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処女塚古墳と西求女塚古墳

この日は「美しい古墳」を読んで近くの古墳へも行ってみようと神戸市の阪神石屋川駅近くの「処女塚古墳」経由、岩屋駅近くの「西求女塚古墳」まで歩いた。都会はこんもりしてると大体神社だからわかりやすいけど、さらにポケモンgoをしてると石碑や名所の名前が先にわかるから楽しいよね。


処女塚古墳の近くには、昔住んでいたのでこの前方後円墳には何度も行ったことがある。

整備されていてこれぞ古墳!って感じ。国道43号線沿いなので空気が淀みーって感じする。いや、古墳あたりに来ると何かほの暗い物を感じるんだよなー。これはやはり悲恋伝説のせいなんやろか。。。

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処女塚伝説は、昔のこの辺り(その頃は兎原と呼ばれていた)に、美しい乙女(菟原処女(うないおとめ))が住んでおり、多くの求婚者がいた中、特に熱心だった2人(和泉(いずみ)(大阪府南部)の"血沼壮 士(ちぬおとこ)"と地元の"菟原壮士(うないおとこ)")が武器を持っての争いとなり、乙女は立派な若者を自分のために争わせたことを嘆いて死んでしまう。
2人の若者もそれぞれ後を追って死んでしまい、それを哀れに思った人たちが、後々に語り伝えるために3人の塚を築いたという。

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いにしへの 信太壮士の 妻どひし 莵原娘子の 奥城ぞこれ (万葉集の歌)


昔は有名な伝説だったらしく能にもなったりいろんな書物に語り継がれている♪けんかをやめてー、ふたりをとめてーな話。どっちとも付き合ったら。。。ってことが昔はできなかったんやろね!w

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東求塚古墳は、美味しいお好み焼き屋さんの「すゑちゃん」の横の公園で何度も行っている。こちらは石碑があるだけなので、西求塚まで歩いて行くことに。天気も良くててくてく歩く。すゑちゃんの方の東求女塚は申し訳程度の盛り土があるだけで古墳は失われてるけど、

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西求女塚古墳はしっかり古墳の形を残したまま公園として整備されていて遊具もあって子供たちも遊んでいて愛されてる感じ。

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近くのコンビニでブラッドオレンジジュース割りの泡を買って古墳の上で一休み。西求女塚は公園では円墳に見えたけど、前方後方墳で、どっちも四角だったらしい。

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この前方後方墳はヤマト王権の直接の支配下に入らず、周辺部で独自の勢力を有していた有力な豪族の古墳に多いとされ、この古墳の被葬者もそうした一人であった可能性が高い!んだって!
かっこええな!

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しばらくたたずんで帰りは電車で帰ろうかと思ったけど結局歩いて帰った。19254歩!

21.4.30


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