見出し画像

A true continuum of teacher education(真に一貫性のある教師教育)

(この投稿は、note に掲載していますが、2014年に立ち上げたFacebookグループページ「教師教育学研究会」の読者を想定して書いたものです。まだご覧になったことがない方は、よろしければグループページにお立ち寄り下さい。この下をダブルクリック!!)

 
 今、あらためて教師教育について考え始める動きが、先生方や保護者たちの間からじわじわと起きてくるといいなあと思っています。多賀一郎先生と共著で、『教師の育て方』(学事出版)という(翻訳本『教師教育学』に引き続いて大上段に構えてしまった(;^_^A))タイトルの書籍を出させていただきましたが、反発でもいいのです。少なくとも、この本の問題提起が、学問的な立場から「歯牙にもかからない」という扱いにならないことを望んでいます。

Amazon で、お一人の方に、「教員養成や教師教育を考えるきっかけにはなりますが、内容は二人の個人的なやりとりであり、けっこう好き勝手なことを根拠も乏しいまま発信している感は否めません」と書いていただきました。その通りです! 
(もっと高評価をくださっている書評もいくつもいただいていますが、ここには、この言葉をあえて取り上げさせていただきました)

では、尋ねたいのです。今の教師教育が一体どんな根拠でなされ、どのような成果を挙げているのか。教師教育の結果としてどのような教師が日本全体に生まれ、どのような学校教育が展開されているのか。それをエビデンスを以て示している研究はあるのか、その研究が出るまで、子どもたちは今のままの学校教育を受け続けるのか。
 教育は現場で起きているのです。研究の中で起きているわけではないのです。そして、小学生までも始業式に自殺し、今年の不登校は20万人をはるかに超えています。

 いつかタイミングによっては、大きな教師教育改革が起きるということもあるのでしょうが、その前に国民に「どんな先生たちに教え育ててもらいたいよね」ということについて、話し合える土壌ができていることが必要でしょう(教師教育についてそんなことを国民が考えるような時期が来るのでしょうか。でも、グループページには2千数百人のメンバーが参加していて、参加希望のアクセスをしてこられた方は、さらにこれまでに1000人以上おられました) 。 

 「教師教育学研究会」の立ち上げ当初から繰り返し言ってきたように、Teacher Educationとは何ぞや、Teacher Educatorというのは存在するのか、というところからして、専門家や教育関係者の間で合意が出来ていません。教員養成、教員研修、教員採用、教師教育者の専門性開発、これらに関わる人たちがつながっていないのです。A true continuum of teacher education(真に一貫性のある教師教育)が必要です。

************
養成と研修をつなぐという課題は、他の分野でも同様で、2013年の日本医学教育学会(@慶應義塾大学)において、スコットランドのHarden R.M 先生が  A true continuum of medical education について語っておられたのを今でも覚えています。(以下、慶應義塾大学の平形道人先生のご紹介より引用  Dragon Effect の訳は武田)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/mededjapan/44/1/44_43/_pdf
(ハーデン先生は)21 世紀の医学教育改革
① A true continuum of medical education(学生,卒後,生涯にわたる一貫性ある 医学教育),
② Outsourcing a global program(各 医科大学・医学部の協力によるカリキュラム策定,教育資源,教員,教育資源などの共同活用),
③ An adaptive curriculum(個々の医学生のニーズに応じたカリキュラム確立)を呈示 し,
Dragonfly Effect
(① Focus-on the Areas for Change(変革の必要な分野に焦点を当て),
 ② Grab Attention-to the Need for Change(変革のニーズを掌握し),
   ③ Engage-the Stakeholders(ステークホルダーとともに),
   ④ Take Action(アクションを起こすこと))
により,実現することの重要性を講演さ れ,これからの医学教育の方向性を明確に示して 頂いた。
*****************

真に一貫性のある教師教育、と、個々の学生のニーズに応じたカリキュラムの確立、が併記されていることに注意していただければと思います。真に一貫性のある、というのは、全員が国策で同じ教師教育を受ける、ということを意味しているのではなく、一人ひとりの教師のキャリア全体を通して何が必要であるかということを、教師教育者の側が継続性を意識して考えていることが必要である、という意味です。

さて、日本には、先輩から後輩へという現場の伝統的な教師教育があったはずです。そこには、よかれあしかれ、この新人をどうやって一人前にしてやろう、という先々まで見通しをたてた先輩の想いがあったと思います。なのですが、今は、教師のバトンがぼとんぼとんと落ちてしまってつながりません。

全体が一貫して見えている人はいるのでしょうか。残念ながら、教師教育と言ってもその守備範囲が広いので、一人ひとりが見ている世界が違っていて、どうもまとまらないようです。きっと、私の存じ上げない教師教育の動きがどこかで起きているのだと思います。でも、それらが現場に届く、あるいは子どもたちを含む学校教育現場の人たちがそこに参画する、というところに到達するにはまだ時間がかかりそうです。

さて、学問的にどのような状況であるとしても、現実に教員養成や教員研修、採用は、あちらこちらで大規模に行われていて、その中で形成されてきた教師、学校のあり方が、世間レベルで問われているのが、今の状況です。 

