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50年前の子どもの遊び

こどもと遊び場~杉並区の現状~【昭和49年制作】視聴会報告

1974年の東京都杉並区の子どもたちの遊びの様子 
動画の内容とディスカッション
2021年1月16日オンライン上映会記録
参加者21名 (氏名一覧を最後に掲載)
文責 武田信子(フェイスブックグループページ「遊ぶ・学ぶ・育つ」管理人

(この文章は、当日の動画視聴の内容とディスカッションに、企画者であり執筆者である武田がいくつかの内容を付け加えてまとめたものです。誰がどの部分を語って下さったかについての記述が困難でしたので、そのような記述になっていませんが、ディスカッションの中でお互いの発言に刺激されて引き出されていったものですので、皆の合作と考えていいのではないかと思います。当日の参加者に感謝いたします。)

https://m.youtube.com/watch?v=ap7i0qJtxUY&fbclid=IwAR02XzyH2NLJFzURWBtqo0sIijSU6dgKIbmQhJn1yrD7s1s4Hpnqb6OCWGI

1960年代以前、子どもたちは、家の近くの道路や空き地において、異年齢の子どもたちで全身を動かして遊んでいた。大人に迷惑をかけることも多かったが、子どもの遊びによっておきる損失については、損害賠償を請求するなどということはほとんどなく、子どもたちが怒られて終わりとなった。大人は邪魔な子どもを追い払い、子どもは大人の目を盗んで貪欲に遊んだ。しかし、経済成長が進み、土地が高価になり、産業化、情報化が進むと同時に、子どもの遊びに向けられる目が厳しくなっていく。このころの子どもたちはもともと広い場所で遊んでいた子どもたちで、自由な遊びを生み出す力を持っていたが、それをする場所はどんどんなくなっていった。子どもたちは自分たちの遊び場がない、狭い、少ないことに対して不満を漏らし、自分たちの遊びや行動の正当性を大人に対して主張していた。

一方、東京オリンピック(1964)、万博(1970)と大きなイベントが続き、それを視聴するためにテレビが本格的に家庭に広がっていったのはこの頃である。1966年には「ウルトラマン」が放映されている。この頃の日本の経済成長は目覚ましく、「大きいことはいいことだ」(1967)というコマーシャルがヒットした。テレビや漫画のコンテンツは子どもたちの共通話題となり、子どもたちは自ら家の中で遊ぶことを選択するようになる。この頃、同時に都会では、習いごとや塾が広がり、町で遊ぶことが難しくなっていく中で、外で遊ぶかわりに、塾で友達に会うことが子どもの楽しみになっていく。
 一部の大人たちがそういう子どもたちを心配し始め、この前の年に、冒険遊び場を描いたアレン夫人の「都市の遊び場」が翻訳出版された。一方、子どもを遊ばせるための解決策として、建物の屋上に有料のゲームや遊具が設置されたり、自転車で走れる公園が作られたりした。動画には、「受け身で遊ばされる」子どもたちが映し出されている。
 そんな中で、緑のまちをスローガンとする区が、公園の増設を計画。遊びの場は一見、広がるように思えるが、実は子どもたちの公園への囲い込みが起きたと言えよう。子どもたちが遊べる場所は、空き地や道路から公園に移っていき、実際には、場も仲間も時間も限定されていく。

 そのような状況への別の対応として、さらに区民センター、児童館などを拠点とした遊び方が広がり、それらの拠点で展開される、音楽、キャンプ、ラジオ体操、マラソンなど、大人の企画する「行事」的な遊びに子どもたちが参加するようになっていく。子どもたちが中心の活動を展開できる児童館もあるが、プログラム型になっていく場合もしばしばであった。
 また、実際のところ、自分たちだけでやっている野球よりも、大人がついて練習場を確保できるチームの方が強い。遊べないことで身体が育たないことが歴然とする。音楽も同じである。強くなるためにはコーチをつけて練習する。この頃、子どもだった世代は、親になったときに、子どもたちを習い事や塾に積極的に行かせて応援する世代となり、習い事をさせてもらった子どもたちが今の親世代である。

 一方、外遊びがまだ一般的だったこの時代の子どもたち(現在の祖父母世代)は、自由に遊んだ楽しい記憶を持っている。が、その子どもたちである今の親世代は、その人たちに育てられた人たちで、この層は、自分たちが夢中に自由に遊ぶことを以前ほどしていない世代である。十分な外遊びをしていない人たちは、その自覚も持ちようがない。寒暖の差や自然に触れ合うこと自体に抵抗感を持ち、忌避する者も少なくない。蛇口に手を差し出せばお湯が出る、レンジに食材を入れれば料理ができることがあたりまえで、それがないことに耐え難さを感じる世代が、今の親たちである。

