真理の自己紹介note
どうも、真理です。
俺のことを知らない方もいると思うので、軽く自己紹介をすると、
底辺工場勤務のセカンド童貞から金も女もゲトるストーリーを配信するというのをコンセプトに、吃音および適応障害と診断されながらも
と言った、異常な行動力を持っているマインド強者です。
そんな俺ですが、今回自己紹介noteを書くことにしました。
書こうと思ったきっかけは、単純に俺の過去を知りたいと、合流する人からよく言われるようになり、よっしゃ書いたるかと思っただけです。笑
また、俺自身、確かにかなりのハンディキャップを持ちながらも、このように強いマインドを持って行動し、結果も出し続けているので、気になる人は普通にいるんじゃないかなとも思いました。
そこで、今回は俺のこの強靭なマインドがどのようにして生まれたのか。
その源泉となった、強烈な過去の数々を公開していこうと思います。
では、早速本編に入っていきます。
1、貧困母子家庭に産まれる
俺は東北のとある場所で生まれ、姉が2人いる3人兄弟だった。
ただその過去はかなり強烈で、5才の時に両親が離婚し、母親に引き取られた。
後に母親は再婚したが、新しい父親は俺のことを母親の付属品だとしか思ってないぐらいの、スペシャルにやばいやつだった。
しかも、姉からはいつも罵られる日々で、小学生の頃から、あまり人生というものに対し、希望というものがなかった。
おかげで、俺は小中学校の頃から、圧倒的非モテ童貞インキャチー牛。(当時は自覚がなかったけど)
そんなやつだったことに加え、最初は運動もできなかったから最悪だ。
小学生の頃、俺はソフトボール部に入っていたが、当然ド下手。
ただ何よりも悔しかったのは、小学5年の時に、俺より低学年のチームメイトがレギュラー番号をもらう中、自分だけユニフォームさえもらえず、Bチームの変な番号をもらった時。
そして、その番号を母親に渡し、ユニフォームに縫い付けてもらうときに、「またレギュラーになれなかったね...」と悲しそうに縫い付けてくれたのを見て、俺はめちゃくちゃ悔しく、そしてその現実があまりにも悲しかった。
その日を境に、俺は小学生ながら、夜遅くまで毎日自主練習をした。
公園で壁打ちをして、素振りも何百回もやり、ランニングもした。
おかげで、小学校6年の時には、なんとかレギュラーになる事ができた。
レギュラーになれたことを母親に報告したときの、嬉しそうな表情は今でも忘れることのできない大切な思い出だ。
ちなみに今もだけど、俺は母親のことだけは好きだ。
(父親がどれくらい酷いやつかは、後ほど紹介する)
ただ、育て方の方針が、
「ちゃんと勉強して、ちゃんとした企業に入って、ちゃんとお金を稼げば、ちゃんと良い奥さんが見つかる」
といういわゆる典型的なやつ。
なので常日頃から、「真理は真面目に生きなさいね」と言われながら育ってきた。
誠実でいれば報われると思ってた俺は、その通りに生きてきた。
ただ、これは界隈の常識とは180度反対の生き方。
なので当然モテるわけもなく、友達も少なく(仲が良い友達は居た)、自分を変えようともせず、ただただ1日を浪費していく日々が過ぎ去っていた。
そして、中学校に入学しても、そのスタンスは変わらなかった。
唯一インキャっぽくないエピソードとしては、地元にいたヤンキーを馬鹿にしたこと。
けど、その馬鹿にしたヤンキーがまさかの隣町の中学校の荒くれ者で、そいつらが隣町の中学校を束ねて、俺の中学校に襲ってきた。
と言う、大事件の引き金を引いたぐらいしかない。
この事件はかなり大事になり、3日間ぐらいは警察官が俺の中学校や地元で巡回していた。
しかし、こんな大事件が、俺のたった一言で引き起こされるとは思ってなかったから、ビビりまくって黙ってその場は凌いだ。
ちなみに、小中学校の頃は恋愛というものに全く興味がわかなかった。
(言い換えると、できなかったというのも間違いではない)
しかし、小学校5年生の時に、俺は突如精通を果たし、そこからほぼオ○ニーをする毎日。
おかげで、さらに拗れてしまい、非モテ感が加速してしまったのは言うまでもないと思う。
ちなみに、俺がどれだけオ○ニーが好きかというと、お気に入りのA○女優が出演しているA○を全てコンプリート。しかもそれを10人分達成させた、とでも言えばどれくらい好きか伝わると思う。
ただ、とある方に、A○見すぎで性癖がねじ曲がってるからもう見るなと言われ、上京してからは1回もシコってないので、悪しからず。
と、そんな小中学生時代を過ごしていた俺だったが、高校入学と同時にとある転機が訪れた。
2、全国大会出場で非モテから解放される...?
