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おもむき -2/2-

↓前編↓

だいぶ趣旨の違う話にはなるが、前回の続きである。

前編までの人間の性(さが)云々とは、ほとほと比べものにならない、唯一無二のエピソードをご紹介しよう。


ど根性わさび

覚えている人も多いのではないだろうか。

いつの時代だったか、「ど根性大根」 という、突如アスファルトから顔を出した大根が、一躍有名となったことがある。
自然の理を覆す野生由来の根性は、コンテンツ性には十分なほど趣があり、滑稽であったと言えよう。

しかし、この非人為的に生えた大根がトピックになるよりも先に、僕はとある「ど根性野菜」を見つけていた。


わさびである。


こんな荒唐無稽な話を、誰が信じようか。
そもそも、このエッセイは「稽」(考えさせられること)がキーワードだったはずなのに、既に「無稽」と自供してしまっている。



しかし幼い僕は、見ていた。
はっきりと、この目で確認していた。
断じて嘘ではないと、神に誓おう。


僕の生まれ育った、某田舎のスラム街は、生半可に都市開発が進められ、しかし、発展途上と呼ぶにも貧しい町だった。
田舎のくせに自然も乏しく、道路の舗装も中途半端だった。

小学生の溜まり場だった公園も、死にかけた芝が細々と茂る程度で、とかく、僕の好きだった動植物の採集にも適していない場所だった。

そんなある日、僕は、自宅付近で青々とした緑と出会う。
それは、電柱の根元から生えていた。
遠目に見て「食べられそうな緑」と感じたのを覚えている。
タンポポかな?と思って通り過ぎた。


これが、わさびだった。


誰も信じてくれなかった。
6、7歳の絵空事だと、大人は適当に相槌をうった。

しかもその電柱が、反社会勢力団員の皆さまの事務所に隣接していたため、むしろ「近付くな」と叱られた。

紛うことなきわさび。
自転車のカゴに分厚い植物図鑑を入れ、事務所の近くまで走って行き、車道で堂々と「わさび(山葵)」のページを開く。

何故こんな場所に生えたのか、イタズラとしか思えなかった。アスファルトの中にしっかりと根を張り、実を成していたはずのわさびに、誰も気付かないことが不思議だった。


僕の発見がすっかり無かったことにされたある日、夕方のワイドショーで「ど根性大根」が取り上げられているのを見た。
僕は、その時その場にいた祖父を連れて、わさびの在処まで連れて行った。
母は呆れてついてこなかった。

何かと僕には甘かった祖父は、必死な僕を面白がってケタケタと笑った。
僕は、図鑑に書かれていた、ありったけの知識を披露したが、「物知りだなぁ」と、テキトーに感心された。
もう、涙目だった。



さて、勘の良い読者の方はお気付きだろうが、先述の通り、僕らが騒いでいるこの場所は、某組員の事務所である。

ガラスでできた謎の金剛力士像(事務所の正面玄関)の前で、年寄りの高笑いと、半べそをかいた子供の声が響いていれば、さすがの組員さんも黙ってはいなかった。

事務所から、いかにも、という見た目のスキンヘッドが現れた。

デリカシーのデの字もない祖父が、平然と挨拶を交わす。
スキンヘッドは、会釈をするだけだった。

町内全体が、そこに近付くことを恐れていた中、幼心に、自分の祖父が少しイカれていることと、スキンヘッドの物言いたげな表情が交差している状況に、パニックになった。
正直、もうわさびとかどうでも良くなっていた。

「すみません、うるさくして、あの、ここに生えてるの、わさびかなって思って…ごめんなさい」

もう何に謝れば良いのか分からなかった。

ガキが事務所の前の野草をわさびだと信じている、という事実に対して謝っているようで、思い返すだけでも狂っていたと思う。
でも仕方がなかった。わさびなのだから。

腕を組みながら、もう笑っちゃっている祖父と、呼吸を荒くして泣くのを堪える僕の間を、スキンヘッドが黙って横切る。
ポケットに突っ込まれた彼の手から、チャカが出てきてヤられる覚悟をした、その瞬間だった。

「ほんまやな、よく気が付いたな。えらいな。ほんまにわさびか、コレェ!」

スキンヘッドが笑った。
祖父もつられて更に笑った。

僕が呆気にとられて、口から出任せに「図鑑に載っていました、調べました、勝手に調べてすみませんでした」と謝罪すると、

「そりゃびっくりしたよなぁ!普通は生えんもんな、こんな場所に。よく見つけたな。スゴいなぁ。おじちゃんも自慢するわぁ。」

と、親バカさながらの反応を示し、祖父と二、三、談笑をしたのち、
「おじちゃんはホンモノだと思うで」
と笑顔で見送ってくれた。

おかしな場所にわさびが生えていることを、疑うことなく、何ならその視野の広さを褒められた
僕が謝った対象に、相手は気付いていないどころか、彼は僕の知識に興味を持ってくれた。


祖父に手を引かれて帰った後、僕はこの話を誰にもしていない。
絶対に叱られることを示唆して、祖父との秘密にしてしまった。



今やもう、僕以外に、ヤクザの事務所の電柱から生えたど根性わさびのことを知っている人は、誰もいない。
祖父は存命だが、昔のことなど、とうに忘れて生きている。

そしてあのわさびは、事務所ごと潰れたのを境に、綺麗に舗装されて、なくなっていた。


あの時、僕が、地元のテレビ局にハガキでも出していたら、僕の運命は変わっていただろうか。
僕の町は、「ど根性わさび」の聖地として、もっと栄えていただろうか。

僕が面白いと感じた、突拍子もないわさび。
僕と、スキンヘッドのおじちゃんだけが信じた、わさび。

僕はこの一件以来、どこへ行っても、ありとあらゆるモノに目を向けるようになった。
そして、「普遍から外れた」如何なるものには、偏見がつきもので、大抵の場合、その意見が覆されることは少ない、という、ありがちな哀しい真実を知った。


100人中100人が気付きもしないモノ・コトに、世界でたったのふたりだけが、「面白さ」を見出した。

そういう趣と、そこに伴う滑稽さが、僕には宝物のように感じられるのだ。

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