 さて、そのようにして50年、今の時代は、子どもたちがそもそも外遊びに関心がないようである。兄弟も含めて異年齢で遊ぶ機会がなくなり、上の年齢の子どもたちの「真似」ができない、モデルがない。大人たちにダメと言われればだめで終わりになる。子どもたちには遊びを見つける力があるが、それをいいねとみてもらえることが少なく、やりたいことは次々と制限される。中には、子どもたちが自転車で公道を走ってはいけないというルールを作っている学校もある。自由の場は、ますます作られた集いの居場所にとってかわられるようになっている。

さて、このような問題が指摘されると、今後は、
   外で過ごす機会を作ること
   遊び足りない大人がまず遊ぶこと。親子ともに遊ぶことが必要。
   子どもの数は減っていくから、大人が暇になる。
という意見が出てくる。それはその通りなのだが、その解決策として出てくるのが、「遊びを教えよう」「遊ばせよう」という動きである。遊びを教える「塾化」された遊びと遊びの場の条件を売る「商品化」はすでに始まっている。

さて、映画が作られた1970年から現在の2020を経て、さらに50年後の2070年には、子どもたちの発育発達はどうなっているだろうか。今後の社会をどうイメージするか、どんな社会に子どもたちは生きていくか、という問いを参加者に投げてみたところ、以下の議論がなされた。

 コンビニエントな社会になって、大人の労力が生活にかからず、その分、経済活動、つまり本当は生きていくうえで必要でないことができるようになってきた。より便利に生きていくために必要な仕事が増え、本当に生きていくために必要な(身体活動を伴うような)仕事は、道具に任せればいい時代になった。そうなると「いかに時間をつぶすか」「誰かに楽しませてもらおう」という発想になり、主体になること、考えることが不要になっている。
 一方、考えることを否定されてきた子どもたちは、考えても仕方ないと思うようになり、大人になっても考えることをしなくなっている。失敗する前に試してみることもしない。小学校で苦労しないために早期幼児教育を始めよう、と親は考える。みんながわかるようにしなければならない。ばらつきがあってはいけないと先生は考える。
 足元から、地元から、地域から、できるところから、気がついた人が活動を始めるしかない。そもそも「子どもは文明に染まっていない」のだから、評価を伴わない、失敗を貴ぶ社会の中で育てば、子どもたちにこれからの日本を担う力がつくだろう。遊びこんだ子が強く育つ。というコメントが出て、ディスカッションは終わった。

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その後、参加者から以下のようなコメントが寄せられた、付記しておく。

●外に居て、泥だらけになっている=「遊んでいる」と判断してしまうことは気をつけないといけないなーと思った。もちろん、外遊びや自然の中で過ごすことは子どもにとってとても大事なポイントだし、外だからこそ、得られることが山のようにあるし、外でのびのび遊べる環境がもっと増えてほしいと思っている。
が、動画の中にあった、大人に注意されても野球をしれっと続ける子ども達の姿、「もっと、広い場所がほしい」と意見を主張する姿の方も同じぐらい大切な「遊ぶ」ポイントだと思っている。広い意味で「遊ぶ」をとらえていきたい。

●子どもの遊び環境に関心がある人が集まると、今と昔を比較して、今の子ども達が遊べていない/異年齢で過ごす機会がない/外で遊べていない・・など。つい、「ない」ことに注目があつまる。たしかに、子どもが育つ環境が大きく変化していて、大人からすると気になることは多い。だけれど、プレーパークでプレイワーカーとして勤務する中で出会う、たくましく遊び続ける子ども達の姿を伝えたくなる。
例えば、コロナ禍で学校で鬼ごっこが禁止されても「ごっこおに」して過ごす小学生たち。「今」ある社会や生活環境という枠の中で、精一杯遊ぶ子ども達と関わっているので、「あんまりない、ないって言わないで!」「かわいそうじゃないから!」なんて気持ちになる。最近、特にそう感じるので、最後にわーっと皆さんに聞いてもらった。