俺は高校入学と同時に、突然「モテたい!!!!!」と思い始めた。
きっかけは、もう俺のお化け並みの性欲が抑え切れなってきたから。
そこで、何を思ったのか俺は「部活で活躍すればモテるんじゃね?」という、いかにも単純な思考でハンドボール部に入部した。
だが、ことはそう簡単に進まなかった。
とう言うのも、この高校のハンドボール部かかなりの強豪で、練習がえげつないほどきつかったからだ。
学校が16時半に終わり、着替えも含めてたった30分でライン引や用具の準備。17時までに準備が間に合わなかったら、1分ごとに1kmの罰走。練習が終わったら、近くの公園で自主練という名の強制練習を21時まで。
こんな生活を週6で続け、唯一の休みは月曜日のみだった。
ただ、こんなきつい練習を毎日行ったおかげで、俺らの学校は全国大会に出場することができた。
当たり前だが、めちゃくちゃ嬉しかった。
そして、同時にこれで俺もモテまくるに違いない。
そう思い、Twitterで全国大会出場を決めたことを報告したら、いつもは10ぐらいしかいいねがもらえなかったのが、100以上もいいねをもらえた。
ちなみに、俺のチームメイトのイケメン君は、その恩恵を受け、Twitter経由で彼女を作っていた。
だから、俺も全国大会に出場したし、こんなにTwitterがバズってるんだから、1人ぐらい女の子から連絡が来るだろうと、ウハウハしていた。
そして、女の子からのDMを今か今かと待ち続け、1日経ち、1週間経ち、1ヶ月が経った。
しかし、女の子からのDMは0。
学校でも、女の子から応援はされるものの、恋愛としてアプローチしてくる女の子は1人もいなかった。
その一方、俺のチームメイトはどんどん彼女を作ったり、いい感じの女の子ができていった。
そして、俺は気づいてしまった。
「もしかして、俺ってモテないんじゃね?」
部活を始めたら、何か変わるかもしれない。
そう思って初めてが、結局何も変わらなかった。
そして、そのまま部活を引退。
しかし、非モテを実感したのはこれだけではなかった。
部活を引退後、時間が余った俺は、気晴らしにマックのバイトを始めた。
そこでは、先輩も後輩も、パートのおばちゃんも店長も、みんな優しく、楽しかった。
そんな楽しい日常を過ごしていたある日。
バイト募集のポスターを撮る事になり、俺も一緒に写真を撮ってもらおうと思い、カメラの前に行った。
のだが、、、、
「真理は写真写り悪いから、入んない方がいいよ〜」
と軽くあしらわれ、俺は写真を撮ってもらうことができなかった。
当然、俺は屈辱だった。
ここで俺はまた、自分が非モテであることを実感させられたんだ。
一方、俺の家庭環境にも変化があった。
それが冒頭で話した、母の再婚だ。
けど、母の再婚相手は最悪な父親だった。
俺の新しい父親は、自分で言うのもあれだが、典型的な非モテチー牛。
だが、お金だけはあった。
そして、父親は母親と結婚するために、お金の力で無理矢理結婚した。
と父親は思っているかもしれないが、実際は俺たち兄弟に学費や生活費を賄うために、母親は自分を犠牲に結婚してくれたのだ。
当時はそんなことに気がつかなかったが、今振り返ると、そうだとしか思えない。
だが、こいつのおかげで、俺は後にとある事件を起こす事になるのだが、、、
まぁそんなこともありつつ、同時に非モテという劣等感を持ちつつ、高校を卒業し、俺は進学はせずに就職をした。
3、大手底辺工場に就職
俺は高校卒業後、工場に就職した。
この工場はかなり大手の工場で、家電の部品を作っている工場だった。
名前は誰しもが知っているような大企業なので、ちょっとここでは黙っておく。
