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行きたくない学校を変えることに早く取り組まなければ。

エデュケーショナル・マルトリートメント(教育をめぐる不適切な対応)という言葉は、
「学校に行きたくない」と思って「死ぬ」「苦しむ」子どもたちがいるという事実に気づいてほしいと願って作った言葉です。

「死ぬ」に至らないけれど、苦しんでいる子どもたちがたくさんいます。

ここでは、自殺しないように、という観点で番組制作されています。
とてもとても大切なこと。大事な番組です。

でも、間違えないでほしいのです。
子どもたちが
「学校に行きたくない」「死にたい」と思うことが問題ではないのです。
辛いという感情が出てくることを変えることはできません。
子どもたちがそう思うのは、
今の学校のエデュケーショナルマルトリートメントの現状からは
当然の帰結なのです。

「どうしてそう思うんだろう?」と理解できない大人が問題なのです。
子どもたちの状況を見ているのに学校を変えない大人が問題なのです。


そこからどうにか逃げさせてあげたい、
と思って親たちが学校選びに必死になるのも、
その中でときに教育虐待に走る親が出るのも、
理解できないことではないのです。

行きたくない場を作り、行かせている大人たち。
その大人たちの一人が自分であるという自覚を
私たちが持たなければなりません。

行きたくない子どもたちのリアルな話をお母さんたちから聞きます。
ポロっと出る普通の会話、です。
行きたくなくなるのが当然ということが日常的に起きています。


先日、別件でお会いした二人の普通のお母さんたち。
たまたま、お二人の子どもたちが「学校に行きたくない」状態だという話になりました。

1)社会性がないから「発達障害」であるとされ、通級学級に週一日通う(通わされる)小学校高学年の女の子。
 そこでは、同じような子どもたちが集められ、勉強以外のことをしています。それが何のためなのか何の役に立つのか、本人にも親にもよくわかりません。週に一日、みんなと同じ勉強ができないのだから、当然、授業の内容がわからなくなっていくけれど、フォローはありません。周りの子たちからどうして別扱いにされるのか、それが自分にとってどんなメリットがあるのかわからないまま、「社会性がない」と言われたその子は、自分はダメなんだ、と言い始めました。学校に行きたくなくなるのは当然だと思います。

 ← 私の尊敬するある先生は、クラス分けのとき、自分のクラスに「何らかの障害のある子ども」を必ず複数名入れてもらうようにしておられました。そうすることで、他の子どもたちも育つから、クラス運営には多様な子どもたちが必要ということでした。全く逆の対応です。


2)もう一人の女の子は、長期休み明けに学校に行きたくない、と言います。ご自身がやはり同じで、自分の親に休んでもいいと言われていた経験のあるお母さんが、柔らかく対応しておられますが、仕事もあり、いつまでも休ませるわけにはいかないという事情の中で、困っておられました。


もっと大変な事例があるでしょう?この程度?と思われるかもしれません。
でも、その子どもにとっては、その親にとっては、これが目の前の現実で、
そういう親子が山ほどいて、その上に、
「行き詰ってもう行き場がない」子どもたちがいるのです。

多くの「行きたくない」子どもたちがいるのは、
 本人の問題ではなく、
 親の問題でもなく、
 必ずしも先生だけの問題でもなく
(時に先生方にはもっと認識していただきたいと思いますが)、
学校というもののあり方の問題であり、
社会の課題であると私は思います。
(だから、結局は大人みんなの問題です)

実際のところ、現場に行くと、
私自身はその場にいることがいたたまれないと感じることが多いのです。

もちろん、
よい学校を作ってそちらで頑張ろうとする先生たちがいます。
せめて自分の学級だけは死守しようとしている先生たちがいます。
学校を変えようと職員室で頑張っている先生たちがいます。

多くのいい学校があり、先生がいらっしゃるので、
「学校が問題である」などと書くことは私にははばかられます。
でも、もう書かなければなりません。

何とか、
「子どもたちにとってとんでもないことが日常的に起きている」
ことを変えていかなければならないのです。

今、目の前の子どもたちが置かれているこの状況に対して、

子どもたちがどんなふうに感じているか、思っているか、

まずは子どもたちにとって安全なところで話を聴いてみませんか?
 それが、カナダのアドボケット、アーヴィン・エルマンを日本に招いた理由です。

子どもたちがどう感じ、何を欲しているのか、気づきませんか?
 それが、オランダのフレット・コルトハーヘンのリフレクションを日本に紹介した理由なのです。

自分の教育実践はどういうものかを検討してみませんか。
 それが、オーストラリアのジョン・ロックランに来ていただいて、アメリカのサマラス・アナスタシアの本を訳している理由なのです。

人権と正義と価値と社会変革について理解し、コミュニティを変えていける人を増やしませんか。
 それが、カナダのマリオン・ボーゴのソーシャルワーカー養成や、ビル・リーのコミュニティ・ワークについて、エンパワメントについて書く理由なのです。

人の気持ちがわかる人を育てていきませんか。
 メアリ・ゴードンの「共感の根」を導入しようとした理由なのです。

もう、日本人が自分たちで取り組まなくてはなりません。
自分が変わって、学校を、社会を、変えなければなりません。


#一般社団法人ジェイス #エデュケーショナル・マルトリートメント  
#エデュマル #学校教育 #やりすぎ教育 #子どもの自殺  


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