業を煮やした産業界や、従来の教育関係者ではない人たちからも教育への参入の勢いが大きくなって、むしろ教育行政を凌駕する勢いです。例えば、本日まで開催されている「未来の先生フォーラム」のように、従来の教育学の世界とは違う新しい方向性を目指す動きも盛んになってきました。
   
 これからの教育は、外からの動きによって変わっていくのでしょうか。
 中の人たち、その人たちを育てる人たちはどうすればいいのでしょう。  

私は、少人数の有識者が集まる会議によるトップダウンの決定の前に、いろいろな立場で、いろいろな知識や考えを持ち、それぞれ違う世界を認知している人々の考えていることが、民主的な対話の下で交差しているという土壌が大事だと考えています。日本国内だけでは見えにくいものもあるので、海外在住経験のある日本人や、もちろん、子どもたちの意見も含めてです。それはなかなか遠い道のりです。

でも、以前、スウェーデンのルンド市を訪問したとき、ルンド市の教育は、政治が変わっても変わらないと聞いたのです。ルンド市の教育関係者、政治家、市民がみんなで集まって、どんな教育をしたいか常に話し合って合意してきているから、ずっと一貫しているんだと。だから、市民の満足度は高く、高評価を得ていると。日本全体とは、規模があまりに違う話ですが、頭の中に入れておきたい話でした。

そうなのです。こちらの方向だよねという考え方の土壌がないところに、よいとされる施策がおりてきても、ゆとり教育がそうだったように、理念だけでは本質的なところが受け入れられずに終わるからです。ゆとり教育は、今、話題のオランダの教育が話題になる前に、オランダの教育を念頭において発案したものだと私は聞いています。でも、当時、その理念は、学校現場には伝わりませんでした。   

教育は誰にでも語れるものだから、まとまらないでしょう。
教育は、結果?が出るまでに数十年かかり、その結果も、測る物差しはないのです。でも、その努力をして、ある地域の子どもたちをこう育てたいね、それを担う先生にはこういう人になってほしいねと、大人たちが夢を語り合うことが必要なのだと思うのです。

教師教育を受けた若者は、すぐに現場に出ていって、子どもたちに出会います。そこで先輩に教わりながら、保護者に支えられながら育つ学校教員の姿は、今はありません。教員志望者が減少する中で、大学の教員養成の責任は、今、以前よりもずっと重くなっています。

どのようなすばらしい教育を海外から紹介しようが、新しく立ち上げようが、理想を語ろうが、研究しようが、結局、子どもたちは、自分のところに用意される教育を受けるほかない のですから、そこで起きることに関与する教員たちを最低限どこまでどう育てるかという教師教育が重要で、今のままにしておくことはできないのです。
学級担任が一人である限りにおいては、親子がばくちと感じるような、子どもにリスクが行くような教員養成は避けなければなりません。私は少なくとも、子どもをひどく傷つけないように心がけ、傷つけることがあっても(人間ですからそういうことは誰にでもありうる)、それを傷のままにしないコミュニティづくりを目指す先生の育成が必要だと考えています。

長くなりました。ちょっとまとまりがなくなってしまいましたが、
やっと書こうとしていたこと、本題に入ります。

2017年に、授業づくりネットワーク代表の石川晋先生が「教師教育が考える会メールマガジン」を発行された際に、「教師教育学研究会」のFBグループページでご紹介しました。この企画は、半年以上かけて、80人のさまざまな先生方に、それぞれが考える教師教育について自由に記述していただくという企画でした。とても先駆的でユニークな取り組みで、グループページで随時転載させていただくことも考えたのですが、それではメルマガ=教師教育学研究会になってしまいそうでしたので、スポットでの紹介に留めました。  
あれから5年経ちました。いろいろとオルタナティブな動きも知られるようになって、今なら、メルマガの内容が多くの人たちにより伝わりやすくなっているのではないか、5年で何が変わり、何が変わっていないのかを確認してみてはどうか、そう思うようになりました。  

これから改めて全部を順に掲載することは手に余りますし、掲載された文章が必ずしも教師教育学研究会の趣旨にあう内容ではないこともあるようですので、ここでは皆さんに改めてご紹介して、振り返りのきっかけにしていただければと思います。

まずは、教師教育を考える会メルマガのFBページへのリンクをこちらに挙げておきます。ダブルクリックすると出てきます。

Facebookグループページ「教師教育学研究会」に参加しておられる方も大勢執筆しておられますので、目次を見て、著者リストを見て、投稿に目を通して、改めて、教師教育とは何か、一緒に考えていただけるといいなと思います。

さまざまなご意見を並列にしても、あまりにテーマが大きすぎて、何が大切かは見えてきにくいのですが、その行間、すき間を丁寧に見ていって埋めていくことで、子どもたちに必要なことが見えてくる気がしています。それはとても大変な作業ですが、教師教育を考えるうえで、必要なことではないかと思います。

#授業づくりネットワーク #教師教育 #教師教育を考える会メールマガジン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?