一応大手の会社だっため、研修もしっかり行っていた。
そして、その研修を受けるために、俺は関東へ。
だが、この研修が、俺の人生を大きく狂わせる。
何が起こったのか。
それは、、、
俺はこの研修でいじめられ、精神的にも、肉体的にも、ボロボロになり、医者から“吃音”と“適応障害”と診断されてしまったんだ。
これがどれだけ辛いかというと、職場では適応障害のせいで失敗ばかり。さらに吃音で人とのコミュニケーションが困難に。
おかげで、いじめはさらに加速した。
人と話せず、仕事もできない、ブスでインキャな童貞。
こんなだったから、もちろんいじめの格好の的だ。
俺はせっかくいい会社に入れたと思ったのに、完全に意気消沈してしまった。
そして、俺は最後まで誰とも仲良くできず、仕事もできず、地元へと帰ることになった。
その後、体調が回復し、俺は嫌嫌だったものの、なんとか仕事へ復帰した。
だが、そもそもこの工場の仕事内容が、クソつまらなかった。
と言うのも、仕事内容はライン工と言うもので、流れ作業で部品を完成させていく、と言う仕事だったからだ。
大手の工場と言うことで、名前はよかったが、もはや人がやるような仕事ではなかった。
ずっと立ち仕事で、同じ場所で、同じ仕事をし続ける仕事。
さらにクソなことに、ライン工と言う仕事は流れ作業だったため、自分1人だけが遅くても早くてもダメで、決められた時間で決められたことだけをひたすら行う。
という、非常に最悪な仕事だった。
おかげで、顔はやつれ、生気もなくなり、非モテにさらに磨きがかかってしまった。
そんな時、事件が起きる。
工場で働く日々が過ごし、20歳たったある日のこと。
いつも通り仕事を終え、帰ろうとした時だ。
俺の上司である、中卒ヤンキーがいきなり絡んできた。
「真理ってさ、もしかして20歳になったのに、まだ童貞なの?笑」
俺はまたいつものやつかと思い、めんどくさくて無視していた。
しかし、この反応が良くなかった。
次の瞬間、上司が突然、
「真理って、まだチェリーボーイらしいぜ〜〜!!!ハハッ!」
と叫び始めたのだ。
当然この声は、オフィスにいる従業員全員に聞こえ、俺は一瞬で会社中の笑い者になった。
この時、俺はなんて惨めで、何も変えることができず、弱い人間なんだと絶望した。
しかし、、、、
「絶対にこいつらを見返す」
と、急に覚悟が決まった。
もはや、あいつらに馬鹿にされ、いじめられる日々には、耐えられない。
必ず見返してやる。
そう覚悟が決まった一件でもあった。
そしてこの事件が、俺の人生を変えるターニングポイントとなったのだ、、、
4、フラン臭まみれで童貞を卒業
俺はこの後家に帰って、まず速攻マッチングアプリを入れた。
入れたたのは当然、童貞を馬鹿にしてきた奴らを見返すため。
そして、惨めで弱い自分を変えるためだ。
入れたアプリは、なんとなくDaigoが作っているから、すぐにマッチするだろうと思い、Withを入れた。
プロフィールを自分なりに整え、写真も載せ、心理テストも行い、準備は万端。
あとは、ひたすら好みの子にいいねしまくった。
だが、20年間童貞だった奴が、簡単に女の子にありつけるわけがない。
検索結果が出なくなるぐらいまで、いいねを押しても押しても、全くマッチせず、泣きそうになった。
唯一マッチできたのは、いいね4のスト値1のDBB。
プロフィールからもわかる地雷感、かつ圧倒的ふくよかさ。
だが、俺はなんとか童貞を卒業したかった。
勇気を振り絞って、このDBBにメッセージを送り、なんとかアポまで取り付けた。
そしてアポ当日。
