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超資本主義社会は芸術を衰退させるのか

みなさま、こんにちは。
日本社会も貧富による格差が目で見えるようになってきた今日、とうとうアメリカのようになってしまうのか。。という内容です。
その中で芸術のスタンスを今日は考えてみたいと思います。
昔の昔、本当のパトロンと言われる人たちは、投資の為に芸術家といたわけではない。どちらかと言うと芸術家への支援に近いところがありました。もちろんその中には色々と人間模様があるわけですが。。
将来の芸術家への応援であり、直接的に作品に投資していたわけではありません。
芸術活動はそれなりにお金がかかります。。
現代社会では、美術品のコレクターのほとんどが、投資目的です。
最近の話では、日本人のコレクター?のバスキアの作品の例が分かりやすいです。
いつの時代も芸術家は貧しい、そして貧しさから芸術が生まれることも多々ある中、もっとも重要な生涯芸術活動を続けれる環境とその芸術家自身の精神のあり方が重要なのかもしれません。
芸術活動を行う上で、一番良い方法は大学教員になることです。研究費で画材も買えます。それか本当に自分を信じて、継続的に作品を買ってくれる人を見つけることです。
芸術活動に限らず、やり続ける事に意味があります。僕の周りもほとんどが大学卒業後、絵描きになっていません。中には才能がある人もいましたが、生活の為に時間を取られ、絵を描く時間がなくなり、描くのをやめていってしまいます。
しかし、芸術家の方にわかって頂きたい。何の為に絵を描いているのか。描く、制作行為そのものが、自身の芸術であることに気がつかなければならない。古き良き時代の昭和が終わり、苦労を経験したお金のある戦後の方々は、未来の芸術家の生活的支援を含め夢を応援した。
しかし今日の超資本主義時代になり、芸術は確実的投資と変わっていっている。投資はリスクを背負う、だから名のある作家の絵を買った方良いとなるのです。
しかし、芸術家も色々おりまして、お金の為に絵を描く人・本当に描きたいものだけ描く人と別れます。それは音楽の世界がわかりやすい、インディーズ時代は好きな歌を歌えたが、事務所に入ると売れるような歌を作らないといけない(レーベルによってそこは違うだろうけど)、ミュージシャンもそこは大変です。
構造は似ていても、絵はもっと大変。確かに知名度が上がれば、嬉しいに越したことはない。。が何の為に描いているのか。。
ここで、描く作る行為そのものが芸術であることの意味をもう一度知り直し原点に戻ろう。
そして芸術とは何かをもう一度紐解いていく必要がある。


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