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御朱印帳と久美浜の如意寺、和久傳ノ森 森の中の家 安野光雅館


前日の叔父の法事終わりのご馳走の後、叔母の家でビールを飲みながらあれこれ話してる中で、御床に飾られた西国三十三所の掛け軸を見ていた。その軸は叔父叔母が回ったものかと思って聞いてみると祖父が巡ったものだった。
叔父は寺巡りと山登りと絵を描くのが好きな人だったので、御朱印はもらってたんじゃないの?と聞くと、たくさんあるよと引き出しから古い朱印帳が何冊も出てきてそれを見ていたら、関西花の寺の朱印帳いうのが中にあり、それに関しては4.5寺ほどしか朱印がなくてへーーーと見ていたら割と近所の寺があって、次の日、その花の寺の中の一つへ行くことにした。

朝にその心華帖、花の寺では朱印帳を心華帖というらしい、を見ていると、丹後半島の久美浜に如意寺という萩でも有名なお寺があったので行ってみようと言うと、叔母が久美浜に行きたいと思ってたところがあると、それが和久傳がやってる安野光雅美術館だと言うので、ナイスアイデアだとなり車でGO!!


1時間半ほど車に乗りたどり着いたのがみんなが初めてで知らなかった如意寺。

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久美浜は小天橋と呼ばれる天橋立みたいに湾が一箇所を除いて塞がっている特殊な地形で日本海とは思えないほど凪な海が広がっている。

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その海に向かって行基が開祖したお寺、如意寺が建っている。

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ロケーションは素晴らしく海の前の立派な山門を入ると独特な多宝塔のような形の本堂があり、他にもお堂が山の中に広がっていて、それらが美しく整備されていて気持ちが良い。

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萩のシーズンにはまだ少し早かったけど、最後に御朱印(花の寺専用の朱印がある)をいただいてお寺を後にした。

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そこから車で20分ほどのとこにある、「和久傳ノ森」へ。

森の中、しゃれおつなレストランとその横に安藤忠雄が建てた安野光雅美術館が建っている。

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レストラン↑


和久傳は、元々峰山にあった旅館であんなに京都で立派な料理屋になるとは近所の人たちはまったく思ってなかったし、知らない人も多いと思う。(あんな高い料理を食べる習慣が奧丹にはない。あの辺りを奥丹後、おくたん、とこちらでは言う。
丹後にしては、ランチで四千円のコースってのは高いけど、和久傳と思ったら安い、けど高いw私は限定のお寿司にしようとしたけど無くてw鱧と野菜のあげもんとおにぎりとお味噌汁、みんなはカレーとかどんぶりにした。あ、こっちも緊急事態とのことで酒は無し。丹後ビールとか、和久傳のオリジナル日本酒を呑みたかったけどあかんかった。

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↑料理を撮ってなかったのでしゃれおつな調味料など。。。


その後隣の 森の中の家 安野光雅館 へ。あ、安野さんは別に丹後にゆかりがあるわけで無く、和久傳の女将が好きみたい。黒い箱のような建物の中にその時は追悼展になっていて、

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イギリスの絵が主に飾られていた。由良川の絵もあったな。

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ぼけてるのか安野さんが亡くなったのを忘れていて、追悼展というのを見て思い出した。去年のクリスマスイブに亡くなってたんやね。ヨーロッパの絵はやっぱりいいなー。晩年、産経新聞で洛中洛外の絵を連載してたけどあんまりピンと来なかったな。印刷された作品を見てると絵本以外は最初はずっと朝日新聞社から出版されてたのになんで晩年は産経に宗旨替えしたんだろう、などと思う。


記念に持ってない「旅の絵本」の中国のを買う。瓦が美しい。そして!紙自体がつるっとして全然変わっていた!びっくりー!

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あと、最近、今更、芸術新潮を見直してるので安野光雅特集の9月号も買い、谷川俊太郎と共著の「すき好きノート」を4冊買いみんなにもプレゼント。自分の好きなものについてをあげていき自分で書いて仕上げる本で、終活ノートはやらしいけどこれやったら母も叔母も自分を振り返られるんちゃうかなと思ったのだ。私も書いてみよう。

久美浜への旅はいい感じになり、最後またレストランでコーヒーなどを飲み舞鶴へ。
夕食を懐かしい店で食べて実家へと戻った。


叔父の法事から御朱印帳に導かれて良い日になった。おじちゃんありがとう。

21.9.12


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