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『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド(訳 村上春樹)、読書メモ

米国作家であるスコット・フィッツジェラルドの代表作で、出版は1925年4月。今回は村上春樹訳。(※ネタバレ注意です)

あらすじ

この物語の語り手であるニック・キャラウェイは、中西部では名前の知られている裕福な家の出身。ニューヨークの東に位置する地域に引っ越してきたニックの家は、毎晩派手な乱痴気パーティーを催している謎の大金持ちの隣人、ジェイ・ギャツビーと知り合いになる。

ジェイ・ギャツビーは何者なのか?どのような過去を持ち、運命を背負った人間なのか?という、ニック=ぼくの視点で語られる。

物語の背景:1922年アメリカ

と、いわれても……アメリカの歴史なんてまったくわからないまま読んでしまいました。もう一読するときには、北米の歴史についてある程度頭に入れてから読みたい。

インターネットで軽く調べた情報によると、1920年代のアメリカは「狂騒の20年代」と呼ばれ、第一次世界大戦の戦争不況から脱却後、経済・文化・技術などにおいてアメリカが豊かになり反映した時代でもあり、また一方で20年代の終わりには大恐慌が起こった時代でもあるそう。

ばーん!と上がって、ばーん!と下がるみたいな。なんだか血圧上がりそうな時代ですな……。

この頃の文化・世相を表す言葉として「ジャズ・エイジ」というのもあって、同じくフィッツジェラルドの短編集『ジャズ・エイジの物語』が由来しているのだとか。1920年代は社会的にもド派手な時代であると同時に、フィッツジェラルドにとっても豊潤な時代だったのかも。

ド派手な男「ギャツビー」

「人間はなぜ戦争をするのか」という問いがあるけれど、その答えの一つは金が儲かるからだと思う。直接にその恩恵を受けなかったとしても、一部の人間が大儲けしたとすれば、その周囲にいる人間、そのさらに周囲にいる人間……と、結果的に多くの人間がそのおこぼれにあずかることができる。

戦争のまわりには金が集まる。戦争をして大儲けができるのはもちろん金持ちだけなんだけれど、貧しい人間でも、どこの馬の骨ともわからないような人間でも、巡ってきた「小金」を手にするチャンスがある。

ギャツビーがどのように金を手にしたのか具体的な記述はないのだけれど、ギャツビーが貧しく名もない家の出身ながら、大金持ちになれたのはそのような時代背景もうかがえる。金を手に入れるためならどんなことでもやってきた、といったかんじ。

じゃあ、ギャツビーが極悪人なのかというと、決してそうではない。

「誰も彼も、かすみたいなやつらだ」と僕は芝生の庭越しに叫んだ。「みんな合わせても、君一人の値打ちもないね」

『グレート・ギャツビー』(中央公論新社)p.277 より

物語の終盤で、ニックがギャツビーに向かって叫んだとおり、読み終わった頃にはギャツビー以外は全員クソでかすみたいなやつらだ、と思っている私がいる。ギャツビーという人間の暗い部分も、素直でまじめな部分も知ってしまえば、そう思わざるを得ない。ギャツビーほど純粋な人間はほかにいない。

ギャツビーのこうした魅力は、読み進めていくにつれてしだいに明らかになっていき、読み終わるころには魅了されている……という物語ではあるのですが、すごいなと思ったのははじめてニックがギャツビーを認識したシーンだと思う。

彼はとりなすようににっこり微笑んだ。いや、それはとりなすなどという生やさしい代物ではなかった。まったくのところそれは、人に永劫の安堵を与えかねないほどの、類い稀な微笑みだった。

『グレート・ギャツビー』(中央公論新社)p.92 より

この前後の文章もすごく魅力的なのでぜひ読んでほしいなと思うのですが、ここの部分の表現、原作ではどう書かれているんでしょうね。言い回しにはすごく村上春樹感がありますが、この描写、92ページにしてニックの前にはギャツビー初登場なんですよ。(噂とかちらっと見かけたとかはあったりしますが)

よくぞここまで、ギャツビーの深さも、その先にある暗さも、子供のような純粋さも、詰め込めたものだなと読み返してみてもびっくりするのですが、最初に読んだときにも「ああ…」って納得させられました。

あの男を、思い出しませんでしたか…?

それにしても、ギャツビーという男の話を聞いて、あの人を思い出しませんでしたか。そう、『騎士団長殺し』に出てくる免色さんです。見た目は坂本龍一っぽいんじゃないかといわれている、あの免色さん。

昔の想い人のこと(免色さんは娘)が忘れられなくて、その人の家が見えるところにアホみたいな大豪邸を買い、そこからずーっと見ている。緊張しい。謎だけどめちゃ金持ち。落ち着いた大人かと思いきや、案外ピンチではちゃんと慌てるし、どこか子供っぽくて純粋すぎてちょっと怖いときもある。

ギャツビーがもし年をとっておじさまになったとしたら、免色さんみたいなイケオジになっていたんだろうな…。

誰の物語なのか?

そりゃあ、ギャツビーの話でしょ。作品のタイトルになってんだし。

ただ、この物語でいちばん読者(=自分)に近いのって、デイジーとかトムとかなんじゃないでしょうかね。

だって、目の前にギャツビーみたいな人がいたら、ちょっと考えて距離置きますよね。すごく魅力的な人物だと思うし、惹きつけられるけれど、なんだか怖いですもん。本当にこの人とかかわって大丈夫なのかな…って気持ちになりながら付き合うのってストレスですし。

なんなら、例えばギャツビーが現代日本でタレントとかやってたら、あっちこっち炎上しまくってるんじゃないですかね。

そうやって、人間の複雑さとかどうしようもない矛盾とかを無視して、自分がよく理解できないからって他人を叩くような人たちのことを、T.J.エックルバーグ博士の目がじっと見つめている気がしますね。


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