丹波焼 閑心窯 大杉康伸さんインタビュー
こんにちは、のぶちかです。
さて10月22日よりJIBITA2回目となる大杉康伸さんの個展が始まります。
そこで今回は大杉さんのこれまでの歩みについてお聞きしてきましたので、2年前のインタビューではありますがnoteにしたためました。
尚、なるべく臨場感を大事にしたかったので、ほぼインタビューの通りに文字起こししておりますので宜しくお願い致します。
正宗悟氏への師事
のぶちか
備前の正宗悟(物故作家)さんの所で修業されたとお聞きしました。正宗さんは古備前がお好きだったと聞きますが、どんな方だったんですか?
大杉さん
なんせ古備前に近い焼き味を出したいみたいな。甘い焼きを目指してましたね。焼き過ぎるとテカリが出て良くないから言うて、ギリギリ狙うんであのロスもよう出るんです。(焼が甘いと)あの水が漏っちゃうから。それでも甘いギリギリを狙うんです。だから必ず水漏れのチェックして、結構
「こんだけ水漏るんか…」
みたいな笑。で、僕それ焼き直ししたらえぇ思うんですけど、正宗さんは
「それ全部割ってくれ」
言うて笑。正宗さんはすごいロクロ上手なんですけど、昔のやり方が紐作りなので古備前狙うものはは紐作りでやってましたね。
のぶちか
もうそこは儲けたいというよりは一発で古備前に寄せたいという事なんですかねぇ?
大杉さん
なんなんですかねぇ、その…次のやつを作りたいんじゃないですか、たぶん。
もったいないと思うのは、たぶんいっぺん気持ちをリセットしたいと思ってたんやと思います。大概、窯詰めで丁度なんて作れないんですよ。足らんかったら嫌やから余分で作るでしょ。で、(その余分は)入らないじゃないですか。で、(普通は)次の窯に回すんですよね。それをみんな割ってくれって。
のぶちか
えっ?
大杉さん
えぇっ!?て思うでしょ笑。でももうたぶんその間に次の事考えとんですよ。
「もっとこうした方がえぇ」
というのを。より古備前に近付く為に。やからもう昨日の仕事は嫌なんですよ。次の窯には入れたくないという笑。
のぶちか
頭の中でどんどんアップデートというか進んでいっちゃうんですかね?
大杉さん
そういう風に自分で考えてるんじゃないですかねぇ。
だから正宗さんは独立してから若い時に考え過ぎて心を病まれて、空白の時期があるんですよ。焼物にストイックではありますよね。
のぶちか
考え過ぎたというのは古備前を?
大杉さん
古備前が好き過ぎるので、もっとこうしたら良いとか、自分で思われてたんじゃないですかねぇ?
のぶちか
大杉さんもその影響で焼き締めを?
大杉さん
焼き締めは好きですね。で、今の登りの薪窯だけで焼いてみたいと思ってあれを作ったんですけどね。
それでも自分でやり始めると、奥様方の反応って焼き締めよりも釉薬ものの方が良かったんですよ。確かに食卓が全部備前焼とかやったらちょっと暗くなるじゃないですか。部分的にあったら映えるけど。やから
「焼き締めばっかじゃなくてもえぇんじゃないか?」
と思って。
で、あの(登り)窯の後ろに「捨て間」言うてちっこい部屋があるんですけど、そこだけで15時間位、釉薬ものを焼いてたんですけど。当時は灯油窯もまだなくて素焼きも薪でやってたんですけど、始め15時間位で焼けとったんが、その部屋ばかり使うから屋根が開いてきて温度がなかなか上がらん様になって、最後は25~30時間かかる様になったんですね。そしたら体力的にもたん様になってきて、で灯油窯を買ったんです笑。
で、灯油窯は楽じゃないですか笑。薪の窯やったら5分にいっぺん薪汲べなダメなんですよ。で、温度が上がるかどうかも分からんから結構ずっと窯についとかんとあかんでしょ。
で、灯油窯が楽やから今は灯油を月10回焚いてます。でも焼き締めも焼きたいんで、年に1回は焼き締めだけで登りを焚いてます。
のぶちか
正宗さん以外で修業された所はありましたか?