集合場所には、悪い意味でめちゃくちゃ目立ってる女性とはもはや言えない、生き物が立っていた。
この時点での相手への印象は、見た目0点。笑顔−5000点。爆乳で2点。
ちなみにどれくらいやばかったかというと、適当に入ったお店やカフェの店員さん全員から、くそびびられ、「なんであんな女とデートしてるんだ?!」と汚物を見るような目線を向けられるほど。
しかも、この女はスト値1なのにも関わらず、めちゃくちゃグダってきた。
そんなグダの鬼かつ怪物のぐだ崩しを、童貞ができるわけなく、自分でも驚きだがこの女と3回アポった。
最早狂気の沙汰。
3回目のアポでなんとかラブホに連れ込んだ俺は、「ようやく卒業できる」とDBBではあったものの、気持ちが高揚していた。
だが、これで終わらないのが、怪物の凄さ。
前戯をしようと岩石のようなケツをあげてパンツを脱がしたところ、ムワッとフラン臭の匂いが、俺に襲いかかってきた。
その瞬間、一気に俺のジュニアは元気をなくした。
間を持たせるために、とりあえずク○ニをすることに。(AVの見過ぎでク○ニをするのは普通だと思っていた)
が、あまりのくささにえづき、まじで吐きそうになった。
なので、もうク○ニは一生しないと思いながら、さっさと挿入することに。
そして、フラン臭で縮んでしまった俺のジュニアを慰めながらなんとか挿入。
無事、童貞を卒業することができた。
ちなみに射精をした後は、光の速さで帰った。
こんな感じで、中卒のくそ上司に馬鹿にされたことがきっかけで、俺はなんとか童貞を卒業することができたのだ。
5、あの手術
20歳になった瞬間に、俺は1つの手術を受けた。
それが、ち◯この皮切除だ。
俺のち◯この皮は通常の人よりも、余っている部分がかなり多かったらしく、いわゆる仮性包茎のひどいバージョンみたいな感じだった。
おかげで、ち◯この皮をいくら剥いても剥いても、下まで剥けない。
女の子とやる時も、挿入してピストン運動で腰を引くとき、包皮が全て戻ってしまう。
そうするとカリの引っ掛かりがなくなって全く気持ちよくない。
凹凸のない魚肉ソーセージを出し入れされてるみたいな状態になって女の子も全く気持ちよくない。
おかげで中折れすることが大半だった。
そうなってくると、口説き落とす云々の前に、そもそも最終ゴールであるセックスができない。
そこで、20歳になった瞬間に余った皮を切除することに。
場所はわざわざ東北から東京のクリニックにまで行き、夏のボーナス全額20万円支払って、手術してもらった。
さらに、俺のポークピッツは包皮の余りだけでとどまらず、フォアダイスというブツブツが大量にあったためそれも電気メスで全て切り取ってもらった。
しかし、皮をとったのはいいものの、ここからが地獄だった。
まず圧倒的な痛さ。
ボッキなんてしようものなら、今にもち◯こが2つに割れるかと思うぐらいの、激痛が走った。
朝立ちのせいでち〇こが無意識にボッキして、痛みで夜中、何度も何度も目が覚めた。
また術後は衛生にする必要があったため、常に包帯でぐるぐる巻き。
風呂に入るときも濡らしてはいけなかったため、必ず上からゴムをつけて入った。
だが何よりも辛かったのは、亀頭の痛さ。
普段皮がかぶってた人が、いきなり亀頭を露出したら、刺激が強すぎて痛いに決まっている。
この辛さは職場でも支障をきたすほどで、もはや術後しばらくは立ってるのがやっとだった。
流石にこれ以上はきつい。
意を決し、俺は上司に適当に「ち◯こにバイ菌が入って痛いので、担当を変えて欲しい」とお願いした。
すると、「大丈夫か?ただ担当を変わってもらう相手にも相談しないとだから、1日だけ待ってくれ」
