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自戒

その言葉に何の意味があるのか、何を表すための言葉なのか、人より掘り下げる癖が、ある。

これを悪い、と思ったことはないが、眠れない理由もこれなので、せめて最小限の活動(脳の)で抑えられたら、より楽に生きられるとは、思う。

たとえば、「自覚」とか「自負」といった言葉は、ある種自分に対する予防線でしかないことが多く、これらを前提に持っておけば、それ以上責められることも怒られることもないから、便利だ。

そうやって予防線を張れば張るほど、線は溝となっていくことを、知らずに生きてきたのが、紛れもなく僕である。



noteの投稿が滞っていたこの1ヶ月間、僕は何をしていたかというと、何もしていなかった。
自分が生きている理由が、与えられた生命が、何のために存続しているのか、まるで分からなくなってしまったのだ。

きっかけがあったかというと、特に何もなく、
強いて言うならば、2/19に東京ドームで行われたRed Hot Chili Peppersという大御所ロックバンドの来日公演に参加し、その反動で膨大な喪失感に見舞われた、といったところか。

しかし、これを言い訳にするにはあまりにもロジックが甘く、したがって、僕はただ単純に、この1ヶ月間、理由もなく生活を頓挫し、家から出ることも、人と会うこともほとんどないまま、6畳一間の部屋に籠っていた。



色味のない毎日を過ごす中で、ある日、付き合いの長い知人から一本の電話をもらった。


余談だが、この知人を含め、直近で僕に連絡をくれる者たちは皆、口を揃えて「生きてる?」、「大丈夫?」と聞いてくる。

「元気?」と聞いてこないところに、僕と彼らの関係性が表れているように思えた。

僕が昼夜問わずSNSに張り付いていることを、皆知っているのだ。心身ともに健康であれば、そんな無為な日々を過ごすはずもない。


しばらく連絡を取っていなかった人間から、突如として「大丈夫か」と心配されていることに対し、僕は自身の遣る瀬無さを痛感し、堰を切ったように自分の話をしてしまう。
5W1Hを整理しながら、丁寧に、回りくどいほどに。

いつからこんなことになったのか、僕自身も記憶にないのだが、この時自分が、必要以上に御託を並べて、自分の情けない部分が直に露呈しないよう、周りを固めていることに気が付いた。
気付いていながら、話すことを止めることもできず、自己保身に近いニュアンスで喋り続けているのだ。

「この人はきっと心の中でこう思っている、ということを僕は『自覚』できた上で、致し方なくこの生活を送るしかなくなっている」

そんな言い訳を、小1時間は自供してしまう。
話している途中で、ふと我に返って、今の話は全部なかったことにならないかな、などと憂鬱になるほどだ。


知人は優しいので、こうした駄弁にも耳を傾けてくれてはいるのだが、その潜在的な意識が甘えと転じ、この時ばかりは、電話をくれた相手も痺れを切らしていた。

黙ってしまったのだ。

否、正確には、僕が想像以上にひどい状態だったことに言葉も出ない、というところか。

僕が話し終えてもしばらく返答のない彼に対し、「取り留めもない話をしてごめん」と伝えたところ、「うん…なんと言うか…今のお前には会いたくない」と、ピシャリと明言されてしまった。



彼曰く、「(僕自身が)今置かれている状況をどうにかしたい、しかしどうするべきなのか分からない=助けてほしい」と素直にヘルプサインを提示していたのなら、分からないなりに助けてあげたいと思えるが、

僕の場合、言葉と思考を捏ねくり回すことで、相手から意見されることを拒絶しているように思えたそうだ。


はっきり言って、その通りだった。

まだ誰も何も言っていない状態で、誰からも何も言われていない僕が「今の自分は○○だという自覚がある」などと前提を据えることで、弁明の余地、すなわち逃げ道を設ける。

これは、決して相手の話を聞きたくないわけではなく、現状ただでさえ手厚く面倒を見てくれている知人らに、これ以上の心配を掛けたくない、という恐怖心から来るものであった。

僕は、いつの日か、周囲の無償の優しさに恐怖するほど歪んだ性格になっていたことを、この時強く実感した。


僕の絶望的な認知に呆れ返った知人は、その後、「今のお前に言うことはない…」と言いつつも電話を繋げてくれていた。
切ることだってできたと思う。

事実、僕は切ってほしかった。
彼と一緒に過ごしていた頃の、過去の自分からは想像もできないほど荒んだ性格に成り下がった自分が、他己評価によって一層鮮明になっていくことが怖かったのだ。

今思うと、これも僕の被害妄想であり、知人は僕に価値をつけるようなことは一切しないにもかかわらず、己の脳内劇場で物語を完結させていたに過ぎない。

「もう夜遅いし、これ以上迷惑かけたくないから切って良いよ」と言ったのだが、このまま連絡を切れば後味の悪さに苛まれることは自明であった。

それでも電話を切らずにいてくれたということは、思うことは彼も同じだったのかもしれない。



皆が皆、同じ大陸を生きているわけじゃない。走る速度も違う。誰が上とか、自分が下とか、そんな概念は存在しない。自分の道を進みなよ。どの道も、走っていれば何かしら変わってくる。何事も続けていれば実る日が来るから。またお前が復活した頃に連絡するよ」

最後にこう言い残して、電話を切られた。


昨今、「世界線」だとか「ベクトル」といった言葉で括られる言葉を、「大陸」という表現によって、如何なる人間も、景色は違えど同じ大地を踏み抜いているということを教えてくれた。


彼はもともと芸術肌のやつだったが、その才能を日常会話の中に惜しげもなく使える感性に、僕はいたく感動した。
素直になれない僕に話すことなんてない、と言っていたのに。

最後の最後に背中を押してくれたのだ。



以来、僕の身辺に何か変化があったかと言われると、特にない。
劇的な変化は起きていないし、起こせていない。

ただ、唯一、僕は今の自分を素直に認めるようになった。
認めた上で、今していることを、気の赴くままに続ける決意をした。

これはかなり意識的に認知、行動している。




僕がうつ病で、ニートで、引きこもりだという既存事実が、誰かに多大な損害を与えたか、迷惑をかけたか、そんなことはないと思っている。

ありもしない視線を気にするあまり、遠回しに嫌われないための媚びを売る方が、よほど不快なんじゃないかと、彼は僕に教えてくれた。


僕の怠惰な日常が目に余る人もいる。
会わないうちに変わっていく僕と、前みたいに付き合いたくないと思う人がいる。

良し悪しは別として、それも含めて人生かな、と開き直ってみている。
下手に案ずることをやめた。
会いたくなってくれたら嬉しいなとは思う。

その領域に達してから、やっと踏み出せる一歩があると、そのうち分かる日が来るのだろうと信じている。


僕は、僕のことをもう少し信じることにした。

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