産地の違い
大杉さん
備前の職業訓練校で1年行って、正宗さんの所に2年おって、その後伊賀の土楽窯に7年おったんですよ。そこで土鍋のやり方とか釉薬を習ってから、自分で(研究を開始)。
のぶちか
土楽窯ではどんな感じでしたか?
大杉さん
行って良かったと思います。やり方が備前と全然違ったんで。コテを使って伸ばすみたいな。京都のコテの使い方もまた違うんですけど。
のぶちか
やり方が違う場合はどれがやりやすい、やりにくいみたいなものってありませんでしたか?
大杉さん
始め僕は備前でやってたんで、伊賀のやり方でやらんでもいいやみたいに思ってたんですけど、でもできへん形ってあるんですよ。例えばこの形は備前のひき方では絶対にできないです。
のぶちか
えっ!?
大杉さん
この薄さはコテ使わないと絶対できないです。この時に頭打つんですよ、
「もうできへん」
って。土楽のやり方やないとできへんって。で、自分ができてないって事を実感するんです。それなら素直にそのやり方に従った方が良いって分かるんで。やっぱりそこからは上達するスピードが早く感じましたね笑。
のぶちか
備前のやり方でこの器が作れなかった理由って何だったんですか?
大杉さん
コテを使わないんです、備前ってあんまり。コテを使う時はお皿の時にちょっと使うとか徳利作る時とか。(備前は)手を主に使うんです。ただそれは正宗さんのやり方なのかもしれないですけど。でも備前の陶芸センターおった時も職業訓練校の時もコテは使わなかったです。
のぶちか
一点ものの文化みたいなところがあるんですかねぇ?
大杉さん
備前とかって焼き締めじゃないですか。で、分厚くても良いんですよ。釉薬掛けへんから逆に薄いとちゃちく見えるとか。あと、備前とか焼き締めやっている方は
「分厚くないとあかん」
って。でも僕は薄い方がえぇと思っているんですけど、薄いと土をケチっとると思われる、言うて笑。それを聞いて
「なるほど」
っと笑。分厚い方が土を沢山使ってるでしょ。その方がお客さんに対してサービスという考え方があるみたいなんです笑。
のぶちか
確かに備前って薄作りのもの、あまり見ないですもんねぇ。
釉薬掛けないからその分の重さがかかってこないですもんねぇ。
大杉さん
そうなんです。釉薬掛けたら絶対その分、重たくなるんで。
のぶちか
ちなみに今回のインタビューでは修業時代の苦労話を沢山お聞きしたいなって思って来ました。今のコテのお話も全然知らなかった事ですし、コテが無いと作れない物があるってとても面白いですもんね。ロクロの腕さえあれば全部ひけちゃうって(思ってました)。
大杉さん
あ~、やってみんと分からんですもんね。だから僕、コテの数、ものすごい多いですよ。もう土楽おった時は一個の商品に対してコテを必ず作るみたいな。皿だけでもコテの数がすごい多いです。確かに絶対作りやすいんで。でもね、京都のコテの当て方は最後にコテで形を決めるんですよ。でも土楽はコテを動かしてその形にするんで、中でコテが動くんですよよ。だからガチっとコテに合わせて形を決めるんじゃなしに、手の代わりにコテを使ってる感じです。
のぶちか
備前時代は正宗さん以外の作家と交流はありましたか?
