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子ども文庫は作らない

中学生くらいだっただろうか。
石井桃子さんが自宅で子ども文庫をやっている、と知った。

ごく単純に、いいなそれと思い
それは一つの夢となった。
少しずつ絵本を集めようともした。

大人になって結婚して家を持つ頃にはそんな夢は忘れていたが
私は少しずつ本を買っていた。

その家を出てしまったときに
持ち家を持つ事は多分ないだろうと思った。
その時の自分にとって、
子ども文庫は「お金の問題」だったと思う。

そんなことを深く考えることもなく
日々を忙しく過ごしてきて、今。

私に欠けているのは「お金」ではなく
コミュニケーションをこちらから持とうという「意欲」だったという事実。

私は「こちら側の人」なのだった。

note で、他の人の文章を見て感想を書き込むことはある。
他者がいるところで話をしろと言われて、できないことはない。

コミュニケーション能力が全くないわけではない。
けれど
積極的に持ちたくはない。
友達を増やそうとも思っていない。
大勢で集まることをほとんど求めていない。
他者に対するリスペクトがないわけではないけれど。

オードリーの若林さんたちがいろいろ言っていることで
腑に落ちることがあり過ぎるのだ。
会合が終わった後に、同じエレベーターを避けてしまう
というような小さなエピソードたち。

スキルのあるなしの問題ではなかったのだった。


私はたぶん、自分の領域に他人が入ってくるのを
とても面倒だと感じてしまう。
独りでいる時間がとてもたくさん必要で。
だから「自宅で子ども文庫」は荷が重すぎるのだ。
すぐ疲れてしまうだろう。


いろいろな人に声をかけて協力関係を作って
作った文庫をどこかに引き継ぐ みたいな、
そんな大仕事もできないし
日々、子どもたちと話をするエネルギーも
既になくなっている。
石井桃子さんは、偉大なのだった。


側仕えが何人もいるような大邸宅を持っていたら
違うかもしれないかな、と考えてみても
やっぱりただのご隠居さんとして、
ひとりでのんびりしていたいのだった。

noteの「知らない顔見知り」
そのくらいの距離がちょうどよい。


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