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「教えて!瀧さん」ゲスト対談(尾原 和啓さん)前編

前回から「教えて!瀧さん」と名前をリニューアルし、掲載場所もWantedlyからnoteへと移行した「月刊瀧」。今回は、尾原 和啓さんをお招きしてちょっと刺激的なお話を聞いてきました!
(※この対談は2018年11月に実施されました)

ゲスト:尾原 和啓(おばら・かずひろ)さん※カバー写真左
執筆・IT批評家。京都大学院で人工知能を研究。マッキンゼー、Google、iモード、楽天執行役員、2回のリクルートなど事業立上げ・投資を歴任。現在13職目 、シンガポール・バリ島をベースに人・事業を紡いでいる。

相手:瀧 俊雄(たき・としお)※カバー写真右
株式会社マネーフォワード取締役 兼 マネーフォワードFintech研究所長。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券株式会社を経て、株式会社マネーフォワードの設立に参画。経済産業省「産業・金融・IT融合に関する研究会」に参加。金融庁「フィンテック・ベンチャーに関する有識者会議」メンバー。

Google+のサービス終了に思う、「分人主義」と個人情報

瀧 :このコーナーの説明をしますと、基本、30分くらいニュースをつまみ、それについてカジュアルに言いたいことを言うって感じです。先日、インクルージョンジャパンの吉沢さんと話したテーマ(前編/後編)は、ちょっと難易度が高かったので、今回は一般的な解説をはさみつつ、通にもわかるような話をしたいと思ってます。

お話しいただくトピックは、その場で思いついたことでも全然いいです。まずは、自己紹介をしてもらえますか?

尾原:そうですね。雑な自己紹介をさせていただくと、「インターネットは人間を自分らしく、自由を広げるものだ」という信念に基づいて、インターネットのプラットフォームの立ち上げを、仕事でも趣味でもお手伝いしているという人間でございます。その中で、IDと決済ってインターネットの中の「パスポート」みたいなものなので、Fintechという文脈では結構携わることが多く、i-modeの立ち上げの際も、暗証番号4つでコンテンツ決済することにめちゃめちゃこだわって、いろんな調整をして通したものでしたね。

SNSとしての「ぐぐたす」(Googleが提供していたSNSの「Google+」のこと)は、あんな感じで終わっちゃったんですが。「ぐぐたす」っていうのは、GoogleとしてのIDを共通化していくっていう結果につながっていて、写真や個人情報という個人のプライバシー・意向を守りながら、ユーザーに喜んで使っていただける仕組みをどうやって作るかということに関わっていたり、楽天のときも、楽天ID決済っていうIDの外部化だったり、その決済利用の事業の執行役員をやっていました。IDと決済ってインターネットでは「パスポート」なので、実は裏側でしっかりするっていうことをやっていました。

瀧 :ちょっと深掘りしたくなってきました(笑)。

尾原:いろんなことをやってきたんですよ~、昔は(笑)!

瀧 :Googleって、ちゃんとデータをポータブルにしているというか、全部引き出せる機能があるじゃないですか。

尾原:そうです!当然です!

瀧 :でもGAFA(Google、Amazon、Facebook、Appleのこと)って、一緒くたにされてますよね。語感が怖いからか…

尾原:地獄の四天王みたいな感じの本を、日本で訳したじゃないですか。あれがずるいなって。

瀧 :私は、Google+をあんまり使うに至らなかったんですが、「ぐぐたす」って、例えば僕が尾原さんに見せたい自分と、高橋くんに見せたい自分と、3人で会っているときの自分は、「分人(※1)」だっていう発想ですよね。それって、実はちゃんと区別されるべき発想だと思っていて。昔、Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグが、一貫性を発揮していない人っていうのは、その人には「integrity」がないって言ったんですよ。確かに「integrity」って一貫性っていう意味だけど、同時に成熟さがないみたいな表現をしていて。私は、それは別にしといてあげたいなって思っています。

※1 分人:作家の平野啓一郎氏が提唱。個人を、様々な相手に応じて見せている姿「分人」という単位に分けて考えること。

尾原:そうですね、僕もそう思っています。結局、ヨーロッパの考え方って、人間は一貫性を持った存在であり、それが社会と契約していく、神と契約していくっていう概念にありますよね。だから結局、個人のデータを誰かに渡すと、誰かがお金に変えてくれる。自由を減らしてるんですよね。ただ僕らは自分のデータというものを、「分人」が前提だから、こういう自分に関しては表向きの自分だから晒してもいい、もっといえば、仮想の自分だから晒してもいいというところもあって、そういう発想は、やっぱりヨーロッパには薄いんですよね、原理原則として。