大杉さん
正宗さんの所におった時は他にはあまり行ってないです。なんせ休みが無かったんで。もうひたすら仕事です。良い時で2週間に1回。最長は1か月半休みが無かったです。基本、弟子の時って先生(正宗さん)の仕事の補助をするんですよ、土作ったり土練ったりとか。で、夕方6時位に仕事が終わってから自分の練習を9時、10時位までやって。そこから帰って寝て、朝8時位には先生の所に行っての繰り返しなんで、他に行ってる時間が無かったですね。でも結局夕方やってる位じゃ上手くなってなかったですね。やっぱり毎日朝から夕方までロクロをひくのと全然ちゃうなって、土楽行って気付きましたけどね。
のぶちか
確かに1日で3倍位の差が開きますもんね。
大杉さん
ただ、先生の仕事を見れるっていうのが弟子の一番良い所やと思うんです。やっぱり学校で教えてもらえる事と焼物で生活している人とは仕事のやり方が全然違うんですよね。あと、弟子にしか見えへんとこがあるんですよ。正宗さんの所にも見学とか色んな人が来るんですけど、やっぱり大事な所は言うてないんですよ。
「なんでこれ先生全部言わへんのかな?」
って思って聞くと、
「大事なとこは言うてない」
って。で、その部分は弟子の人でないと見えへん部分なんやなって思います。
土楽窯 ベテラン職人 鳥羽さんの事
のぶちか
その後、土楽に移ってからはどんな風でしたか?
大杉さん
鳥羽さんっていう昔ながらの職人気質の方がおって笑。
のぶちか
当時でおいくつ位の方だったんですか?
大杉さん
70歳近かったんじゃないですかねぇ。
でも一番ロクロが上手いんですよ、早いし笑。もうめちゃくちゃ早いんですよ、本当に笑。若い人の3倍位ひくんちゃうかな?
のぶちか
例えば飯碗だったら1日どれ位ひくんですか?
大杉さん
飯碗とかそういうのはもう作らないですよ。黒鍋って土楽で一番よう売れとる鍋があるんですけど、その中でも尺(30㎝)以上のしか作らないんですけど、1日100個位ひくんですよ。
のぶちか
100個!?
大杉さん
尋常じゃないでしょ笑。で、鳥羽さんは黒鍋ひく時に
「ちょっと土練ってくれや」
って言って来るんですけど、おっきな土鍋は1個ずつ土を練るんですよ。で、その塊が3~4kg位あるんですけど、練るのが追いつかないんですよ、作るのが早過ぎて笑。で、失敗もせぇへんから…、めっちゃ早かったです。で、たまに失敗したら僕のせいにするんですよ笑。
「お前、土が練れてない」
とか言うて笑。
のぶちか&こーすけ
笑笑笑!
大杉さん
無茶苦茶でしょ笑!で、
「はい!すいません!」
とか言うてたんですけど笑。まぁとにかくめちゃめちゃ早かったです。
のぶちか
大変でしたね~笑。他に鳥羽さん伝説はありますか?
大杉さん
そうですねぇ。朝、めちゃくちゃ早く来るんです、誰よりも早く。で、素焼きとかも窯場の専門の人がおるんですけど、自分が作ったのはそういう人に任せない。で、8時から始業なんですけど、7時には行ってその人が来る前に窯詰めして火入れるんですよ。それがなんか当たり前になってて、それを手伝いに…行かされるという…笑。で、僕は「ボン」って呼ばれてて、何のボンか分からんのですけど笑、
「ボン!お前、明日朝早う来いよ。」
とか言うて。
朝早う行って手伝って...、単純に僕…、1時間とか多く働いていました笑。
でも教えてもらわなあかんから(行ってました)笑。
のぶちか
笑
大杉さん
いっぺんなんかすごい危なかったのが、素焼きの窯場の所に(素焼きする為の素地を台車に積んで2階に運ぶ)昇降機があったんですけど、素地を台車に乗っけて運ぶんで、それを昇降機で上げ下げするんですよ。レバー踏んで上がったり下がったりするんですけど、台車って結構おっきい台車なんですね。で、ある時鳥羽さんから、
「ボン、お前明日素焼きやから台車、窯場まで上げとけよ。」
とか言われて上げとったんですけど、上に着いてから台車を引っ張った時に、今までそんな事無かったんですけど昇降機のレバーの所に台車のタイヤが嚙んだんですよ。そうしたら昇降機が下がり始めたんですよ。台車半分だけが2階部分に乗って、後ろのタイヤの方だけ昇降機と一緒に下がっていったんですよ。めちゃくちゃ危ないでしょ?で、怖いからずっと引っ張っとるままやからタイヤがずっとレバーを抑えとる状態になって。やから引っ張れば引っ張るほどどんどん下がっていくんですね。
「もうこれあかんわ。台車に乗っとるやつ、みなつぶす(ダメにする)わ。」
って思ったらピッて止まって。
で、次にそのまま上がって来たんですよ。
「なんか知らんけど上がって来た!」
と思ったら、あのターミネーターのシュワちゃんみたいに鳥羽さんが下からガァーっと来て、
「お前、何しとんねん!」
って。たぶん下がってるの見てバァーっと止めに来てくれたんやと思うんですけど。それでまぁ助かったっていう話なんですけど。めちゃめちゃ怖いでしょ!
