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無用という事

伊勢物語の「男」は
身をえうなきものに思いなして、旅に出たという。
要なき者ということだ。

高校生の頃、
高校時代って無用だと思っていた。
私の時代は高校生がアルバイトをするのはまだ一般的ではなかったし
高校なんて無しで、大学進学できれば良いのに と思っていた。

もしも本当にそんなことができていたら
私の仕事選びは全く違ったものになっていただろう。
実際受けたい学科も二転三転していたし。


ドラマで「無用の介」というのをやっていた。
時代劇だ。劇画原作の。
賞金稼ぎ とかだった。
「用なし犬」と呼ばれていた。
感情をあまり見せない人が、何か人助けをしてしまうみたいな
巻き込まれてしまうみたいな そんな内容だったと思う。

そのドラマのタイトルバックの映像が、今でも思い出されるのだ。
水たまりのような池?で、野良犬と並んで水を飲むのだ。
手ですくって、ではなかったような気がする。
犬のように口をつけて直に。


そういう映像を思い出すと
「身をえうなきものと思いなして」
も思い出してしまう。
今思うと、貴族の都落ちと賞金稼ぎの旅ではレベルが違うのに。


高校生の時って
「身をえうなきもの」だと思いやすいんだろうな。
喘息もあまりよくなかったし
やりたいことを思いつくたびに、
体力的にできるのか? と自問自答する日々だったかも。


江戸時代の冬の野宿とか想像できない

この時代 不要不急ということばも
トラウマのようにいろんな人の胸に刻まれたんでしょうね。



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