そう言われ、なんとか明日からは痛みから解放されて過ごせそうだった。
だが、翌日出社したら、、、、、
職場の全員に、俺のち◯こにバイキンが入ったことをばらされていた。
中でもうざかったのは、経理のババァ。
「風俗の行き過ぎなんじゃないの?」と煽られ、まじでぶん殴りたくなった。
とそんなイライラすることがありながら、俺はアプリを続けたはいいものの、相変わらずマッチは全くしない。
マッチしても例によって、スト値1のDBBばかりだ。
そんな時、男が誰でも夢見るあのイベントがやってきた。
6、出会いと別れ
そのイベントとは、そう。
成人式だ。
この成人式で俺は運命的な出会いを果たした。
その子は中学の時はあまり可愛くなかったものの、ずっと俺のことが好きだった子。
そいつは、スト値2からスト値6に化けていた。
顔は小松菜奈の顔を100倍に薄めた感じの子。
しかも、こんな優良物件が、未だ俺のことが好きだということが判明。
当然俺はめちゃくちゃアプローチ&連絡先を交換。
この日を境に仲良くなれ、トントンと話が進み、デートをすることに。
彼女はまだ処女で彼氏もできたこともなかった。
童貞を卒業していた俺は、謎に少しだけ立場が優位に感じ、自信を持ってアプローチしまくった。
さらに俺はもともとゴリゴリのオタクだったのだが、彼女もゴリゴリのオタク趣味があることもわかった。
可愛い、趣味合う、処女という、3つの要素が俺のストライクゾーンに突き刺さる!!!!!!
これ以上の女はいない。
俺はこの子と結婚する。
そう思い告白し、無事付き合うことに。
だが、俺は童貞を卒業していたのにも関わらず、あまりにも童貞思考すぎた。
それ以降、非モテコミットをめちゃくちゃしまくり、職場から家までの行き帰りを毎日車で送迎し、YSLの5000円ぐらいのリップをあげたり、ちょっと高級な入浴剤もあげ、彼女から欲しいと言われたバッグを購入してあげるということを、ほぼ毎週していた。
その後、どうなったかはお察しの通りだ。
彼女の俺に対する気持ちは、北海道の真冬の気温並みに冷めていった。
3回目のデートの約束を2回目のデートのすぐ後に決めていたのだが、彼女からは、バイトやら学校やら用事やらで、何かと言い訳をされ、リスケにリスケを重ねられた。
それでも、俺は非モテコミットをやめなかった。
そして、ついにこの日が来る。
2ヶ月ぐらいデートを先延ばしにされたが、なんとか予定が合ったデート当日の朝。
彼女から1通のLINEが来た。
「おばあちゃんが倒れて病院に行かないといけなくなった」
と、断り文句のテンプレのようなLINEが来た。
俺は
「流石に嘘だろ。なんで俺とのデートを避けるんだ」
と怒りに任せて、怒涛の追撃LINEを送った。
そしたら、彼女から一言。
「私たち、もう別れよう」
こうして、俺は運命の赤い糸で結ばれていたと思っていた彼女と泣く泣く別れた。
「もう俺には何もない。」
そう思い、人生に絶望し、仕事も遊びも何もやる気が出ず、意気消沈していた。
職場の人間から馬鹿にされても、何も感情が動かなかった。
その後の俺は、傷を癒すために、3ヶ月もソープに通い続けた。
イソジン臭いところでs◯xをし、お姉さんに慰めてもらう日々。
世界の全てに色がなくなり、モノクロの世界で、感情を全く表に出さない。
そんな廃人みたいな生活になってしまった。
7、上京すると覚悟
そんなある時。
俺はとあるYouTuberを見つけた。
それが、かの中星さんだ。
確か最初にみた動画は、サンクスコスト理論の動画だったと思う。
