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パンデミックでも諦めずに留学する夢を叶えた生徒の話 【週刊新陽 #66】

コロナ禍で、留学に行けなくなってしまった人や留学するのを諦めた人も多いのではないでしょうか。

最近ようやく渡航しやすい国や地域が増え日本の水際対策も緩和されたことで、秋以降だんだんと留学が再開していくと聞き、よかったなぁと思っています。

昨年の夏、第5波と呼ばれる感染の波が拡大していた頃、自分の夢を諦めずにアメリカ留学することを決めた新陽生がいました。進学コースの3年生、野呂祐陽(のろ ゆうひ)くんです。

つい先日、約1年の留学期間を終えて学校に戻ってきた野呂くんに、お話を聞かせてもらいました。(見出し画像も提供してくれました!)

ウエストバージニア州の高校に留学していた野呂くん。
「赤司校長へ」とお土産のTシャツを届けてくれました。
サイズもぴったり!

英語で広がる「出会いと原体験」


--あらためておかえりなさい!さっそくですが留学の思い出を聞かせてください。

まず、良かったのは海外の友達が増えたことです。

僕の他には留学生も日本人もいない地元の高校に通い、そこで普通の生徒として過ごし友達がたくさん出来ました。初日に「留学生」と紹介されることもなく特別扱いもされなかったので、帰国する直前に「Yuhiは留学生だったの!?」と気付いた友達もいました(笑)。

それから、バレーボールチームを作って州で優勝したこと。日本では剣道に打ち込んでいたのですが、兄がバレーボールをやっていたこともあってアメリカではバレーボールチームに入りたいと思っていました。でもMorgantown High Schoolにはチームがなかったんです。

ないなら作っちゃえばいい!と校長先生に直談判したら、最初は無理と言われました。部員もコーチもいないのでチームにするには1年はかかると。でも、そんなにかかったら留学期間は終わってしまいます。

とにかく絶対にやりたかったので、メンバーを集めて、コーチは女子バレーボールチームのコーチにお願いできることに。練習日や決まり事などを盛り込んだ計画書(もちろん英語)は友達に助けてもらって作成し、チームを作って試合にも出ることができました!

そして何よりの思い出は、やっぱり英語力が伸びたこと。

帰国する1週間前、友達から「1年前のYuhiの英語は壊滅的だったよ。今はすごく良くなったよね!」と言われて本当に嬉しかったです。

--そもそも、なぜ留学しようと思ったのですか?

2歳から5歳までアメリカで育ちました。生まれたのは日本ですが、自分の最初の記憶はアメリカです。

その後、日本に帰ってからもネイティブの先生から英語を習っていました。でも中学生のときアメリカの友達と一緒に旅行して、自分の英語力が友達と全然違うことに気付いてすごくショックで。

だから、とにかくアメリカに行って英語が喋れるようになりたい、と留学を考えるようになりました。

--アメリカに行ってみてどうでしたか?

最初はぜんぜんダメでした。相手が言っていることが理解できなかったり、自分が考えていることを伝えられなかったり。

特に、言っていることは分かったとしても言葉の裏側にある意味を読み取ることが難しかった。「どうしてその言葉を使ったのか」「そのフレーズにはどのような意味が含まれているのか」などを知るのがネイティブへの近道だと思ったんですが、それを誰にも聞けなかったんです。恥ずかしかったり遠慮したりして、自分で考えているだけでした。

でも、それが理解できないと話が発展せず、会話が終わってしまうことも。その気まずさを乗り越えたくて、まずは親しい友達に「分からない。どういう意味?」と聞くことにしたら、だんだん理解できるようになりました。

--野呂くんがそこまで英語を頑張るのはなぜ?

