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早春だけど   「晩秋」萩原朔太郎

なんとなく覚えていて
口をついて出る詩歌というのがいくつかある。

萩原朔太郎の「晩秋」は、全部正しく思い出せるわけではないが
ふとした時に出てくるのである。



晩秋      萩原朔太郎
 
  汽車は高架を走り行き
  思ひは陽ひざしの影をさまよふ。
  靜かに心を顧みて
  滿たさるなきに驚けり。
  巷(ちまた)に秋の夕日散り
  鋪道に車馬は行き交へども
  わが人生は有りや無しや。
  煤煙くもる裏街の
  貧しき家の窓にさへ
  斑黄葵(むらきあふひ)の花は咲きたり


覚えたのはたぶん中高生の頃だ。
中高生だから覚えられた。

「思ひは日差しの影をさまよふ」とか
「わが人生は有りや無しや」とか
思春期の心をくすぐるセンチメンタルな言葉である。


とはいえ 今改めて読んでみて
「満たさるなきに驚けり」という言葉を
全否定することはできない とは思う。

不満とは思わない。
老後の在り方として
そこそこ恵まれているとは思う。今のところは。
「まだそこそこ健康なので」ということだ。


上を見てもキリがないし、
また下を見てもしようがないのである。


わが人生は有りや無しや ??
もう生きてきちゃったし。
今さら問うても。問われても。



「まぁまぁ ってことで」


ブルースウィリスが認知症 っていうニュースが
ちょっとショックだった昨日今日。

人生としては晩秋なのかもしれないけどさ っっ と
いろいろ往生際悪く ぐちぐちと
「思ひはさまよふ」のである。



おまけ
明るい日差しの中なら
「天景」もよく思い出す。

天景

しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。


麦畑、直近ではいつどこで見たか、思い出せない。


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