そして動画で紹介されている非モテの特徴が、全て自分に当てはまっていたことに衝撃を受けた。
俺は彼女のためにやっていると思っていたことが全て、非モテへの階段を確実に進んでいると気付かされたのだ。
それから、俺は中星さんに狂信した。
TwitterもYouTubeもnoteも全てのコンテンツを、貪るように読みまくった。
その後、晴れて教祖様の信者入り。
おねすても5万円払って購入し、界隈用のTwitterも作成した。
これが20歳の5月のころ。
そしてさらに、8月の頭に、とあるマインド勢が東京で無料のストナン講習を開催すると、Twitterで発信しているのを見つけた。
俺は彼の無料講習になんとか参加したいと思ったが、その時俺がいた場所は地元の東北地方。
それでもなんとか参加したいと思った俺は、速攻翌日の朝一の新幹線のチケットを予約し、彼の無料講習に参加した。
おそらく、この頃らへんから、圧倒的マインドを手に入れ始めたんだと思う。
ちなみに講習の結果は、なんと11声掛け、3番ゲ。
「ストナンって本当にできるものなのか、、、」
と、衝撃を受けたことは今でも忘れない。
その後はすぐに地元に帰ったが、ストナンをやりたい欲を抑えることができなかった。
だが、地元でストナンなんかしたら、狭いコミュニティ故に、噂が一気に回ることは間違いない。
でも、なんとかナンパをしたい。
ここで俺は決断をした。
「1年後に上京しよう」
その決断をしてからの1年間は、上京するための準備期間とし、俺は自己研鑽に取り組んだ。
例えば筋トレに100万円ぐらいかけ、貧弱な体を、強靭な肉体へと改造した。
車の購入で230万円のローンがあったが、それも1年間の間で全て完済した。
中でも一番の自己研鑽は、去年の11月に施術した整形手術。
俺は今でこそ面影はだいぶ無くなったが、圧倒的ブスだった。
二重整形でもだいぶ印象が変わるとわかったので、とりあえず二重整形をすることにし、そのことは親や兄弟、会社の人や友達など、周りにいる人全員に伝えた。
だが、
親には「そんなのやってもモテないと」
姉からは「一家の恥だわ」
職場からも「真理はしても無駄無駄」
と、誰も俺の決断を応援してくれる人はいなかった。
だが唯一、親友達だけは「興味あるならやってみなよ」と背中を押してくれた。
彼らだけは、唯一の心の友だと改めて感じた。
彼の言葉に背中を押された俺は、カウンセリングの予約を3つとった。
と、思ったのだが、なんと俺の地元の近くにたまたま東京の有名な先生が来ていることが発覚。
他のカウンセリングは全て投げ出す勢いで、その先生がいるクリニックへと向かった。
だが、なんとその先生は翌日には東京へ帰ってしまうとのこと。
それでも俺は絶対にこの先生に手術してもらうと決めていた。
そこでダウンタイム考慮せず、先生が帰る直前に無理矢理お願いして、二重整形の手術をしてもらった。
結果は、見事成功。
ただ、目はパンパンに腫れているのにもかかわらず、手術した日は日曜日だったため、翌日にはアンパンマンみたいな顔のまま出社しなければいけなかった。
そして、翌日。
俺は正直、みんなからかっこいいと言われると思っていた。
親からもらった大事な体にメスまで入れて、それなりの覚悟を決め、自分という存在を変えたからだ。
だが、結果は予想と全く異なるものだった。
職場にいた全員から、また馬鹿にされたんだ。
こんな場所はさっさと抜け出そう。
そう思い、必ず東京に行くと、改めて強く決意した。
8、家庭崩壊
そんなことに加え、俺の家庭でも、今年の5月ごろにとある事件が起こった。
(俺事件巻き込まれすぎじゃね?)