のぶちか&こーすけ
(うなずく)
大杉さん
もうえげつない量(の素地)なんですけど、鳥羽さんが
「お前、わしが一週間かけて作ったもん、全部つぶす気か!」
とか言うて。で、その時なんか色々言われたんですけど、最後に
「引いて駄目なら押してみろ!」
とか言うて。引いてばっかおるからタイヤがレバーに当たるんで、
「引いて駄目なら押してみろ」
言うて…、あのぉ……、ちょっと
「決まったぁ」
みたいな感じで去っていきましたけど笑。
一同
笑笑笑!
大杉さん
もう紙に貼っておきたいぐらいでしたもん、
「引いて駄目なら押してみろ!」
もうこういう事が今後、起こらん様に笑。
あれ1台つぶしてたら結構な損害でしたもん笑!結構、若い子らぁでもさし板(作ったものを乾かす板)1枚丸々割るとかはたまにあるんですけど、台車1台割る人っていないんで笑。危なかったです笑。
のぶちか
当時、何歳の時でしたか?
大杉さん
24歳とかですかねぇ。
のぶちか
その時、鳥羽さんが70歳前後…。
大杉さん
あと鳥羽さんはすっごい仕事もするんですけど自分のマイペースもすごくて、昼休み過ぎとるのに
「あれ?まだ昼寝しとるなぁ。」
みたいな笑。でもかなり仕事するから別に誰も何も言わんしぃ笑。
それと鳥羽さん部屋みたいなんがあるんですよ笑。他の人は5~6人で同じとこなんですけど、鳥羽さんのとこだけ特別ルームがあるんですよ。あれぐらい仕事ができる様になるとやっぱり強いなぁ笑。
のぶちか
今で言う職長みたいな方なんですか?
大杉さん
いや、親方はちゃんとおられるんですけど、鳥羽さんは職人の一番ベテランという立ち位置でした。まぁとにかく技術がすごかったです…。
鳥羽さん、いっつも帽子かぶってるんですよ。で、そのアブ(虫)が刺してくるでしょう?それをやっつける時だけ帽子取るんですよ、パーンって笑。
こーすけ
アハハハハ笑!
大杉さん
で、「アブをやっつける為にわし帽子かぶっとんねん。」って笑。
のぶちか&こーすけ
アハハハハ笑!
大杉さん
すごいでしょ笑?こだわりっていうか笑。
のぶちか&こーすけ
泣笑!!!
他には何かありましたか笑?
