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子どもの権利条約第31条「こどもが文化的かつ自由に過ごす権利」超訳

子どもの権利条約第31条は、「子どもの遊ぶ権利」と呼ばれています。
でも、実は、遊ぶ(PLAY)ということばは、子どもの権利条約第31条の中で一回しか使われておらず、
むしろ、
rest :休むこと・寝ること・眠ること
leisure :自由な時間を過ごすこと
recreation :やらなければならないことをやって生じた心身の疲れを癒し、元気を回復するために休養をとったり娯楽を楽しんだりすること
culture :先人が築き上げ、土地や人々に根付いた文化を享受すること
the arts :アーツ、すなわち、教養や芸術、技術というような探究を通じて生を彩る豊かな活動 

という言葉(解説は、言葉の原義から私が書いたもの)が使われています。

私はこのことを改めて強調しておかなければならないと思っています。
(なので、この文章のタイトルをあえて、子どもの遊ぶ権利 ではなく、別の表現にしてみました)

playということばについても、私は、英語の play は、日本語の「遊び」のニュアンスよりも広い意味を持つと思っています。
play  : 自分が夢中になれるような何かに一人で、あるいは誰かと共に取り組むこと。

ギターを弾くのも、野球をやるのも、泥団子を作るのも、木登りするのも、ガラガラを振るのも、それをやると自分のできることがちょっと増えて、いろいろな新しい世界が見えて楽しくなるようなことです。その中には簡単ではなくて、大変なこともあるかもしれないけれど、それでもそこに自由意思で挑戦したいと思うようなことです。

私は、この6つの単語について、
私自身がもっと意識し直さなければならないと思っています。

そんな思いを込めて、子どもの権利条約第31条を、私なりに訳してここにアップします。私の気持ちを込めた訳ですので、誤訳という指摘がありそうですけれど、もし明らかにそうだったら教えてください。

超訳)子どもの権利条約第31条
第一項
子どもの権利条約に批准し締約した国家(である日本)は、
子どもたちがその年齢に応じて、
 休んだり(rest)、自由な時間を過ごしたり(leisure)、
日々遊び(play)やレクリエーション(recreation)活動に没頭したり、
自由に
 文化的な生活に参加したり(culture)、
 アーツを通じて探究する機会を持ったり(the arts)することが、
人として当然であるということを認識しなければならない。

第二項
 そして、子どもたちが文化的な生活、アーツと共に生きる生活にしっかりと参画する権利を尊重し、促進しなければならない。
また、
 文化的な活動、アーツを堪能できる機会、
 義務的な活動から解放され回復のためにゆったりとする機会、
 どのように過ごすかを自分で決めることができる機会
を、すべての子どもたち一人一人にふさわしい形で提供するよう
働きかけていかなければならない。


※ 比較していただくために、一般的な訳と原文を載せておきます。
1. 締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。

2. 締約国は、児童が文化的及び芸術的な生活に十分に参加する権利を尊重しかつ促進するものとし、文化的及び芸術的な活動並びにレクリエーション及び余暇の活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する。

1. States Parties recognize the right of the child to rest and leisure, to engage in play and recreational activities appropriate to the age of the child and to participate freely in cultural life and the arts.

2. States Parties shall respect and promote the right of the child to participate fully in cultural and artistic life and shall encourage the provision of appropriate and equal opportunities for cultural, artistic, recreational and leisure activity.

さて、次に、今、流行の「遊びは学びだ!」という考え方に関して、コメントしておきたいと思います。

今の言説では、遊びは、
「子どもの発達にとってよいことだから」と目的的に捉えて、
「遊びの中で学ばせよう」
(学びの方が上位概念、かつ上から目線の使役の助動詞を使う)というような捉え方や、
「脳を機能させるために遊びの時間を与えよう」というような、
捉え方が多いように思います。

ここは、とても難しいところで、必ずしも間違いではないのです。
私も便宜的にそういう書き方をすることがあります。

でも、たとえば

「生きるために必要だから子どもによい呼吸を促すようにしている」社会は、手放しでよい社会と言えるでしょうか。

空気が悪くて住処を変えなければならなかったり、
うまく呼吸できない赤ちゃんが増えて親の支援が必要だったり(実は今、そういう赤ちゃんが増えつつあります)
といった社会がいい社会だとは思えません。

遊びも呼吸と同じように、自然なものです。
ヒトが人間になっていくプロセスで、
獲得しなければならないあらゆる力を得る機会です。
それは、学ぶ、よりもむしろ、日常生活を送る、生きるに近いものです。

遊びが必要だ!大切だ!と強調しなければならない社会、
遊びの意義を説明しなければ、大人たちが子どもを遊ばせようとしない社会、
遊びの研究をして、価値を証明しなければならない社会、

は、生きることそのものが辛い社会だと思います。


でも、もうそうなっているのです。
だからこそ、今一度、子どもの権利条約の中で、
「休息、余暇、遊び、レクリエーション、文化、アーツ」
がどのように書かれているか振り返って、その考え方が、私たちが呼吸するように自然に頭の中に入っている状態を作れるように、
学び直したい
と思うのです。


※ 写真は、2024.7.4.つくば市の坂口夫妻が運営する森のようちえん「あなたとわたし」にて撮影した、子どもたちの作ったツリーハウス。

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