シン・エヴァ感想とエヴァの思い出

シンエヴァ観て、プロフェッショナル仕事の流儀の庵野さん回を観て、もう一度シンエヴァを観たので、ここに感想を記したい。*ネタバレあります。


長々と書くことは特になく、ひとこと「終わってよかったね!!」

もうひとこと「安野モヨコさん偉大すぎ!!」

以上の2点が私の感想である。


これからつらつらとエヴァの思い出と所感を述べる。私がテレビシリーズの新世紀エヴァンゲリオンを観たのはたしか大学1年の春休みのことだった。暇だった私は、カーテンを閉めたワンルームの部屋に篭って、TSUTAYAでレンタルしてきたエヴァのテレビシリーズと旧劇場版を3周観た。3周観たってことは面白かったのだと思う。
アニメシリーズ後半からのシンジの精神世界の描写はかなりうざったくあり、でも共感できる部分もあり、見終わった感想としては「腹立たしい」に近い感情だった。

何が腹立たしかったかというと、シンジやゲンドウはじめ、登場人物のほぼ全員(加持以外?)の精神性が幼かったからだ。
それに少し共感し共鳴してしまう自分が恥ずかしく、腹立たしいような気分になったのだと思う。共感性羞恥心のようなものだろうか。

今回の新劇場版に関しては、序と破までは、「大衆向けに面白く作ってきたんだな!」と感心した。が、Qを友人と劇場に見に行って、「なんやこれ…」と、口をぽかんと開けて帰ってきた。
どう終わらせるつもりなんだろうとずっと待っていて、やっと来たシンエヴァンゲリオン。正直なところ、また旧劇のような意味わからんような終わり方にするのだろうと思っていたけれど、その予想に反して今回、ちゃんと終わらせてきた。だから感想が「終わってよかった!」となった。きっとこれ以上エヴァは作らないんだろうなと思うほど、全部を回収し、完膚なきまでにちゃんと終わらせてきた。

驚くべきことに、なんと本作では大人と子供が「ちゃんと」会話しているのである。子供が他人と会話をしようと口を開いたのである。大人が大人の役割を果たそうとしているのである。

庵野監督の「おれ、大人になったで~」「ちゃんと終わらせたで~」というメッセージが伝わってきた、ように感じた。
その大人になれた理由が、多分安野モヨコさんにちゃんと愛され支えられたからなんだろうなあ…とプロフェッショナルを見て思った。

ただ私としては、うじうじねちねちぐるぐると陰気な理屈をずっと捏ね繰りまわしてとんでもないエンディングに辿り着いてくれることを期待していた(笑)
きっと本作を批判しているいにしえのエヴァファンたちも、庵野氏に置いて行かれた感を感じたのだと思う。「なにいち抜けしてんねん」「なに自分だけ大人になってんねん」と。
それでも庵野氏はやっぱりまだ少年のような人で、「大人になったで~」とアピールする程度には子供なんだと思う。60歳の監督を捕まえて子供だとか失礼と思うけれど、私も身体はデッカイ大人なのに精神性は14歳くらいで止まっているので、同じこと。
noteのシンエヴァ感想タグを辿ってみると、本作に対して感想を述べている人のほとんどが作品の内容の評価より庵野氏という人物に対する評価を書いているのが面白い。実際私も庵野氏と安野氏のことばかり書いてしまった。人をそうさせる映画だった。私もとにかく「面白かった」ではなく真っ先に「終わらせてよかったね庵野さん!」という感想を抱いたので。
誰が何年かけて作ったとかの先入観を無しにして、思い入れなく新劇場版だけ見ていたとしたらもっと純粋に作品を楽しめたのだろうか。
私は、本作は作品としてはそんなに面白くはなかったのじゃあないかな、と思う(2回も見といてなんだが)。でも私はエヴァファンなので、庵野氏への想いとともに楽しめた。たまにはそういう映画があってもいいかもしれない。


でも少し文句を言うと、村のシーンは好きではない。綾波と式波アスカがシンジに好意を持つことをプログラムされている、という設定は残念だったな。繰り返し舞台のセットを見せて「虚構だよ」アピールするのもちょっと私は好きじゃないかも。そういえば監督の鶴巻さんがフリクリの1話で似たようなことやってたな。好きでは無い理由をここで言語化することは控えよう。

マリは良かったね。シンジが名前を知らない程度に作中で何の関わりもなかったのに、なんかわからんけど好きになって救ってくれる、都合のいいヒロイン(ヒーロー?)みたいで良かった。


多少の文句は書いたけれど、シンエヴァ楽しめました。エヴァの名を冠す作品群、面白かったです。庵野さんお疲れ様でした。

私も安野モヨコ氏と結婚したい。

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