大杉さん
鳥羽さんはおっきな鍋ばっかりで食器は作らないんで、食器を作る先輩が他にいたんで食器を作る事に関しては鳥羽さんは何も口出ししないんですけど、僕がちっこい鍋を作るってなったらすっごい口出しするんです笑。で、
「お前、作れよ~!教えたるからな!」
って笑。
で、教えてもらって午前中バァーっと作って。で、昼は土楽の皆は一緒に食事するんですけど、そん時に僕は近くに住んでたので昼寝しに帰ってたんです。で、土楽に帰ってきたら全部ね、なんかチョン、チョン、チョン(人差し指で突っつくジェスチャーと共に)って笑。つぶし方もねぇ、なんかやらしいつぶし方なんですよ笑。柔らかいからチョンってやったら変形するでしょ。あれでチョン、チョン、チョンって全部つぶされてたんですよ笑。で、始めはなんか
「いじめにあっとるんかな?」
と思うでしょ、おんなじ職人に。で
「なんなんこれ汗!?」
って思ってたら鳥羽さんが来て、
「お前これ、わしが言うた通りできてないやないか。」
とか言って。それで鳥羽さんがつぶしたんやって分かるんですけど笑。で、
「はい、頑張ります。」
とか言うて笑。で、昼から作る分のは全部つぶしたら仕事にならへんからっていうので、昼からのは取り敢えず全部残すんですよね。で、次の日の朝に前日の昼に作ったもん見てなんやかんや言われて笑。で、また午前中作るでしょ。で、それをまたつぶすんですよ笑。それがずうっと続くんですよ、1週間くらい笑。ほんで、始めの内は凄い腹が立つから
「どこが悪いんですか?」
とか聞きに行ってたんですけど、それでもちゃんと言うてくれなくて笑。
「お前、それ見て分からんかったら言うても分からん。」
とか言うて、あまり具体的な事は言わんくて笑。精神を鍛えてくれてたのかなぁ?で、1週間続くと午前中作ったもんはつぶされるなって分かってくるから、別に文句も言いに行かなくなるんですよね。そうしたら今度は鳥羽さんの方から来るんですよ、
「お前、つぶされて悔しくないんか!?」
とか言うて笑。だから聞きに行っても文句言われるし、行かんくても文句言われるしで、なんか…、この…、理不尽な感じ…を受けましたけどね笑。
のぶちか
結局、何か分かったんですか?
「あぁ、ここやったんや。」
みたいな。
大杉さん
いや、結局数作るからその内、慣れてくる(作れる様になってくる)んですよね。で、鳥羽さんがまぁえぇっていう事になったら、他の先輩方も別に
「ここが悪い」
とか言わへんみたいな。
「鳥羽はんがえぇ言うならえぇんちゃう」
みたいな。
のぶちか
鳥羽さんの技量を他の職人さんが認めてらっしゃったという事なんですね。
他には何かありましたか?
大杉さん
双子の弟がおるんですけど、僕が伊賀におる時に何回か遊びに来たんです。で、土曜日来て泊まるじゃないですか。で、土楽の近くに住んどったから弟が朝、散歩に行ったんですよ。で、たぶん土楽の前を歩いたらしくて笑。で、鳥羽さんってほとんど休まないんですね。日曜日とかも一人で来て勝手に仕事するような人やったから。で、窓の外を見て弟が歩いとるの見たんでしょうね。
「おいボン!お前フラフラ歩いとるんやったらこっち来て仕事せぇ!」
って弟に言ったらしいんですよ笑。
のぶちか
アハハハハ!
大杉さん
(双子で)似とるから間違えてしもうて。で、弟は誰か分かんないでしょ?で、
「お前、どないしたん?」
って聞いたら、
「いや、そんなん無視したで」
とか言うて笑。
「そんなん、次の日、俺、なんか言われるやん!」
言うて笑。
一同
笑笑笑!
職人としての成長
のぶちか
土楽で技量が明らかに変わったなとか、上がったなとか、それを感じたタイミングとかってありましたか?
大杉さん
例えば土楽の商品で片手鍋ってあるんですね。要はミルクパンの浅いやつみたいな。それを1,000個作ってって言われるんですよ笑。
のぶちか
それは何日間でですか?
大杉さん
2~3カ月ひたすら作り続けるんですけど、そんなんひたすらやると数に対しての恐怖感は無くなりますね。だから、今やったら10個とか20個よりも100個の方が手が慣れてきて逆にやりやすいですね。備前におった時は100個作ってって言われると
「そんな数、作れるかなぁ?」
とか
「大変やなぁ」
とか考えとったんですけど、今はそれが無いというか、数に対しての恐怖は無くなりましたね。
独立
のぶちか
土楽での7年を経て、独立を意識されたきっかけは何ですか?
