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遊べない子どもたち

子どもは生まれつき自然に自由に遊ぶものだと思われています。
無邪気なものだ、と。

そうなのです、基本は。
でも、早期から遊びを剥奪されてしまう子どもたちもいます。
彼らは何らかの理由で遊ぶことを止められ、
自分で自分に遊ぶことを禁じたり、
遊ぶことを知らないまま育ったりします。

精神分析家のウィニコットは、
クライエントが遊べるようになったら、治療は終了だ、
と言いました。

遊びを奪われた子どもたちは、
精神を病むほどまでに傷ついているのです。

そうして育った子どもたちが、
みんなが遊んでいる中に入って遊ばなかったり、
遊べなかったりするのを見て、

友達も大人もしばしば
「仕方ない奴だ」「つまらないやつだ」
という目で見ます。口にします。

子どもの遊ぶ権利に関わり始めて何年かしたときに、
遊びに関わる世界の人たちが集まって、
みんなで船の上で楽しそうに遊んでいるとき、

日本の子どもの遊ぶ権利について早くから声を挙げてきた
私が心から尊敬するAさんが、
その輪に入らないで、ベンチに座っていました。
隣に座った私に、
「私は子どもの頃から遊べないのよ」
と悲しそうにつぶやき、その理由をお話しして下さいました。

あなたも?
と私は思いました(でも、そうと言えませんでした)。

遊びの世界の人たちは、
遊びの世界は素晴らしいと強調します。

遊びを絶賛する人たちは、
まさか子どもなのにうまく遊べない子がいるなんて、
思いもしないのかもしれません。
自分みたいにうまく遊べない大人がいるなんて、
軽蔑すべきことなのかもしれません。

でも、貧困、虐待、身体的・精神的条件、様々な家庭の事情で、
遊べない子どもたちがいて、
その子たちが自由に遊ぶためには、
大丈夫と思えるまでの長い時間、安全な空間、安心な仲間が
必要です。

さらに今は、社会的条件で、遊びが剥奪されています。
人をいじめることやディスって笑うことを遊び、
と感じてしまう子どもたちもいます。
自分で小さな画面の中に入って「制覇する」ことが遊び、
と幼少期から思わされてきた子どもたちもいます。
人と競争して相手を負かすことが遊び、
と感じてワクワクする子どもたちもいます。

それは子どもたちのせいではありません。
子どもたちは自分たちでは育つ環境を作れないのです。

その子たちが大人になる前に、
子どもたちに子ども時代を用意しましょう。

そのことを伝えたくて、
TOKYO PLAY の依頼で、下記の短い文章を書きました。
(この文章はその長い解説(笑))

読んでもらえたかな?
わかってもらえたかな?
わけがわからなくて、反応しづらかったかな?

だから、もう一度、ここに投稿します。
世界中にきっとたくさんいる
  遊べないのんちゃんたちのために。

#プレイデー #TOKYO PLAY #子どもの遊ぶ権利
#子どもの権利条約 #第31条 #遊べない #子ども
#遊びの剥奪   

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