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弾丸でつぶれた夢

まだ息子たちを抱っこしたりおんぶしたりしてた頃。

腱鞘炎になり接骨院に行った。

幼い頃によく手首を脱臼した私は、その接骨院で治してもらっていたらしい。

親からそう聞いたが覚えていなかった。



施術の場所は普通の民家の大きな一室。

待合室と呼べるほどの場所はなく、

廊下に置かれた椅子で待つ。

「次の人どうぞ。」

呼ばれて部屋に入る。

確か80代くらいと聞いていた。

振り向いた先生の顔を見て…

ん?

どうしたんだろう。

片方の目にガーゼのようなものを当て、

その上から眼鏡をしている。

(目もらい、かな?)

私が怪訝な顔をしたのがわかったのか、

そんな顔をされることに慣れていたのか、

先生はすぐに言った。

「戦争で片目を撃たれてね。」

え…

撃たれた…

「えぇ!?」

撃たれた?

目を!?



背中がゾワゾワした。

想像しただけでも痛い。

いや、想像もできない。

私の家には祖父がいなかった。

それまで戦争に行った人の話を直接聞いたことはなかった気がする。

急に生々しさを感じた。


「目を撃たれたのに無事で良かったですね。」

失礼なのかそうじゃないのかわからないが、

そんな言葉しか出なかった。


「弾丸が脳まで行かなくて助かった。弾丸を取り出す手術したよ。麻酔なしでね…。」


えぇぇ!?

麻酔なし!?

身震いする。


「体じゅう押さえられて、麻酔なしで取り出した。

後でちゃんと麻酔して手術し直したけど…。

その時は麻酔してたから痛くないはずなのに、体が勝手に暴れてね。どうしようもなかった。

体が痛みを覚えてたんやろうな。結局押さえつけられながら手術した。

情けない話や…。」

情けない…

情けないって…

そんなの情けないわけない。




腱鞘炎以外にも体の痛いところを診てもらい、

何度か通ううちに先生とよく話すようになった。

「それにしてもあんた、おぞい(ひどい)体やなぁ。昔やったら嫁にもらってくれる家ないぞ。」

その時の私は育児の疲れでガリガリに痩せていて、体重は40キロにも満たなかった。

「こんな体じゃ子どもも産めんぞ。」

「子ども2人いますよ。」

「えっ!子ども2人も産んだんか!?よーがんばったなぁ。」

先生は本気でビックリしたようだった。


「しかも…、なんや、あんた。背中の骨が半脱臼したまま固まっとるとこあるわ。」

あー、

もしかしたら…

母の言葉を思い出した。

「あんたが小さい時、ハイハイして外歩いとるから危ないって近所の人に言われたわ。」

母は私を産んだ後すぐ働きに出ていた。

祖母が見てくれてたはずだが、私が寝てる間に祖母は畑に行くことがあったそうだ。

戦時中に片親で父を育てた祖母は、貧乏で食べられないつらさが身に沁みていたと思う。

食べられなくなることが怖かったのかもしれない。

畑に一生懸命だった。

まだハイハイしかできなかった私。

もちろん自分は覚えていない。

お腹が空いて目が覚めたのか、

玄関の段差を降り、自力で玄関の戸を開け、

(田舎だったので玄関の鍵をかける習慣がなかった)

外に出て祖母を探していたんだろう。

落ちたり転がったりして背中を打ったのかもしれない。

家の前は用水路だった。

落ちてたら溺れてただろう。

今思えば危なすぎる。

赤ちゃんがハイハイして外を歩いてるなんて、

ちょっとしたホラーだ。

よく無事でいたと自分を褒めてあげたい。


先生が言う。

「戦争に行く前、結婚を約束した人がおってな。」

「へぇ〜!」

なんか素敵な話じゃない?

「でも、戦争から帰ってきたワシはこんな片目の男になった。

相手の人は待っとってくれたけど、

『もうワシはあんたに相応しい男じゃない。あんたに相応しい男と一緒になってください。』

そう言うて別れた。」

「……。」

「見合いで嫁さんと結婚して。嫁はもう亡くなったけど、ちゃんと最後まで良くしてあげられたと、ワシは思ってるんや。」

そうなんだ…

「今は1人で住んでるんですか?」

「あぁ…。息子家族がおったけど。

息子は教師で、ワシが戦争の話をすることが嫌やったみたいやな。

戦争に行ったこと自体が許せんみたいやった。

ワシのことが嫌で出て行った。」

なんで?

戦争に行きたくて行ったわけじゃないのに?

不思議。

聞きたくなかったのかな…

先生の話だけでは息子さんの気持ちはわからない。



あんたに相応しい人、か…

結婚を約束してた女性は、先生にとってよほど素敵な人だったんだろう。

お見合い結婚の奥さんに良くしてあげられたと言ったけど…

先生の胸の中には約束してた女性の存在がずっとあったんだ。

今もずっとあるんだ。

奥さんはそのことを知ってたのかな。

先生が話さなかったとしても、気づいていなかっただろうか…


でも、言い方を変えれば、奥さんなら片目になった先生に相応しかったということ?

先生は、こんなことさえなければ、好きな人と一緒になれたのにと思うことがあったのかな。

好きな人と一緒になれなかった先生の無念を、近くにいた人は感じただろうか。

先生が息子さんに戦争の話をしたとしても、

話せないこと、話したくないこと、思い出したくもないこともあっただろう。


戦場という異様な場所。

先生は弾丸が飛び交う中にいた。

過酷という言葉でも表しきれないそんな場所で、

どうやって自分を保つ…

戦争が終わったら好きな人と会える。

もしこの戦いで生き残ったならば、

その人と一緒になれる。

先生は、その人を心の支えにしていたのではないだろうか。

その人との未来を夢見ることで乗り越えた苦難があるんじゃないか。

それに、

先生を待っていた相手の女性の気持ちは…?


命があっただけでも良しとしなければならないのかもしれない。

でも、つらい…

私はただ聞いているだけだった。

心に浮かんだ疑問も言葉にはならない。

弾丸がつぶしたものは先生の目だけではない…


先生の手も診察も優しかった。

たぶん心の痛みも体の痛みも、嫌というほど知っていたから。

治療が終わって会うこともなくなった先生。

何年か後に新聞のお悔やみ欄で名前を見かけた。

もう先生と話すことはできない。

でも先生、

もっともっといろんな話を聞きたかったよ。

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