瀧 :FacebookやGoogleなどは、グローバルプラットフォームにしていきたいと思っているんだけど、その過程で東アジアの考え方(分人主義)とヨーロッパの考え方(integrity)がだんだん合わなくなっているんじゃないかなと思います。表立って議論する人も、平野啓一郎みたいな小説家ぐらいしかいないのもあって。

これをファイナンスに紐づけて言うと、この2人の関係性って、それぞれ信用力が違うわけですよね。絶対に約束破る仲とか、絶対に破らない仲もあるときに、ペルソナごとにうまく切り替える機能を作ってあげれば、それをもとにした将来の信用のあり方も変わってくるはずで。「忘れられる権利(※2)」において、ろくでなしになる権利とか、マイルドなろくでなしとか、超信じられるやつとかの、「今ちょっとまじめモードです」みたいな制御の仕方が将来成り立っていくと、優しいインターネットになると思っています。

※2 忘れられる権利:インターネット上に残る個人情報を消してもらうことができる権利

尾原:実は、黒歴史的にGoogleがあまり語らないのかもしれないんですけど、”Google search plus your world”っていう言葉が、一時期Google+と表裏にありました。これは何かっていうと、Googleの検索結果に、個人の検索結果を差し込んでいきますってことなんですね。通常だと、世の中のウェブの情報しか出ませんが、ボタンをオンにすると、例えば「チーズ」って検索したときに、世の中の「チーズ」のことなのか、僕の友達が飼っている猫の「チーズ」のことなのか。僕の世界に重みがあるわけじゃないですか。その重みの中で、チーズと検索した時に自分の検索結果に対してのみ友達の猫のチーズを意味するならば、友達の猫の写真が出た方がその人にとっては便利なこともあるわけですよね。

瀧 :シナプスそのものを、この世界に…

尾原:そう。そこで、「これは、あなたの情報に基づいたあなたの情報だから、あなたにしか見せない検索結果です」っていうことをユーザーに明示しながら、サービスを提供したんです。しかし、これが騒がれたんですね。つまり、一部のユーザーの方々は、「個人の検索結果」であることを識別できないんじゃないかと私は思うんですよ。「なんで僕の検索結果に僕の写真が出ているんだ!プライバシーはどうなっているんだ!」ってて騒動がおきて。その後Googleはこの名前でのサービスは休止したままになっていますね。

論理的に考えれば、「ちゃんと個人の尊厳に基づいた、個人が利用する範囲で、あなたの情報をGoogleが使わせていただきますよ」ということなので、なんの問題もないように見える。だけど、やっぱり難しいのは、結局気持ち悪さなんですよね。ユーザーのリテラシーとか、ユーザーが受け入れられるかをちゃんと確認しながら広げていかないといけなくて。

これを歴史に戻すと、インターネットによってショッピングが広がっていくときの歴史が、まさにそれ。SSLの24bitがその当時あれば、インターネット犯罪は銀行強盗よりも難しいレベルだったにも関わらず、情報が盗まれるとか、改ざんされるとかが怖くて、インターネットでショッピングしない時代があったわけじゃないですか。じゃあ、みんながインターネットでショッピングするようになるまでに、セキュリティの技術が劇的に変わったかって言うと、24bitがせいぜい48bitになったぐらいで、別に変わっていないんですよね。どっちかっていうと、みんながやっているから大丈夫そうだっていう感じだったりするんですよね。その差っていうのは、常に確認しながらやっていかなきゃいけない。

日本における不都合な真実「自分でキャリア形成と成長投資をしないと誰も守ってくれない」

尾原:それから、私が問題に思っているのは、雇用です。非正規雇用の場合、自分への成長投資っていうのが、一番の問題なんですよね。つまり、正規雇用っていうのは、正規で雇用されるから、会社に自分への成長投資をしていただけるわけですよね。でも非正規雇用っていうのは、仕事に対する個別契約でお金を支払っていただける分、あなたの成長は自分で投資する必要があります。だから当然自分のスキルを育てるためには、自分でリスクをとって、何らかの形でお金を自分に投資して、自分でスキルを向上する。融資っていう考え方が生まれなければ、スキルワーカーが育たないリスクがあるわけですよ。

スキルワーカーが育たないとどうなるかっていうと、いつまで経っても、非正規雇用は単純労働者のままで、AIに置き換われるロボットのままですよと。もっと言うと、スキルワーカーですらAIに置き換えられるリスクがあるわけで、本来的にはスキルを超えた専門知識だったり、創造性で勝負しないと、いつかはAIに追いつかれちゃうから、そのための成長投資をする仕組みを作ってあげなきゃいけない。

