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強制しないとやらない子ども

勉強や習いごとを強制するのはどうかと思っていても、
何もやらない、やり始めようともしない子どもを見ていると、
親としてはさすがにこれはと思ってしまいますよね。
つい口が出る…。

そこで、今日は大人が子ども、特に就学前の幼児や小学生に
「強制的にやらせる」ことについて考えてみたいと思います。

今回は、よくある次の4つのコメントについて、考えてみましょう。

1)うちの子は強制しないとゴロゴロだらだらしてばかりなので、他のお宅はどうだか知りませんが、うちの場合はやらせないとだめです。

2)やりたくないことでも強制したら結果的に役に立つことがあります。私も大人になってから強制的にやらせてくれた親に感謝しています。

3)社会に出たら、わがままや甘えは聞きません。子どもの頃に我慢を覚えさせることが大切です。

4)歯磨きと同じように子どもの頃の習慣づけは必要です。自動的にやる癖がつけば、努力しなくても自然にできるようになるので、却って楽なのです。

では、はじめ。

1)うちの子は強制しないとゴロゴロだらだらしてばかりなので、他のお宅はどうだか知りませんが、うちの場合はやらせないとだめです。

いや、本当によくあるこのパターン。うちの旦那も家事やらないし・・・って、そっちじゃなくって💦

人間は全て赤ちゃんだったことがあるんですが、
何らかの身体的原因があって「できない」ことがある赤ちゃんはいますが、好奇心や学びたいという欲求のない赤ちゃんというのはいません。
(あなたもあなたの子どももそうでした)
生きていくためには外界のことを知らなければなりませんから。

だから、もし好奇心や学びへの欲求のない子どもがいるとしたら、
赤ちゃんから子どもに育つうちに、
好奇心を持つこと、学ぶことを
何らかの経験によって、
いけないことだと学んだ、何かによって阻害されたと考えられます。

たとえば、
目新しいものを見て、近寄ろうとしたら制止されたとか、
動くものを見て、触ろうとしたら、取り上げられたとか、
なあにと聞いたのに、スルーされたとか。

普段は自由に動くことが許されていて、
危ないことだけ止められる、
というのであれば、
これは自分にとってよくないことと
信頼できる大人が言っていることだから、
大事なことなんだ、
と認識できるのですが、

あれもダメ、これもダメ、が続くと、
あーもうダメだらけだから、
自分では思考停止して、
この人の判断に任せた方がいいや、
ということになります。

あるいは、ちょうどよいチャレンジ課題ではなくて、
難しすぎることをやらされていると、
うまくいかないことだらけでやる気がなくなります。

赤ちゃん親子を見ていると、
指示、命令、禁止や「やってあげる」が本当に多くて、
まさか親は、その指示や命令や禁止やお世話が、
自分の赤ちゃんの可能性をつぶしているなどとは
思ってもみないのでしょうけれど。

指示を待ちなさい、
間違えてはいけません。
自分から好奇心で動いてはいけません。
失敗しないようにやってあげます。
あなたは何もできない子どもだから、
とても見ていられないから、
大人がコントロールします。

子どもはそう育てられたのです。
その結果、そうなってしまったのです。
やらないのは親からの遺伝ではありません!!
でも、大人たちの責任です。
本人の責任ではありません。

ゴロゴロだらだらするのは、やりたくないからです。
やることの意味がわからないからです。
自分にとってのメリットが見いだせないからです。
面白くないからです。
できないかもしれないからです。
ほめられるのに飽きているからです。
叱られるのにも飽きているからです。

だとしたら、その原因を見つけて、対応を考える必要があります。
原因に対処する必要があります。
それをするのは、育てる大人の役割です。

そして、多くの場合、そもそも大人に原因があります。
あなたか、あなた以外の子どもに接してきた大人たち。
あるいは、
あなたたち以前にその子どもに接していた人たちのあり方が
原因かもしれません。
でも、
誰かを非難して子どもがよくなることはありません。
子どもを何とかしたいと思う人が、これから変えていく必要があります。

子ども本人ではどうしようもないからです。

まずあなたが子どもの発達について学んでみましょう。
 それはやる気が出ませんか? ゴロゴロだらだらしてしまいますか?
 強制しないとやれそうにないですか(笑)。

なぜ、それが必要であるかについて納得できていないからでしょう。
どうやらそれはまた別途、説明が必要そうですね(^^♪
それとも、強制しましょうか?!

