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加藤和彦とその時代

加藤和彦はそれなりに知っているつもりだったが
「それなり」でしかなかった。
最初の妻との離婚理由も知らなかったし
ヨーロッパ三部作はあまり聞いたことがなかった。

二番目の妻の安井かずみについては、例えばパーティから帰ったら靴の
手入れをちゃんとしないと休めないくらい手を抜くことができない人だった、と何かで読んだことがある。
今回映画を見て、安井かずみの作詞を待って、曲を作るという話を聞き
いろいろなエピソードを知って、夫婦ともに自らを追い詰めるタイプだったのかもしれないと思った。

つのだひろが抜けた後、高橋幸宏とずっと一緒に活動していたとか
松任谷正孝を最初に誘ったのは加藤和彦だったとか
泉谷しげるの曲をプロデュースしていたとか
いろいろ面白かった。泉谷の曲はとてもおしゃれな曲である。
泉谷しげるのコンサートに行けば聞けるのだろうか?
テレビでは「春夏秋冬」しか映さない。
YMOの三人に矢野顕子まで加わった映像もあった。
坂本教授は電話だけの参加だった。

最後「あの素晴らしい愛をもう一度」で終わるのだが
ちょっと盛り上げ過ぎだったかもしれない。

加藤和彦を見たことがある。
昔、丸井中野店に「出会いのスタジオ」というのがあって
高校生の時はたまに行っていた。
公開録音である。
背が高くて細い加藤和彦のそばに、身長が半分くらいに見える小学生が
サインをもらいにきていたのが、やけに印象に残っている。


気になっていたミニシアターに行ってみたのだった。
今日お昼の時点まで予約がなく
一時間前にチケットを買ったときには席は三つしか埋まっていなかったが
最後に見たら20人位は入っていた。
みんなそれなりの世代だった。
それなりの世代に刺さりそうな音楽系の映画の宣伝映像が二本もあったのがちょっと面白かった。






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