大杉さん
備前と伊賀で合わせて10年っていうのもあるし、その時働いていた先輩がそろそろ辞めて独立するっていう準備に入ったんですが、その人が辞めてから自分すぐ辞めるって言いにくいから、その人が辞める前に辞めようと思って笑。あとは30歳になる前ってエネルギーがあるじゃないですか、なんか根拠のない自信というか。なんか自分はできるんじゃないか?っていうそういうのがあって。土楽にも7年おると周りの人とも仲良くなるんですよね。で、居心地がどんどん良くなってきて、ずうっとおったら辞めにくくなるんじゃないかと思って。辞めて新しい事をせん様になっちゃうんじゃないかなぁっていうのがあったんで、
「動くんやったら今かな?」
と思って。
のぶちか
何か新しい事をやり続けていかないといけないんじゃないか、という感覚はずっと備わってる感じなんですか?
大杉さん
始めに焼物をしたいなぁって思った時は、自分のデザインした器を色んな人に使ってもらいたいっていうのがあったんで。だから初心忘るべからずで独立しました。やっぱり土楽おったら、
「次、これ作って」
って数作るだけなんですよ。給料は上がったかもしれませんけど。ただ自分のもんっていうのがあまり作れなかったんです。あとは辞める時に自分の作った分を販売をしていこうと思ったんですけど。その時、松本のクラフトフェアにも出たんですけど、松本とかに出ると結構声を掛けて頂けたんですよ。その時、
「あっ、いけるんじゃないかな?」
っていうのがあって、もう辞めようと。でもその時は窯が無かったんで試験場の窯を借りてやってたんですけど。
のぶちか
大杉さんって僕達の中では優しい印象があったんですけど、お話をお聞きしてると負けず嫌いというか諦めないというか。他の記事でも読んだんですけど、高校卒業後の進路の事でも御自分で窯業関係に電話かけまくられたとか。
大杉さん
そうです。とにかく手仕事をしたかったんです。商品を手で作る仕事に就きたいと思って。その時に色々ある中で一番身近にあったのが陶器、器やったんですね、食宅で使うから。で、陶器の学校に行きたいと思って進路の先生に聞いてもよく分からなかったんですよ、
「大学の陶芸科とかはあるけど…。」
みたいな感じで。それから本屋さんに行って「焼き物の本」っていう千円ぐらいの本を買ったんですよ。で、一番後ろに全国の陶器まつりのカレンダーがあって、そこの問い合わせ先が陶器組合やったり観光協会って書いてあるから、片っ端から電話かけて。で、あるけど県内在住、在勤の方しか資格がないっていうのがほとんどだったんで、県内でも県外でも受けられる所を全部受けに行きました。で、備前だけ受かって…、良かったですよ笑。備前も通らんかったら焼物浪人かなんか分からんけど、危なかったです笑。
のぶちか
これからの展望をお聞かせ下さい。
大杉さん
芸術家にはなりたくないというかなれへんし、芸術家ではないと思っとるんで、焼物屋でやっていきないなぁと思うから、変に自作に価値が付かんでもえぇというか。できるだけたくさんの人に使ってもらいたいんで、量産品よりは高いけど、普段よりもちょっとお金出して作家ものを買おうか?っていう器好きになる始めのきっかけになれればいいなと思いますね。そこから陶芸が好きな人が増えたら陶芸業界も盛り上がりますし。
-終-
インタビュー 2020年8月24日
◆「大杉康伸 陶展」
会期:10月22日(土)~27日(木)
作家在廊日:10月22日(土)
会場:JIBITA
オンライン個展:10月28日 21時~
大杉康伸 略歴
1977年 兵庫県神戸市に生まれる
1996年 岡山県備前陶芸センターに入所
1997年 備前焼作家 正宗 悟氏に師事
1999年 伊賀土楽窯 福森 雅武氏に師事
2006年 丹波市山南町石龕寺近くに登り窯を築く
2007年 初窯
2009年 田部美術館「茶の湯の造形展」に入選
2011年 〃
大杉康伸公式ホームページ⇩
http://kanshingama.com/