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詩の勉強会

実は昨日は散々だった。
主に自己嫌悪で。

書きすぎもあったのだけれど
それ以前に、以前の勉強会で
他の人が「死についてはあまり扱わない方が良い」と
言われていたのを忘れてそれを題材としてしまったこと。

他の人の詩が素晴らしすぎて
なんというか
一日30分くらい集中して詩を読む みたいな勉強を
全くしていないことによる差が
徐々に見えてくる時期だよね と気づいてしまった。
もう四か月経つのだった。
もともと書ける人たちとの差がさらについてしまったな
と、これは本当に自業自得の自己責任である。 

で、今回提出作品

いのち                

妹が猫を飼い始めたのは
母の入院がきっかけである

ずっと犬を飼っていたが、その犬が死んだあと
飼いたくてもやめていたのだという
母はその日の機嫌で犬に八つ当たりをする人だった

散歩する体力がだんだんなくなるかもしれない と犬を選ばず
妹は保護猫を引き取ることにした
引き取るために 何度も施設に通った
虐待された経験がある猫は
懐くまでに時間がかかると言われ
覚悟を決めて飼うことにしたという

お腹を見せるようになるのに、一年かかったそうだ
最近買ったキャットタワーより、慣れた箪笥の上が好きらしい
捨ててしまいたいタンスを捨てられないという

てんかんのある猫で、ときどき痙攣したり吐いたりするのだそうだ

生き物を買うのは大変だ 
私は犬も猫もいらない

かつて楽しかった旅行から帰ったある日
今朝 飼い犬が死んだ と聞かされた
楽しかった思い出と泣いていた妹
死んでしまった事実が
自分の中でいつまでもかみ合わなかった
春だったと思う
いや 初夏だったか

旅行の思い出と天秤にかけるほどの愛情しか持てない私には
犬猫の命は重すぎる

犬も猫もいらない
私にちょうどいいのは
撫でた時だけ鳴くというぬいぐるみ
忘れ去っても良い非生物


要らないと言われたところに線を引いたが
これでも書きすぎらしい。
太字はわかりづらいと言われたので足した。

たぶん夏井先生の俳句だったら、
添削し出したら原形が限りなくわからなくなる感じなのかも。


ノートに普通にいつも書いている
軽い感じの内容を少し磨いて出す方が良いのかもしれないが
もはや何が良いのかもわからない。

負けないぞ とは言っておく。
「今日はこのくらいにしといたろ」(byいけのめだか)的な奴で


ちなみに講師が死について扱うことを止めると決心するに至ったのは
震災の影響だそうだ。
人の命だけでなくペットの命についてもデリケートな問題であると。

愛犬家愛猫家の方が今回の私の詩を読んだら
確かに不愉快になることもあるのかもしれなかった。


サギになれない気分


今回の詩は
私の「そこに愛はあったか検証」の中では大事な事であった。
けれど
そういうカウンセリング的なことは表現する事とは別なのであった。

でもまぁ、検証会議としては、微妙な部分が深掘りできたとは思う。
それを詩にしても良いと思ってしまったのはたぶん甘えなんだろう。
もうそういう年齢でもないのだった。

久々に教育カウンセリングの先生に会いに行こうと思ってしまった。



光明は自分で見つけるのだ

なんとなくリフレインしてしまうのが
あまり悪いとも思っていなかったが、書きすぎと言われるのは
嫌なので気をつけようっと。



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