今の父親は高校で母が再婚した新しい父だが、この父親が最悪なやつだった。
冒頭でも書いた通り、こいつは絵に描いたような非モテ金持ちチー牛。
しかも、俺のことは母のただの付属品としか思ってなかったので、めちゃくちゃ嫌われていた。
そんな俺は、いつも家では自炊していた。
なので、揚げ物の音や、食器を並べる音、器具を洗う音などは普通に出てしまうのだが、ある時、奴はその音にキレてきた。
「うるせぇ!!!!」
と、思いっきりドアを閉められる。
こんな生活が3ヶ月続いた。
流石にいつまでもこの生活を続けるのはやばいなと感じた俺は、父と母と俺の3人で話し合う場を設けることに。
そこで俺は、「このままの生活が続くのは耐えられない」と2人に伝え、母に父を説得するようにお願いした。
いがみあうのではなく、ルールを決めて、お互いにストレスなく過ごしたいと。
その瞬間、なんとやつは「オメェがこの家から出ていけばいいだろ!」と、ひたすら喚き散らかし始めた。
そう、奴はコミュ力が壊滅的になかったんだ。
40後半になっても、同じ会社にずっといるのにも関わらず管理職にもなれず、ご飯の時でさえ、一言もしゃべらない典型的なコミュ障だった。
俺はこの態度に、もはや呆れを通り越し、怒りの感情が湧いてきた。
当時俺は筋トレをガチガチにやっていたため、身長は170cmに対し体重は70kgオーバーで、BIG3は400kgは余裕で挙げられるほどのガタイだった。
このガタイで、俺は奴に襲いかかった。
当然敵うはずがなく、俺に速攻押さえ込まれる。
拳の痛みが3日間取れないくらい、親父をボコボコに殴りまくった。
母はこの光景をみた瞬間、泣きながら俺を止めようと、間に割って入ってきた。
だが、そんなのにはお構いなく、俺は軽く母の腕を振り払った。
しかし、俺の力は体の弱い母にとっては、あまりにも強すぎたんだろう。
本当に軽い力で振り払ったと思ったのにも関わらず、母の体は吹っ飛び、後ろにあったタンスに後頭部を思いっきりぶつけたんだ。
床は出血で血まみれになった。
俺はすぐさまやつから離れ、母の元へ駆け寄り、救急車を呼んだ。
「母さんが死ぬかもしれない。どうしよう」
そう思い、何度も何度も後悔と謝罪を心の中で繰り返した。
だが、幸いなことに、母はなんとか無事だった。
「良かった」
と、俺はほっと一息ついた。
のだが、安堵の感情をかき消すように、奴が俺に向かって「傷害罪で訴えてやる!!!」と、また喚き散らかし始めたのだ。
最早、頭のネジは中国製なんじゃないかと、真剣に思った。
だが、母は「それだけは絶対にやめて!!」と泣きながら、奴を止めてくれた。
こんなになっても、母は俺のことを守ってくれたのだ。
にも関わらず俺は、、、、
その後、俺の家庭は誰もしゃべらない壊れた家族に成り果ててしまった。
9、いざ上京
こんな感じで俺には、地元にほぼ居場所がなかった。
職場ではいじめられ、家では誰もしゃべらなず、友達も少ない。
ただ、唯一、親友たちのことだけは、心残りだった。
だが、彼らのためにも頑張ろう。
必ず人生を逆転させよう。
そして、東京に行くと決意してから約1年後。
6月にようやく全ての準備が整った。
だが、住む場所がまだ決まっていなかった。
できれば固定費は安くしたいな。
そんな感じのことをツイートしながら、今後どうするか考えていた。
そんな時、ナンパ師兼せどり講師のとある方から「よかったらシェアハウスに住まない?」と、Twitter経由で声をかけられた。
ぶっちゃけかなり美味しい話だった。
というにもシェアハウスなのでかなり固定費も浮き、かつナンパ師ばかりのシェアハウスだったため、音声やメッセージなどもいくらでも添削してもらえた。
さらにバイトではなく、せどりも始めれば、時間に余裕ができるとも提案された。
俺は悩みに悩んで、この提案を受け入れ、せどりのスクール+シェアハウスへの入居を決意した。
だが、もう1つ問題があった。
