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写真好きの一人言『音楽を聴きながら』

先日、Xで目に止まった投稿。

【撮影の時、音楽は聴きますか?】

とても考えさせられる質問だった。
その時々で現像作業中に音楽を流すことはあったが、撮影時に音楽を聴くという意識はしたことがなかった。

個人的にこの問いかけがとても響いた。
撮影時に音楽を聴くってどういうこと?
聴きながら撮るの?
何の為?
気分を盛り上げるのかな?
気が散らない?
次々と疑問が湧いてきたが一通り出し切った後に

じゃあ、自分はどうだろう?

と自問自答してみた。

今までのことを思い出すと撮影するから音楽聴こう(かけよう)ということは基本一度もなかった。強いて言えば子どものお遊戯会でダンスしている時に撮りたい振り付けを待つ時にかかっている音楽のリズムにのるぐらい。

仕事や撮影会(参加したことはないが)でいい雰囲気で商品・人物撮影などもしないので、自分の出す答えは聴かないで決定。となったのだが、ここで理屈っぽい厄介な自分が現れ、

そもそも音楽って聴こうと思って聴いてる曲だけなのか?
YouTubeにもカフェBGMや環境音ってあるぐらいだから、意識しなくても聴こえてくる音も音楽じゃないの?

と質問してきた。

確かにそう。

流行や学生時代に聴いていた思い出の曲とかいうものだけでなく、車の音や話し声、窓を打つ雨音や鳥の鳴き声も生活が創っている音楽だ。

そう考えると、自分が最も撮って楽しかった時であるボリビア生活時代。カメラを構えると「こっちだ、いやあっち撮れ」と言う人たちや全然関係ないのない遠くで大声で遊んでいる子どもたちの声、お客さんを奪い合う客引きの威勢のいいかけ声や止まらないクラクション、街に鳴り響く軽快なラテン音楽。音楽に溢れていた。

そうか、自分は生活音という音楽を聴きながら撮る写真が好きなんだ。と理解した。

市場の喧騒の中で「写真撮って」と声をかけてきたが
カメラを構えると後ろに隠れてしまう
@グアテマラ
時々食堂で音楽を奏で生活の足しにする友人のオマール
@ボリビア

もちろん、そんな環境音だらけの場所ではない所で撮る写真も好きだ。
でも自分が撮りたい写真、それは
写真として切り取った世界から映像だけではなく音や匂いといったその時の雰囲気を残せるような一枚なのかもしれない。

音が無くても好きな写真はたくさんある

なら映像も音声も残せる動画がいいんじゃないか。
動画なら思い出を間違いのないカタチで残すことができる。
その通りだが、自分は写真がいい。

元々は3次元・立体的な世界を2次元・平面的な写真というカタチに残す。
あえて情報が足りないからこそ自分なりのエッセンスが加わって見ることができるのではないか。
人が撮った写真でも、この人は撮影時にこんな環境でこういうことを考えていたのかも?と考えることでよりその1枚に没頭できるのかもしれない。

なんだか難しい話になってきたが、不足しているからこそ自分でそこを読み取る・感じることが、コミュニケーションツールとしても楽しめる写真の面白さと思うようになった。

今まで撮ってきた写真を見返すと、当時の音や匂いが蘇る時がある。思い出の補正はかかっているかもしれないが、とてもいい時間を過ごせる。

ボランティア先の幼稚園で最年少グループの
(パピート)ガジェゴ

日常を残したいと思って撮り始めたことを思い出し、これからは音や匂いも感じられるような写真を撮っていきたいと考えるようになってきた。

書くだけ書いたがそんなに簡単にできるものではないだろう。それでも、自分がやりたい・撮りたいものをハッキリと残せるように意識することでこれからは少しは満足した写真を撮っていける気がする。

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