だから今まで日本は終身雇用制があって。終身雇用制っていうのは、「将来報いてあげるから、最初は給料安くてもいいよね」っていう制度。その代わり、会社がリスクをもって、当然トレーニングをしてあげていた。それがいま、崩壊してるように僕には見える。

瀧 :人材の投資期間とビジネスモデルの賞味期間がどんどん合わなくなっちゃった。高度成長期が唯一、合っていたとも言えるけど、その後は、人材の投資期間に対して、賞味期限の短いビジネスモデルが多くなっちゃったから、ジェネレーションがロスされるわけです。

尾原:だから逆に言えば、国の制度体制としては、少なくとも個人が自身の成長投資をできるという準備しないといけない。いつもこういうことで気持ち悪いのは、キャッシュレスはあくまで手段であって、何のためのキャッシュレスなのか、目的をもっと説明しろと。たぶん日本がキャッシュレスを進めている理由は、税金を透明性のあるものにしたいからですよね、と。だって、インドはちゃんと言うわけじゃないですか。

瀧 :三大不都合な本音とは、一つは、「キャッシュレスで租税が公平化します」、一つは、「自助努力におけるキャリア形成をしなさい」。あともう一つは、「大企業が皆を救えるとは限らない」っていうか…

尾原:そうそうそうです。大企業がセーフティネットだったわけですよ。

瀧 :大企業という保険サービスが破綻しはじめちゃったから、自分で保険を探しなさいと。

尾原:そのために、ダイレクトで全部計算できるようにするし、あなたの信用力を可視化するようにするし、だからあなたが信用力を稼げるような行動をしていれば、保険も安くなるし、融資も受けられるようになるし。「自分のことは自分でやる社会になるんですよ」って、早く言ったほうがいいと思うんですよね。

瀧 :若いころに知らせてほしかったっていう議論が常に出てくるんですよね。

尾原:僕が思う、日本の不都合な真実っていうのは、少なくも今の40代後半とか50代の方たちは、雇われるときは一生面倒を見るという暗黙の了解で雇われたわけじゃないですか。この約束を、会社は反故にしている可能性があるわけですよね。契約上にあろうがなかろうかは別として。社会的通念上の理解として。そうなった時に、40、50代の、会社のエンジンとなって頑張ってきた人たちが、「今さらごめんね、一生面倒見ないんだ」って言われても困るっていう話で。だからハッキリと言いづらいっていうのがあるんだろうな、と邪推するんだけど。でも、それ以上に、それを言わなかったら、いま、キャリア形成をしている20、30代も割を食うっていう話なんだから。

ドイツはシュレーダー元首相が20年前に、痛みを伴って労働市場の改革をやったわけじゃないですか。そのおかげで、今やっぱり経済状況よくなってますよね。

瀧 :留学するときって、SPIみたいな算数のテストを受けるんですけど、その算数のレベルは日本人がぶっちぎりで高いんですよね。英語は、もちろんアメリカ人に負けるんですけど。でも、向こうの24歳とか25歳の子たちは、日本人の50歳がやる「圧倒的当事者意識」のレベルでビジネスジャッジとかをシミュレーションの中でしてるんですよ。別に頭がいいんじゃなくて、トレーニングでもないんですよ。単にそういう環境の中で過ごして、責任もほどほどにとってきたという経験の蓄積が、すごい差を生んでるんですよね。やっぱりかなわないって思うことが、留学中すごく多かった。

尾原:この前も、サイバーエージェントのCHRO(最高人事責任者)である曽山さんと「マネージャーを短期的に促進させるためには、何をしますか」って話したときに、まさしく同じ話をしていて、「いかに決断の回数を増やすのか」っていうことだと。「決断」っていい漢字で、断つことを決めることなんですよね。日本の二択って、あんまり断つことを決めていないんですよね。「AとBどっちにしますか」っていうときに、「Bをとった後も、Aに戻れるよ」っていう判断しかしていないんですよね。

瀧 :断つことが、わかる範囲を決めるっていう感じですよね。

尾原:やっぱり断つことをやってこなかったっていうのは、すごく大きくて。残念ながら、世の中のゲームのルールが変わっちゃったから、「自助努力で頑張って」って、素直に言うべきだと僕は思うんですよね。

瀧 :もっと深掘りしたくなってきましたが、一旦ここで、休憩を挟んで後編へと続けましょう!

本やマンガ、他クリエイターのサポートなどコンテンツ費用に当てるつもりです。感想はnoteに上げていきたいな。