・50年後、2070年のイメージ。
うっそうと生い茂った雑草、つる草、巨木に覆われた廃墟。
それは、人口減少で30年ほど前に使用されなくなり、税収不足で取り壊されることすらかなわず放置されたままの公共施設。
廃墟の一角に様々なものを持ち込み、火を焚き昼飯を作りつつ談笑する数人の子どもたち。
「やっぱ、ここに来ると落ち着くね」
「家におったらかあちゃんが仕事手伝えってうるさいからな」
「さっき探検ですごいもん見つけたぞ」
「わっ!パソコンってやつやろ!動く?」
「動くわけないやん」
危険だとか、ここで遊んじゃいけないなんて、子どもに文句を言うヒマな大人はいない。大人たちは生き延びるための労働で精いっぱい。
この時代の子ども達も、与えられた環境で精いっぱい生きている。

・子どもたちの遊び欲
学校の休み時間は20分が2回。どちらかは教室遊び、ボールも接触もなし、一つの机には集まれない等制限が多いですが、子どもたちは「遊んで」いるなと、思っています。ケシピンならぬ定規ピンがブームの我がクラス。机一つではダメだとなると机を連結させ、巨大レーンを作ります。同じ物を使ってはいけないとなると、己の定規をもち相棒を作って戦います。3人以上では集まれないとなると、トーナメントを作り、教室のあちこちに予選会場が現れます。
・・・外遊び、自然との触れ合い、異年齢での遊びなどとは質が違うかもしれないし、「遊び」世界からしたら小さいことかもしれないんですが、今の子どもたちもやはり遊ぶことは大好きで、大人にダメだと言われても考えてくぐり抜ける逞しさを持っているんじゃないかなと感じています。
立場上、注意しなくてはいけないことも、この時期なので健康を1番に考えなくてはいけないこともあるのですが、個人的には「遊ぼう」とする姿を守っていきたいなと思うし、その変な遊びを面白がれる大人でいたいなと思います。

・用意された遊び
毎日「これがダメ」「あれもダメ」が増えてくると、言う方もうんざりするんだよーと、子どもを前に、愚痴る日があります。授業を放り出し、「ねえ、どうやって遊ぶ?遊べなくない?」と子どもたちと話した日もありました。
なので、大縄を持ってきたり、遊び係と縄跳び大会を企画したり、折り紙教室をしてみたり、、色々やってみたのです。が、なんとほとんどが閑古鳥(笑)優しい女の子たちが来てくれるくらいでした。子どもたちからしたら、「いやいや自由に遊ばせてくれよ!今日はリレーがしたい気分なんだよ!」ってことなんだろうなーと分かってから、用意するのをやめました。一つ目の話にもつながりますが、用意がなくても勝手に遊んでます。太陽があればカゲフミをするし、タッチができなくてもよく分からないルールで鬼ごっこをしています。
コロナで様々な行事がなくなりました。もちろん残念な思いもありますし、行事の中で活躍できたり成長できたりする子がいるのも事実です。事実なんですが、行事があるととにかく忙しいんです。休み時間も練習に追われます。それがなくて、よかった部分もあるなーと遊んでいる姿を見ると、思います。だから、用意も行事もなくても、自由にできる時間と場所があれば、子どもは勝手に、自由に、好きに遊べるのかなーと期待していたりもします。→その環境を大人がどう作るか?けど作った時点で「用意」していることになるのか?と、モヤモヤしています。

‣同じ地域でも、学校によって、放課後毎日遊べる環境がある子どもと、遊べない子どもがいることに問題意識を持っています。学校の責任者は校長だから、校長の判断で放課後子ども教室を開けない、と言われると、それ以上進めません。ここにも縦割り行政の難しさを感じます。自分のいる学校(地域)だけでなく、少し視野を広げて考えるきっかけを作っていけたら、と思います。

・今出入りさせてもらっている認定こども園 10年前は遊びがあまりありませんでした。先生(幼稚園教諭)が遊んでいないので、どうしたらいいかわからない。また上の方針が違ってました。上が変わり、遊びで子どもは学ぶが浸透してから 先生たちに「外で遊んで」といわれるようになりました。年々遊びが増えていって、今ではちょっとでも時間があると外に出たり、自由遊びの時間がふえました。子どもたちはあるものをいろいろ工夫して遊んでます。環境に応じて行動するたくましさ、健在。とすると、環境の工夫によって子どもたちの経験の幅が変わるなと改めて思いました。

参加者)幾島 博子・古賀 彩子・Natsuki Iwasaka・児島 久美子・梯 裕子・西川 正・水谷 志保・橋本勉・川口史歩・新藤 幸子・大野 ぼぶ さゆり・こまい まさこ・新妻 朋子・沢井史恵・水谷 多加子・真鍋 弥生・柄本 亜紀子・小山 亜理沙・古野 陽一・しみず みえ・Takako Sugiue・武田信子

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