それは、、、
『誰にナンパを教えてもらうのか』
俺にとってこの問題は、人生の方向性を決めるものだったため、非常に慎重に考えざるを得なかった。
そして自分の講師を探すために、Twitterを眺めていた時。とある方を見つけた。
それが俺の今の師匠である、フジさんだ。
発信内容はオーバー中星マインドをコンセプトに、誠実系かつ顔出しで発信しているところに魅力を感じた。
そんな俺の教祖の思想を受け継いでいる、尊敬すべき方が動画で講習生を募集していた。
俺の中でも、この人以外の選択はなかった。
速攻DMで連絡をし、申し込んだ。
これで東京でのナンパ活動も完璧だ。
そして来る7月1日。
俺はキャリーケースとリュックサックを背負い上京。
1年前から念願だった願望を、やっと果たすことができた。
そこからは怒涛のナンパフルコミット。
もちろん、楽なことばかりではなく、むしろ辛いことの方が多かった。
東京の女の子は思った以上に擦れすぎていて、声をかけても、
「あ、大丈夫です」
「話しかけないでくんね?」
「邪魔だから、どっか行け」
なんて言われることばかりで、普通に心が折れそうになった。
だが、俺は自分を変えるために、覚悟を持って上京してきたんだ。
そして鬼の圧倒的高マインドで、来る日も来る日もナンパをし続けた。
その結果、なんと講習初月で10即達成することができた。
達成できた時は、仲間と抱き合って喜んだ。
おかげで、かなり自信がつき、たった1ヶ月だが、俺のマインドはさらに洗練されていった。
そして、そのおかげで本命の彼女ちゃんを作ることができ、かなり幸せな日々を過ごすことに。
まるで、失われていた青春を取り戻すことができたような感覚だった。
その後、本格的にせどりの方法を学び、商品も出品し始めた。
正直ここまで濃い生活をしていたので、せどりでぽちぽちすることさえ、きつい日もあった。
本業が朝から夕方まであり、せどりに使える時間は、夜の数時間だけ。
そして、そこにナンパの活動時間も入ってきたため、時間を切り詰めても切り詰めても、最早足りなかった。
睡眠時間は、多くても4時間ぐらいだった。
だが、シェアハウスの仲間や彼女、そして自分を変えるという覚悟が、俺の背中を押し続けてくれた。
その結果、なんと2ヶ月で本業と合わせて50万円も稼ぐことができた。
そして、今は更なるレベルアップを目指し、ナンパもせどりもフルコミットする毎日を送っている。
以上が俺の過去の全てでした。
正直この文章を書きながら、当時の感情を思い出し、改めて本当に上京してよかったと心から実感している。
僕に携わっていただいている方々、応援してくださる方々は、いつもありがとうございます。
このnoteを読んで、
「真理のマインドの根源はここにあったのか」
「ほぼ事件しか起きてないエキサイティングな人生だな」
と思った方は、ぜひnoteにスキ、もしくは感想引用RTをしていただけたら嬉しいです。
今後も、皆様のためになるような有益な情報を発信し続けるので、引き続きよろしくお願いいたします。
2023年1月22日追記
上京して怒涛の1年が過ぎ23歳になりました!
あれから僕もたくさん成長したので2022年の実績を書きたいと思います。
年収1200万達成
経験人数50人達成(界隈ではかなり少ないです)
せどりスクールで講師業に従事
父親と仲直り←個人的に一番デカい胸の突っ掛かりが解消できた!
そして2023年は念願の「セットバック」という整形を2月に行います。
200万も必要でしたが、工場で働いていたときからずっとずっとやりたいなと思っていたけど諦めていた夢です笑
それが夢ってどうなんって気もしますが、せどりを始めなかったら絶対に無理な夢でした。
これからも日々レベルアップし続ける真理くんをよろしくお願いいたします!
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