)について詳細な記述が求められる。このような重層的な構造を持ち、網羅的なタスクとして構成されている。およそ商品の正式提案の前の顧客訪問での対話はユルいものになりがち、との思い込みとは大きく異なるものだ。ビジョナリー顧客ないしエバンジュリストユーザーを求める、ということは、こうした真剣さを受け入れる顧客を求めるということであり、そうでなければビジョナリー候補にはなり得ないということなのだろう。

· アップルの製品開発は、一般の大企業のそれとは一線を画し、むしろスタートアップ的、と言われる。本書を読むと納得する部分はある。しかし、最も重要な検証と修正はどのように行われているのだろう? ビジョナリー顧客やエバンジュリストユーザーなどの存在は?

· ブリュードッグの市場タイプは「既存市場の再セグメント化」が該当しそうだ。新たなセグメント=米国流のクラフトビールがまだ英国には存在しないという前提であれば、顧客開拓のアプローチとして、エバンジュリストユーザーの獲得、エバンジュリストユーザーの情熱と熱狂による潜在顧客層への浸透、エバンジュリストユーザーに影響力を持つインフルエンサーへのアプローチ、は妥当と言える。むしろ、新規市場や認知の低いセグメント市場など、不確実性の高い状況では、エフェクチュアルなアプローチが有効(リーチ可能な範囲での関係性構築、それ以外の選択肢もなし)ということかもしれない。

2023年6月27日



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