教育心理学者、井上健治先生
教育心理学者の井上健治先生が5月12日に亡くなられました。
私が出会った最初の教職課程の先生、教育心理学の先生です。
同期の学生たちは、みな 大変お世話になりました。
当時、東大で教職課程を履修する最初の授業は、授業時間割上、理系の学生たちの実験の授業(多くは延長する)と重なっていて、少なからぬ学生が「代返」を使っていました。授業を受けることなく単位を取っていたのです。
たとえ出席しても、まじめに授業を受けようとはしない学生も多い、複数講師が交代で担当する授業でした。教員免許が花嫁道具になると言われていたような時代で、免許でも取っておこうかな、という学生が大半でした。 東大から学校の先生になる学生は、教育学部の中でも多くはなかった時代です。
(そういう状態では、免許は誰でも取れるものと思われて、学校教員を下に見る保護者が生まれてもおかしくないわけです。そういう教員養成をしていた時代です。今は状況が違うように思います)
かといって、ただ座席に座って先生の言うことを聞いている真面目が取り柄の(別の言いかたをすれば、サボる力のない)学生がいい先生になれるというわけでもないし、大学の授業はさぼるもの、という時代でもありましたから、今の感覚で当時の状況を理解するのは難しいかもしれません。
でも、そんな中でも、井上先生は他の先生とは違いました。学生に出席や真面目に学ぶ態度を求めました。教育を大切に考えている先生でした。
(もうお一方、吉田章宏先生もそうでした。確か5回の授業で5冊の本を読んでレポートを出させるような先生で、当時、未熟な私は「とんでもない」と嘆息していましたが、おかげさまで、私が読んだ数少ない教育学の本の中にこの5冊が入っています)
井上先生は、大教室でいい加減な学生を叱りました。
ですから、少なからぬ学生たちが、井上先生を「ウザイ」と思っていたと思います。大学の授業時間割がおかしいのだから当然だろうと食ってかかる学生もいたと記憶しています(確かにおかしかったのです)。そういう学生たちにも井上先生はまじめな態度で、教育や教員免許を取る意味を伝えようとしておられました。
その後、教育心理学科に進学して、井上先生の授業を取る機会が増え、先生のご自宅や別荘に遊びに行ったりする中で、折に触れ、先生の想いをうかがうことがあり、私たちはみんな井上健治先生のそんなお人柄が大好きでした。私が大学教員になってから、よく学生たちを自宅に呼んだのは、井上先生のお宅でおもてなししていただいたときのワクワク感を経験していたからです。『子どもの発達と環境』という先生の御著書は、繰り返し読み、私の思考の基礎にあると思います。
東洋先生のご葬儀でお会いしたのが最後になってしまいました。
井上先生に学んだことを記録に残しておきたいと思って、ここに記します。
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