ものわかりのよさと緩慢な自殺

自分の気分に対する高い衛生観念のために、どんな想いも持続しない。怒っても、好きになっても、焦っても。「とらわれ」を消化、昇華、沈下、鎮火させるのが早い。出来事としては思い出せるのだけど、本で読んだ他人の経験と区別がつかなくなっていることがある。もちろん、自分の体験かどうかは前後の記憶とあわせて判別できる。場面を思い返しただけでは本当に自分の身に起こったかどうかはあやふやだ。人の記憶なんてそんなものだと実感を持ってわかってる。私とは度合いが違うとしても、他の人も同じようなものだろう。まわりとのズレがなければ気にする必要もないだろうから、そのことを考える機会もないと思う。

「とらわれ」が悪いから消そうとしているのではない。とらわれている自分の気持ちが不愉快で、手を打たずにはいられなくなる。打つ手が長期的なものであれば何かを成し遂げられるのかもしれない。でも、我慢できずにすぐその場で解消しようとしてしまう。手っ取り早く自分の感じ方を変えてしまうことを選んでしまう。受け入れてしまうから、人生に目標が定められない。


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