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遠足 旅行 美術館

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ちょっと遠出したり、旅行の記録。美術館巡りもここに入れました。
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都美術館

印象派はずいぶん見たし と思ったが、「アメリカへ」とあったので 春休みになる前に、と思ってみてきた。 上野全体も混んでいたし、美術館も混んでいた。 過去の展覧会一覧を見てみたが、 コロナ少し前から行っていなかったみたいだ。 2019年の「コートルード美術館展」に行った記憶がある。 行きたいと思っていたハマースホイのあたりからコロナ自粛だった。 今 過去の一覧を見て「スコットランド美術館展」には行きたかったと思ったが、当時は美術館を検索することも意識になかったのかなと思う。

日比谷にゴジラがいるとは知らなかった

帝国劇場も日生劇場も来たことはあるが 開発後にこんな姿になっているとは知らなかった。 劇場や映画館が沢山ある地域になっていた。 ほぼ「おのぼりさん」であった

骨と軽蔑

女性だけが出てくる芝居 最初から、内戦の砲弾の音が轟いている中で 「慣れてしまった」という使用人犬山イヌコ。 男性がもう召集されつくしているので次は女性、次第に子供になると言われている。 冒頭に姉妹の口げんかが描かれる。どっちが先に、とかどちらの持ち物かとか、喜劇的に繰り返されたが、あの会話も後で考えると戦争の動機のようにも思える。 もともとどこの土地だったかとか所有権とかそういう。 外から見ていたらくだらないことである。 この屋敷は兵器を作る「死の商人」の屋敷で、社長は

梅を見てきた

曇りかと思っていたが、青空が見えたことに感謝。 昨日も暖かくてさらに風が強かったらしく、梅はもう盛りを過ぎていた。 斜面を上から見下ろした記憶があったのだけれど、 写真に上手く撮れるほど上ではなかったようだ。 梅の花は、桜とは違って、花と花の間が密ではないのだった。 この植物園の梅は一種類のようだった。 つまり一時に咲いて、散るのも同時であるということだ。 その後に、フラワーガーデンに行った。 このガーデンのミモザはもっと大きな木だったはずなのだ。 記憶違いではなくて

東慶寺・円覚寺

せっかく晴れたので、遠足してきた。 そんなにたくさん歩けないので、駅近の、お寺二つ。 家を出てから三時間くらいで帰れる距離である。 東慶寺ももはや何年振りかはわからない。 高校生の頃に文芸部での文学散歩に来たのが最初か。 北条政子や文人の墓もあったと思うがうまく探せなかった。 公開を辞めた場所もあるのかもしれない。 基本的にお墓だからか、撮影禁止。 梅はつぼみの方が多かった。 鐘があるところには登らなかった。 JRにはエスカレーターはあまりないので、 昨日の記録は、階

リス🐿️だとわかるだろうか。 昔、鎌倉のどこかの寺の敷地内でリスを見た記憶がある。 駆除されたりしないだろうとは思ったが、まさか目の前に出てきてくれるとは。

兵馬俑展

昨日の上野は 兵馬俑展に行ったのだった。 兵馬俑は大好物で、初期のころから通っている。 過去の大規模のものと比べたら まぁ微妙というか。 今回の目玉は 写真撮って良いよ ということか。 写してはいけない区画は 青銅や俑の壺とか、漢代の少し小さいサイズの兵馬俑とか、 金などの細工モノとか。 昔、サンシャインあたりでやった展覧会や 国立博物館でやったものとは比べるべくもない。 コロナの最初の一年半くらいは上京しなかったので(笑) 展覧会は久しぶりだった。 今年は、行って

マリンタワー

ランドマークタワーから撮ったパシフィコ横浜は 何という題の記事に載せたのかと思ったら、 「怪獣の卵と地底人」というものだった。  タイトルのはマリンタワーから撮ったもの。 写りこみを考えると、ランドマークタワーの方が良いのかな? 技術の問題かもしれないが・・・・ 上手に撮れるようになりたいのですよ。 (0139)

佐伯祐三展

佐伯祐三は、ちょっとユトリロに似ている、と思っていた。 影響されていた一時期があったんだそうだ。 エコール・ド・パリの中に入っている。 30歳で亡くなった画家。 でも亡くなる頃には、フランスでも売れ始めていたらしい。 家族も結核で亡くなっていて、自分もという予感はあったそうだ。 寒い時期に雨に濡れて肺炎になったことがあって それが直接的な引き金になったという。 幼い娘も彼の死から間もなく亡くなったという。 二人のお骨を持って帰った妻はどれだけ辛かったか。 活躍期間が短い

岡本太郎美術館

生田緑地には、岡本太郎美術館があって 一度行ってみたいと思っていたのだった。 フラッシュをたかなければ、撮影自由。 なんとなく絵を撮っていなかった。 岡本太郎さんは 31歳で徴兵されて中国に行っていたとか。 よくぞ生き延びて、と思った。 コラージュ川柳が興味深かった。 ほぼ新聞の切り抜きなので、私には字が小さすぎたが。 展示してある若い人の作品がとても面白かった。 暗い部屋の中に入ると 三方の壁に、というか壁画のように作品があった。 うねるような白い渦巻き。 そこに

浅草 久々のおみくじを添えて

先々週に続き 雨の予報にもかかわらず ギリギリセーフで降られずに写真を撮れた。 用事は「写真」ではないので 文句は言えない。 ヘタなんだけどね、写真。 何撮りたかったかわからない写真。 独り反省会。 教育カウンセラーの先生と会うのが浅草なので 浅草にはわりと通っているのだが 自分の歩く範囲は狭いし、 カメラは持って行っていなかったし 当時はいろいろな意味で余裕がなかった。 でもたぶん、浅草寺や浅草稲荷では 結構真剣に「家族の平穏」を祈っていた時期もあった。 浅草寺は常に

彦火火出見尊

ひこほほでみのみことである。 昔の日本語の発音は はひふへほ が、ふぁ ふぃ ふ ふぇ ふぉ だったらしい。 もっと前は  ぱぴぷぺぽ だったという。 だとすると ひこほほでみ は ぴこぽぽでみ となるのである。 妹が教わった国語学の先生は その昔 学会で発表したら「不敬だ」と言われたそうな。 「不敬だ」って言われてもねぇ、 と こぼしていたという。 まぁ ぴこぽぽでみ と呟いてみると ちょっと明るい気分になったりするかもしれないかもしれない。 「海幸 山幸」 

ブルターニュの光と風

来たかったのは、ここである。損保美術館。 次の日曜までの展覧会。 昨日は電車の信号機故障で諦めた。 今日たどり着かなかったら、展覧会そのものを諦めようかと思っていた。 見たかったのはこの絵。 てっきり恋人なのかと思ったら 若い息子を救い上げたが助からなかった という絵だそうだ。 切なさが伝わってくる。 なんと、ほとんどの絵は撮影が可だった。 まっすぐ撮れないのは根性が曲がっているせいだろうか。 まっすぐ構える訓練が足りないだけなんだろうか。 丁寧さが一番足りていない。

一遍上人

テレビで口から仏様の出る仏像が何度も映され それは空也上人なのだが なんとなく頭の中で 一遍上人と混じっていたのだった。 そこで、 というわけでもなく、藤沢に行く用事があったので 遊行寺に立ち寄ってみた。 自分で寺を持とうとせず、生涯「遊行」したという。 口で言うのは簡単だけど。 やさしい良い顔をした像だった。 やや前のめりで。 祈るしかできない事 祈るしかできない時 ってあるんだ ということが、自然に納得させられてしまう。 まぁ もっと複雑な政治的な要素もあったみ