2)やりたくないことでも強制したら結果的に役に立つことがあります。私も大人になってから強制的にやらせてくれた親に感謝しています。

書籍『やりすぎ教育』(ポプラ社)には書かせていただきましたが、
強制にも度合いがあって、
「本人が耐えられないほどの、心身や脳の発達を阻害するほどの強制」
が、よくない
ということなのです。
もし、強制せざるを得ないことがあるとしたら、
限界を超えないこと、逃げ道があること、他にも評価軸があるということ
 が大切です。

後に親に感謝できるような形で
うまく「やらせてもらえた」のであるならば、
あるいは、どこかにうまく逃げ道があって、
そこで傷つかずに力をつけることができていたとしたら、
それはものすごくラッキーなことです。
でも、それを一般化して、
子どもたちに強制してもいいということにはなりません。

限界を超えない、は、本人が無理、と言ったら、原則として無理、ということです。まずは言い分を丁寧に聞きます。そうするともう少しはできる、ということもあります。そうしたら、おたがいに納得のいくところで合意します。どちらかがどちらかをねじ伏せるのではありません。合意です。対話です。民主主義です。子どもの頃から、こういう対話を人と積み重ねてくると、人は、他者にも自分にも優しくなれるのだと思います。親はあんまりうまくないかもしれません。だから親も子供相手に練習させてもらいましょう‼

逃げ道があること、は、一対一で、あるいは複数で一人の子どもを追い詰めない、ということです。遠野のわらべうたに、はやしうた、というのがあるのですが、それは、誰かがきついことを言って場が凍ったら、別の誰かが「叱られた~」などと少しメロディをつけてはやしたて笑いにしてしまうというものです。
あるいは隣の家に行って、お茶をいただいて、しれっと戻ってくる、というような。

他にも評価軸があること、は、強制してそれが無理だったら、別のことをやればいい、位のゆるい感じで接するということです。親はそれをやらせたいし、やらないと人生がダメになる、という位に追い込まれた気分になっていることがあるのですが、いやいや、苦手があったって、人生ダメになりませんから。そういうときは、ヨシタケシンスケでも読んで、一息つきましょう!いったん離れたら、またやりたくなるかもしれません。

また、全く何も与えない、放置しておくということ、がいいわけではありませんし、子どもの言うなりになるということでもありません。

いろいろな選択肢が見える環境に子どもを置いて、
自分で選択できるようにする、ということが必要です。
それは、親ができればいいですが、
そうはできない事情も多々ありますから、
地元を歩いているだけでいろいろな刺激があるとか、
今の時代だったら本をはじめとするメディアから情報が入るとか、
最低限、公教育で多様な選択肢が保障されることが一番です。
 
また、これが大事なことなのですが、

役に立つということと、
その人の人生が明るいものになる、精神的に安定していられるということを同じ軸で考えることはできません。

精神神経科や心理治療の場には、
賢いけれど、お金持ちだけれど、地位が高いけれど、
精神的な課題を抱えているという方が多くいらっしゃいます。
 あるいは、
他者に迷惑をかけている、という方もいらっしゃいます。

何に「役に立つ」のか、誰の「役に立つ」のか、
そのとき、子どもの心を犠牲にしてもいいのか、
そこで感じた不安や恐怖や怯えがのちのちに残る可能性はないか、
ということを大人が考える必要がありそうです。

少なくとも、強制されたことによって、
心身の発達の阻害が起きるということには気づいてほしいと思います。
あなた自身も、
もし、落ち込みやすかったら、暗い気持ちになりやすかったら、、
それは、子どもの頃の度重なる体験から来ているかもしれません。

成績が良くなったけれど、うつ状態になりやすい、とか、
お金持ちになったけれど、独善的で家族が幸せではない、とか、
地位は高くなったけれど、感情の浮き沈みが激しい、とか、

しばしばあることです。
そこに関係性を見出すことができないとしたら、
臨床心理学や精神分析を勉強してみるといいでしょう。
それで、状況が変わるかどうかは保証できませんが、
少なくとも、子どもたちへの過剰な強制にストップがかかる可能性が
高くなるでしょう。

3)子どもの頃に我慢を覚えさせることが大切です。
 
社会に出たら、いろいろと我慢しなければならないことがあります。
 だから、今から我慢させなければ?
 いえ、逆です。
 子どものうちは、まず自分で自由にできるところまでやってみるという体験が必要です。自由が保障されてはじめて「自分で」我慢できる人に育つのです。

単に「言うことを聞く」だけでは、極端な場合、「おじろくおばさ」が生まれます。「おじろくおばさ」というのは、生まれたときから、賢くならないように、人の言うことに逆らわずにそのまま聞くように育てられた人たちのことです。兄弟で争いが起きないようにするためには、賢いのは家督を継ぐ長男だけでいいのです。加えて何人かがそれぞれの家族における役割を持ったら、残りの何人かはその人たちの言う通りに言うことを聞いて、単純に動いてくれる、考えない召使が必要なのです。