英語を話すことによって新しい出会いがある、と思うからです。実際に留学したことでたくさんの出会いがありました。英語が話せると出会いや体験が広がります。

アメリカに行って英語があらためて好きになり、大学は英語環境で学べる国際系の学部を志望しています。できれば海外の大学にも行きたい。そしてもっと英語力を伸ばして、将来は英語を使う職業につきたいと考えています。

日本と世界をつなぐような・・・出会いをつくる仕事ができたらいいな、と。きれいごとかもしれないけど、国同士がそうやってつながったら世界は平和になると思うんです。

先生がいたから夢を諦めずにいられた


--話は変わりますが、新陽に入学したきっかけを教えてください。

中学の時に通っていた剣道の道場に、佐藤貫太先生(現在の担任)がいらっしゃったのが最初です。貫太先生は道場の先輩で、「新陽の剣道部の練習を見に来ないか」と誘ってくれたんです。

そんなふうに声をかけてもらったのが初めてで、勝手に「スカウト来た!」と思って嬉しくて。実はただ本当に、練習見においでよと言ってくれただけだったんですけど(笑)。

中学3年の時に新陽に来て、いつか留学したいと思っていることを伝えました。すると貫太先生は、どうやったら剣道を続けながら留学準備ができるか一緒に考えてくれたり、留学できる場所を調べてくれたりしたんです。新陽に入学してもしなくても関係ない、と言ってくれました。

米田先輩(※)の話も聞かせてもらって、海外の高校と単位交換もできる新陽に入学しようと決めました。

(※)米田くんインタビュー記事はこちら▼

--新陽に入学してからはどんな風に過ごしましたか?

2年生で留学するまでずっとオンライン授業が多くて、正直、思っていたのとは違う高校生活でした。でも貫太先生は一人一人と面談してくれたので、学校とのつながりはありました。留学のこともずっと相談に乗ってもらっていました。

ただ、コロナの感染がどんどんひどくなり「アメリカに行けない可能性も考えるように」と貫太先生に言われた時はショックで、行けないならもういいや、と思ったこともありました。でも自分の夢に対する想いの方が強かった。

応援してくれた貫太先生や、「ぜったい行ったほうがいい」と言い続けてくれた両親の支えもあって諦めずに行けたこと、本当に感謝しています。

"恩師"の貫太先生と

挑戦したいことがあるなら、まずやってみる


--これから残りの高校生活、どう過ごしたいですか?

まずは大学進学に向けて頑張ります。
それから、留学経験を人に伝えたい。

この時期に1年間、留学できた高校生はそんなに多くないと思うんです。だから留学中のことはもちろん、準備や手続きのことなども僕が力になれることがあるんじゃないかって。

戻ってすぐに、「留学したい」という後輩を紹介されました。同級生でも、大学で留学したいと考えている子がいて話を聞きにきてくれます。新陽でも報告会のようなものをやってみたいです。(→近日中に開催予定です。)

--最後に、これから野呂くんのように本気で挑戦しようとしている中学生や後輩たちへ、メッセージをお願いします。

留学やバレーボールチームを作った経験からすると、まずは挑戦することが大事。とにかくやってみる、これに尽きると思います。

無理だと言われても「やってみないと分からない」と行動したし、貫太先生からは高1のときに「まずやってみること」とアドバイスを貰いました。

僕は性格がポジティブで負けず嫌いです。だから、失敗しても「これを学んだからいいや!」や「次はこうすればいいや!」と考えるタイプ。

逆に、軽い気持ちで流してしまうのは短所でもあります。新陽ではリフレクションする機会がよくあるので、しっかり振り返って向き合い、きちんと自分の成長につなげるようにしていきたいです。

【編集後記】
インタビューの最後に「それから、校長先生にあらためて伝えたいことがあるんですけど、いいですか。」と言った野呂くん。ぜひ、と返すと「留学を実現させてくださって本当に本当にありがとうございました。」と。

留学から戻って最初の登校日におみやげのTシャツを持って校長室に来てくれたときも、一緒にいた貫太先生から急に振られた1分スピーチの最後は「I want to say thank you for making my dreams come true. 」という言葉でした。

留学を実現したのは野呂くん自身とそれを後押ししたご両親や貫太先生を始めとする先生たちなので、校長がしてあげられたことなど無いのですが、それでも、留学を認めるという学校の判断が彼の夢を叶えることにつながったのなら、これ以上の喜びはありません。本気の挑戦を応援させてくれて、こちらこそありがとう。

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