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他人の金で生きていく負い目と甘美

美味しそうなピザ。しかしこれは親の金で買った罪深いピザである。

親の金で生かさせてもらう期間は大抵の人間は経験してきただろう。社会人として職に就いて働くまでの間、僕らは両親が汗水たらして得た給料で子供らしいことをさせてもらっている。
これは僕の場合だが、それを自覚するようになると負い目を感じるようになり、はやく被扶養者から抜け出したい自立したいと思うようになった。しかし今すぐ自立できるわけもなから歯痒いし、未熟な自分に腹が立つ。まだ迷惑をかけてしまうのが本当に申し訳ない。

ただ親の扶養を受けて生きるのはとても楽なことでもある。できることなら働かずに安全に適当に生きていきたい。いつまでも砂糖菓子を舐めていたい。社会人になれば砂糖菓子は手放さなきゃならないけど、まだ足りない社会に出たくないという葛藤が、自分の足を引っ張っている気がしてならない。そりゃ親に守ってもらえれば安全だし楽だもの。

でもいつか必ず、自分で稼いでいかないと生きていけなくなる時期が来る。不老不死にでもなれば別だが、我々は人間であるため寿命があり必ず死ぬ。だから社会に出る準備は遅かれ早かれしなければならない。しかも遅ければ遅いほど社会で働くのが難しくなる。出遅れた者ほど生きづらくなるという、逆ハンディキャップを背負わせてくる世の中はなんて冷酷無残なのだろう。故意的に刑務所に入る人の気持ちも分かってしまうな。

こういう葛藤は自分でしか解決できないのだが、それがなかなかできない。人生のターニングポイントであることは間違いないし、後悔したくないから安易に進路を決めるのは得策ではないと思う。だからずっと悩んでモヤモヤするしイライラする。
この問題には深く親の存在が関わっているから、そのイライラをぶつけてしまって、僕は親に対する態度が悪い。親は悪くないしむしろ感謝しているのに、自分が悩んで苦しんでいるのは親のせいだと考えてしまうのだ。ここまで自分で把握しているのなら自制できるだろうと思っているが、なかなか抑えるのが難しい。やはり未熟だからだろうか。

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