思考させず、反抗させずに、我慢ばかりさせて育てて、そういう人間を作るという方策が古来、日本でもとられていたわけですが、現代日本でそういう人を育てるということは人道的にどうなのでしょうか。

どこから我慢しなければならないか、を知り、
自分の頭で考えるように育つためには、
自分での試行錯誤が許される環境が必要なのです。

第一次反抗期(私は自己主張期と呼んでいます)、
いわゆるいやいや期は、
何にでもいやいやを言うことで、
「ここからは絶対ダメと大人たちが言うライン」を見つけていく時期です。社会や親のルールを知るために、
自分から「いや」を言ってみて、
その限界を見つける実験をしているのです。

それを大人が教え込もうとしても、
体験的に身につけようとしている時期なので、
バトルになるだけだし、
もしバトルにならないほど大人の力が強いと、
その子は自分の可能性に挑戦しない子どもになっていきます。

我慢というのは、周囲から押さえつけられることです。
それが2-3歳差の子どもであれば、まだやりとり、が生じるし、
自分がその年齢になったら逆の立場になる、という可能性も見えますが、

圧倒的に年齢差のある大人から、我慢をさせられるというのは、
子どもにとって、無力感を感じさせられる体験です。

子どもの頃に我慢をさせるということは、
早期から学習性無力感を身につけさせる、ということなのです。

ある程度、自分に自信がついていて、思考の軸も定まってから、
自分でこれはやむを得ず必要だという判断を伴なってする我慢と、
他者の判断によって押し付けられる我慢では、
子どもの思考発達への傷の深さが異なるのです。

ですから、
子どもの頃は、思う存分、大人が我慢の限界を超えない程度に
(ここでは大人の寛容さと大人としての工夫が問われます。
 子育ての技術が必要で、技術があると我慢が不要になります)、
やりたいことができる環境を保障しておいて、
分別がつく年齢になったら、
その年齢にふさわしい、適度な我慢を、
例えば兄弟関係のような権力差の少ないところから、
徐々に体験するようにしていくのです。

我慢は、せざるを得なくなったらしますから、
早くからの練習は必要ないばかりか、
子どもの伸びる心の発達を阻害するのです。

もちろん、わがまま言い放題とか、欲求のままにとか、
あるいは、大人が我慢するとか、
そういうことが必要と言っているわけではありません。

社会にはルールがあります。
そのルールを覚えつつ、自分の欲求も叶えられるように
バランスを覚えていくことは必要です。

大人も子どもも、自分も他人も、
それぞれ「都合」「欲求」「言い分」がありますから、
お互いに折り合いをつけなければなりません。

自由には責任が伴いますし、
自分の自由を尊重してもらうためには、
相手の自由も尊重してもらわなければなりません。
でも、それは単純に我慢、ではないのです。
たとえ先生と生徒の関係であっても。

4)歯磨きと同じように子どもの頃の習慣づけは必要です。自動的にやる癖がつけば、努力しなくても自然にできるようになるので、却って楽なのです。

これは一理ありますね。
子どもの歯磨きは一回3分。親の仕上げ磨きと一緒に楽しく習慣づけるといいといわれています。
歯磨きも最初は嫌でも、習慣づけば、すっきりしないと気持ち悪くなる、ということで、磨くことのメリット(スッキリするし口腔の健康が保てる)が嫌な感覚を上回って、習慣になるのでしょう。

例えば、他にもトイレの後の手洗いとか、人に会ったときの挨拶とか、脱いだ靴下は自分で洗濯機に入れるとか、玄関の靴は揃えるとか、朝のラジオ体操、語学の勉強、楽器の練習、素振り、読書、自分の部屋の片づけ・・・
習慣づけるといいことがたくさんある中で、
勉強はどの位の優先順位で、何分ぐらいすればいいのでしょうか。

子どもの24時間を考えてみて、
そこに毎日入れ込めることはどれだけあるかを
トータルに考えてみましょう。

もちろん、遊びやぼーっとする時間があることで、
脳が発達することがわかっていますから、
勉強のためにそういう時間を減らす訳にはいきません。

その上で、勉強はどう習慣づければいいのでしょうか。
子どもの頃から無理にでも毎日させて習慣づけて、
考えずに自動的に机の前に座れる子どもにするといいのでしょうか。
そんな本が出ていたりして、それができればできるに越したことはない、と思う方も多いのではないでしょうか。

