だれかが言ったから?

 目下「就活中」の私の目に、某アパレル企業の代表がセクハラ疑惑の浮上で厳重注意を受けたとの記事が飛び込んできた。

 多様なブランドで手頃な価格で、私はかなり気に入っていたし何度も購入していた。
 だから報道はショックだったし、企業側が公式サイトでわずか数行のコメントしか発していなかった事に関しては、首を傾げた。

 でも、それ以上にショックだったのは、「もう買わない」と反応する人が次々に現われていること。
 
 浮き出た問題に対する反応として、簡略的すぎやしないか。
 あなた達は、あくまでも服のデザインやブランドなど好んで買っていたのではないの?問題となっている人物は、ブランド全体を取りまとめる立場ではあるかもしれないけれど、あなた達が一瞬でも「可愛い」「欲しい」と感じたその瞬間、そして購入までに一体どれほどの人が一生懸命、ブランドを磨いてきたの?守ってきたの?

 あそこの社長は女を見下してるから、ブランドももう駄目。
と、皆で不買に流れるのを辞めないか。
 
 私はこれからも店に入るし、服を見るし、気に入れば購入する。
 それは私がそうしたいからそうする。そして、もし自分の周りにいる友人などが「いいね」と服を褒めてくれたのなら心から喜ぶ。

 だって、店や服やブランドは、そしてそこで働くスタッフは何も悪いことをしていない。

 ほんとに、もっと自己決定できる社会にしていこうよ。

 
 「自分の言葉で話そう」「他者と差をつけよう」と就活生は幾度も言われている。けれど、今の世の中にもこの呼びかけは必要ではないですか。誰かが言ったから、ではなく私はどう考えるの?価値観の共有は素敵だけど、相手にいいねばかりしていたら自分の中に、考えも言葉も何も生まれない。差って聞くと、格差とか、悪いイメージが先行する。でも「ちがい」という意味も含んでいる。「(自分に)他者とのちがいを身につけよう」そして「ちがいがあることに堂々としていよう」って自信を持って言いたい。

 他者を理解しつつも、自分の中できちんと判断できる、そんな社会人を「就活生の私」は目指します。