私は、無理やりでなければ、その家庭の事情に合わせてでいいと思います。
誰かにちょっとプッシュされることによって、
自分一人ではできないことが継続してできるようになることは良くありますから、その範囲で。

こんな研究結果もあります。1つ目は英語なので、翻訳をかけるなどして読んでみて下さい(右クリックで、翻訳という選択肢が出てきます)。2つ目はこの研究などを取り上げてわかりやすく解説した記事ですので、こちらの方が参考になるという方もいらっしゃるかもしれません。

ご飯の前に、食事の支度を横で見ながらやるとか、
家族みんなで勉強タイム、読書タイムを持つとか。

勉強が面白ければ、きっと子どもは家でもやりたがります。
興味・関心を引き出してくれる先生と出会えれば、
家での勉強も進んで楽しんでやるでしょう。

問題はそこなのです。
日々、学ぶことが楽しいと感じられる状況が作れているかどうか。

実際は、勉強そのものが、
大人のご機嫌を取るためにやっていることだっだり、
人よりいい点数を取る競争ゲームになったりしている場合も少なくなくて、
塾通いなどはそういう面を活用していることもあるのですが、
それを本当の意味での学びというかどうか
その副作用はどうなのかということになると、
また別の議論が必要になるでしょう。

「強制させてやらせてでも」習慣づける、ことは、
1)2)3)で書いたように、
また、親子関係を緊張関係にするという意味でも、
子どもにマイナスの影響を与えるでしょうから、

それが起きないようにできるかどうか、がポイントになります。

加えて考えておきたいこと)

A)そもそも家は小学生にとって勉強するところか。

学校外の時間に勉強するということは、
家でお手伝いをしたり、家族団らんの時間をとったり、
自分の好きなことを自発的にしたりする時間が減るということです。

小学生には必要な勉強はこの位という目安を文科省が示していて、
それは本来、義務教育の間、学校の中で教わるものです。
家では、家の中で過ごすという大切な役割が子どもにもあります。
それなのに、本人が望まないのに、
家まで学校化してしまったら、
生活全体が教育化してしまったら、
子どもは大切な家庭生活からの
「生き方についての学び」をどこで得るのでしょう。

B)家での勉強の内容は、単純すぎるものになってしまうのではないか。

歯磨きと違って、勉強はその内容が変化します。
できると先に進めるのです。エンドレスに続きます。
数分から学年×10分程度の勉強と言われますが、
その内容は探究型にはなりにくく、
反復練習のドリル中心になりやすいものです。
先生も、単純な繰り返しが必要で時間がかかる問題を宿題にしたりします。
そういう勉強ばかりしていると、
子どもは勉強はそういうものだと思ってしまいます。
ドリルで点数を挙げていくのが勉強、
ごほうびのシールがもらえるのが勉強、
他の人たちに褒めてもらえるのが勉強。

そういう勉強は、外部評価(外発的動機付け)によって習慣づけられ、
暗記型・短期型のテストには効果が表れますが、
子どもの脳の機能が素晴らしくなるような勉強とは言えないでしょう。

暗記するのだって、一人で覚えるより、みんなで覚えたほうが楽しいし、
ドリルだって、人に聞きながらやった方が楽しい。
そのとき、脳が使っているのは単純に問題を解く脳だけではなくて、
いろいろな人と協働していく脳。
その方が、脳の発達には貢献するように思います。

C)勉強が楽しいこともある

先ほども書きましたが
家で見張られながら、
翌日叱られないためにする勉強が、
どれほど本人の身につくかというと、疑わしいものです。

でも、勉強が楽しい勉強であれば、身につくでしょう。
強制という感じがしなくて、いつの間にかやっているというところまで
大人が持っていくことができるのであれば、それはいいと思います。

自分でやりたい勉強ができる、というのは、
たとえば、
アフガニスタンの女の子たちが、
勉強させてもらえると目を輝かせている写真を見れば、
イメージがわくと思います。

自分の知らない新しい世界に触れられるのは、
わくわくすることです。
そんな学びが実現するためにはどうしたらいいのだろうと
考えてくれる大人がそばにいることが
とても大事なことなのではないでしょうか。

D)それはわかるけれど、普通の家庭では大人がそこまで子どもたちに対応する能力も時間もない。

そういうご家庭は少なくないと思います。
だから「勉強」は公教育で扱うことが大事なのです。
だから公教育が強制になってしまっている今の日本の状況を変えていく必要があるのです。
一つの家庭で、子どもを育てる、今の日本の子育てモデルは
もう限界なのだと思います。

#やりすぎ教育 #勉強の強制 #小学生の勉強 #宿題
#楽しい勉強 #勉強の習慣づけ  

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